これが最後だ。
報酬だけ頂いて、この世界から足を洗う。
一生分は稼いだし、何より隠れ蓑となる場所を提供してくれるという事だったからだ。
殺し屋家業で唯一信頼できる相棒がこっそりと用意してくれると。
その分報酬は相棒に7割渡すことになるがそれでも構わなかった。
幹部や組織の者は血眼になって俺を探すことになるだろうが、俺も伊達にこの世界に浸かってはいない。
下手に手出しができないようにしておくくらいの事はわけがない。
色々考えたところで仕方がない。
今回のターゲットを始末することだけにまずは専念すべきだ。
任務を遂行しなければ報酬もなければ命もなくなるのだから。
下調べは粗方済ませてある。
この時間、ターゲットは向かいのホテルの一室にやって来ることになっている。
カーテンは手動式のホテルなので、この夜も耽った時間であれば必ず自らの手でカーテンを閉じる。
今までの行動のクセを探って調べ上げたことだから間違いはない。
人には行動のクセがある。
かくいう俺もそうだ。
必ずターゲットを始末した後はタバコを吸う。
クセは自分では気付かないものだが、指摘されて始めて解ることが多い。
一度だけそのクセで足元がつきそうになった事があった。
自分では気付かなかったのだが吸殻を捨ててしまったために、足元をすくわれそうになった。
辛うじて助かりはしたが、それからは吸殻の始末など気をつけるようにした。
だが指摘されない限りクセは治らないものなのだ。
ましてや治す必要のないクセは治そうともしない。
ターゲットには生まれ変わった時にクセを直してもらうことになるだろう。
腕時計でターゲットが来る時間を確認したがまだ1時間ほどはある。
任務とはいっても夜の、それもビルの屋上の吹きっさらしで待っているのは毎回嫌なものだ。
寒さで感覚が鈍らないように多少体は動かすが、はじめにやっておくことは決まっている。
スナイパーライフルの組み立てだ。
専用ケースから取り出し組み立てる作業は先に済ませておかないとターゲットが現れた時にすぐに対処ができない。
体を暖めることはすぐにできるが、組み立ては少々時間を要してしまうからだ。
俺はケースからパーツを取り出し順番に組み立てていった。
細かなパーツは先に組み立ててケースにしまい込んであるので、銃身、機関部、銃床、スコープといった部分を組み立てる。
暗い場所での作業だから細かな作業は先に済ませておくのだ。
ライトなどを使うと見つからないとも限らないからだ。
組み立ての作業を終えた時だった。
後方で硬質な『ガチャ』という音が聞こえた。
俺はすぐに組み立てた物を抱え闇に身を潜めた。
2
ライフルやケースを音を立てないように足元に置き、様子を伺った。
屋上に上がるためのドアを開けて誰かが来たようだ。
下調べではこの時間には誰も上がってこないはず……。
俺は緊張感を高めながらこっそり様子を伺うと、そこには人影があった。
人影はふらつくように反対側のへりに向かっている。
へりの側まで行くと人影はしゃがみ、靴を脱いだ。
そして懐から封筒のような物を出すと足元へ置き、靴をその上に乗せた。
まずい!!
俺は慌てて飛び出した。
「おい! そこで何をしている!?」
人影は俺の姿を見て尻餅をつき「来るな!」と声を出している。
完全にイレギュラーな状況だである。
飛び降り自殺でもしようとしていたのだろう。
別に誰かが飛び降り自殺をすることに関しては何も問題はない。
普段の俺がその光景を見かけても止めはしないだろう。
だが今は状況が違う。
こんな時に飛び降り自殺でもされようものなら、このビルは注目されてしまう。
下調べも任務の遂行も全てが水泡に帰してしまう。
そんな事になるくらいであれば自殺は阻止しなければならない。
俺の任務後に勝手に死んでもらうのは一向に構わないのだ。
姿を見られはしたが、俺は完全に遂行後に姿をくらます。
それに自殺をしようとしているのだ。
遅かれ早かれ死ぬだろうし、この暗がりでは俺の顔もよくは覚えていない可能性は高い。
「自殺する気だろう?」
俺が問うと人影は尻餅をついたままこちらを見ている。
「ほ、放っておいてくれよ! 死なせてくれよ!」
「そんな事できないな。考え直せ」
「お、お前刑事か? 何だよ、俺が死のうがどうしようが関係ねぇだろ!?」
「目の前で死なれちゃ寝覚めが悪いだろう」
今から人を殺す俺が言うのもなんだなと思い、俺は少し笑いそうになった。
「べ、別に目の前では死なないだろう!? 飛び降りるだけなんだから、下を覗き込まなきゃいいだろう!?」
「そんな事を言ってるんじゃないだろう」
「目の前からフッと消えるだけじゃないか! 放っておいてくれよ!」
どういう理論だ。
気が動転しているのだろうが言ってることがおかし過ぎるだろう。
相手の調子に合わせながら何とか自殺を食い止めようと俺は頭を捻った。
「何を言ってるんだ? このビルの出口はお前がいる側にあるだろう。俺がビルから出るときに嫌でも目に入るだろう」
「そ、そりゃそうかも知れないけど、だから何なんだよ!」
何なんだよ?
