廃村の謎 〜問題編1〜

     1

 2005年 7月18日 15:40

 軽く日の傾いた砂利道に僕は車を止めた。
 エンジンを切りドアを開けて軽く伸びをして新鮮な山の空気を一気に吸い込む。
 それを皮きりに他のドアの開閉音が続いて聞こえてきた。
「いい風景だね」
 助手席側から声を掛けてきたのは石原明希だった。
 透き通った声が蝉時雨の中で心地よく僕の耳へと届く。
 女性にしては少し高めの、160cm後半の僕の身長と同じくらいの背丈だが、肢体の均整さは額に入れて飾っておきたいほどだった。
 サマーセーターの隆起したシルエットも清潔感があふれた感じで魅力的だた。
 風が吹くとミディアムくらいの髪を手で押さえつけながら「気持ちいい風だね」と微笑みながら言った。
「キャンプするにはもってこいでしょ?」
 僕の真後ろに当たる後部座席にいた藤宮悠子が開いたドアに体を預けて言った。
 ニコニコ笑いながら僕の方を見て首を左右に振る姿は多少のぶりっ子が入っている。
 藤宮は石原とは違ったタイプの女性だった。
 元気娘というかスポーツタイプの肢体を携えていた。
 エクステンションを付けた髪を時折りいじるのが彼女の癖だ。
 今回の旅を提案した張本人でもある。
 タンクトップに半そでのシャツを羽織ってはいるが、彼女もまた違った魅力を発していた。
 石原が美術的な魅力とするなら彼女は健康的な魅力。
 それでも身長は僕より少し低く、160cm前後といったところだ。
「お前にしてはいい場所を選んだものだよ。でもまぁ、田舎過ぎて退屈しそうだけどな」
 悪態じみた言葉を吐くのは石原の後部に位置する場所に乗り込んでいた半田邦人だった。
 抜きん出た身長と女うけしそうなルックスをした半田は比べるなら僕と正反対だった。
 センスのいい装飾品を身につけ、田舎の風景になじまないような革のパンツにタンクトップ。
 浅黒く焼けた肌は日の光を受けて筋肉質であることが見て取れた。
「でしょ? 廃村もあって人気もないから目いっぱいはしゃげる場所