こっちが言いたい。
「とにかく、自殺なんてやめにしろ」
「お前に俺の何が解るんだよ!」
男はゆっくり立ち上がりながら手を胸に当てて自嘲気味に叫んでいる。
「何があったんだ? 俺でよければ話は聞く。だから言ってみろ」
できるだけ早く済ませなければいけない。
ターゲットが来るまでには……。
「だ、だいたいな。お前こそ何だよ。こんな所でなにしてるんだよ!」
人を殺そうとしているなんて口が裂けてもいえない。
「俺は屋上でこの風景を見るのが好きなだけだ。そんなところにお前が趣味に割り込んで自殺をしようとしてきたんだ」
「お、俺のせいかよ!」
お前のせいだ。
自殺する輩は自暴自棄になっているからタチが悪い。
何でも被害妄想的になってしまう。
「それよりどうしたんだ? 何があったのか言ってみろ」
「……お前に話しても、解る訳ないだろう」
「そんなこと話してみなければ解らないだろう? だから、言ってみろ」
早く聞き出して説得をして、とっとと帰ってもらいたい。
男は俺の言葉に少し逡巡しているようだった。
「言ってみてからでも遅くはないだろう? な?」
「……たんだよ」
聞き取りにくい声で男はボソリと呟いた。
「すまない、聞き取れなかった。もう一度言ってくれないか?」
少し距離を縮めて聞き返す。
「仕事が……なくなっちまったんだよ!」
「仕事がなくなった?」
「ああ。今の時代、中小企業じゃ珍しくないだろう? 俺が経営していた会社は倒産だ。妻や子供にも逃げられて、俺に残ったのは借金だけなんだよ! だから死なせてくれよ!!」
「借金? いくら残ったんだ?」
俺の問いに男は軽く笑った。
「1000万だよ。持ちビルも何もかも処分してもそんなに残るんだ。返せるわけないだろう?」
たかだか1000万で死ぬ気なのか。
俺の一回の報酬にも満たない金額だ。
「本当に返せないのか?」
「はぁ? 返せるわけないだろう! 何すりゃ1000万も手に入るんだよ!?」
経営者だったんならそれくらい考えろとも、人を殺せばもっと貰えますとも言えない。
「地道に仕事をすればいいじゃないか。いくつ仕事を掛け持ってでもやれば返せない額じゃないだろう?」
「……ははは。妻子に逃げられて支えもなく、ただ稼げだって? ふざけんな!」
「ふざけていないさ。大体、妻子に逃げられたって、話し合えば良いじゃないか?」
「何も聞いてやくれないさ。倒産して、沈んでる俺に何も言わずに出て行ったんだぞ?」
「話し合おうとはしなかったのか? 何も話さず、ただ落ち込んでただけじゃないのか?」
「当たり前だろう! 倒産して落ち込まないやつがいるのか? そんな奴がいたら笑ってやるよ!」
面倒くさい……。
ここで殺してやろうかとも思ったが金にならないことなんてしても得がない。
それにライフルは無駄のないように1発分しか弾はない。
「自暴自棄になってる姿に嫌気が差したんじゃないか? 離婚届なんかは突きつけられたのか?」
「……離婚届なんて、出されてない」
やはりそうだ。
「なら自分が頑張ってる姿を見せれば、そして話し合えば帰ってくるかもしれないだろう?」
「……聞いてくれるわけがない」
「俺のようなアカの他人が話を聞いてるんだぞ? 身内が聞いてくれない道理はないだろう」
俺の言葉に男は懐へ手を伸ばしている。
何をする気だ?
様子を伺っていると携帯電話を取り出している。
俺は慌てて男の腕を捕らえて通話を阻止した。
男と揉み合いになる。
「な、何するんだよ!?」
「お前こそ何をしようとしてるんだ!?」
「話し合おうとしたんじゃないか!」
おいおい、勘弁してくれ。
こんな所で時間を取られてはたまらない。
男から電話を取り上げると、男は俺の体にしがみつき取り返そうとする。
相手を振り払うと男は再び尻餅をつき、こちらを睨んでくる。
「お前が話し合えって言ったんだろう!?」
「誰が携帯電話で話せと言った! こんな話は直接本人と向かい合って話すべきだろう!」
「でも、でも聞いてくれると思ったら……」
その思いつきを仕事に向ければどうなんだ。
「奥さんと『直接』話し合ってからでも行動は遅くないだろう。命を無駄にするな。こんな事をしても奥さんは喜んだりしないんじゃないのか?」
「……ふぅぐ。ふぐぅぅぅぅ」
年甲斐もなく男は鼻水混じりに泣いている。
みっともない事この上なかった。
「いいか、自分で何かしなきゃ始まらないだろう? 死ぬことなんて考えず前向きになれ」
「……ふぅぐ、そ、そうですね。妻と……話し合います」
ぐじぐじの声でそういうと、男は手を伸ばして靴を取り、遺書らしき物を懐にしまい込んだ。
俺は携帯を返してやると、男は立ち上がり「すみませんでした」と呟いた。
人騒がせな男だ。
「あ、あの。あなたのお名前は」
「ん? 名前か?」
「はい、お名前だけでも」
「苅田裕二だ」
「苅田さん、ありがとうございました……」
出鱈目な名前を告げると男は軽く会釈してドアを開け姿を消した。
時計に目をやるとターゲットが現れる時間の10分前だった。
3
男が去ってから15分ほど過ぎた時だった。
ターゲットは向かいのホテルの一室に現れた。
ほぼ時間通りだ。
ターゲットが時間より遅れ気味で助かった。
時間より早かった場合は俺が死ぬ羽目になっていた。
俺はライフルを構え、スコープに目を移すと灯りのついた一室にターゲットはいた。
荷物を置いたり、スーツの上着を脱いだりして動き回っている。
もう少しだ。
ターゲットは俺の予想通り、ひとしきりの行動を終えるとテラスのガラス戸に近づいてきた。
カーテンのを握り真ん中で引き合わせる。
その引き合わせたと同時に俺は照準を合わせ引き鉄を引いた。
銃声とともにターゲットはあっさりと崩れ落ちる。
ピクリとも動かない。
一撃でしとめる。
狙った獲物は逃がさない。
殺し屋の鉄則を守り、任務を完了した。
イレギュラーなことはあったが始まってみればあっという間だ。
これで報酬が手に入るんだからおいしい仕事ではある。
もちろんあの男のように倒産もない。
俺は懐からタバコを取り出し、火をつけた。
最後の一服だ。
澄んだ空気に含んだ煙を吐き出す。
吐き出す……。
吐き……?
おかしい。
吐き出せない。
いつものようにスーっと出るはずの煙をむせる様にして吐き出してしまう。
タバコは俺の手からスルりと落ち、指先に感覚がなくなったのが解る。
足先からも力が抜け、体が小さく痙攣し始める。
のどの奥からは鉄臭いものがこみ上げる。
お、おい……。
嘘だろう……?
な、何だって……。
4
屋上へ俺は再び上がり、ターゲットの死を確認した。
携帯を取り出し、すぐに連絡を入れる。
「私です。ええ、ターゲットの死亡を確認しました。私には『苅田』などと偽名を使っていましたが、最後まで殺し屋らしく任務はまっとうしたようです。はい、それでは戻ります」
それだけ伝えて電話を切った。
バカな男だ。
相棒を心底信用していたようだ。
組織に信用できるのは鉄の掟だけだというのに。
その甘さが自分の死を招いたことも気付かないとは。
俺にしがみつかれた時にタバコを入れ替えられたことも気付かなかったんだろう。
落ちたタバコを拾い上げ、俺は元のタバコにすり替えた。
今まで通りに忠実に行動していればこんな事にはならなかっただろうに。
一度この世界に足を浸して簡単に抜け出ることができようはずもないのに。
自分の腕によほどの自信でもあったのか……。
まぁ最期の任務を遂行したところは褒めてやるべきか。
もし生まれ変わって再び殺し屋になるのだとしたら悪いクセは治してもらいたいものだ。
殺し屋は狙った獲物を逃がさない。
この鉄則を忘れないクセを。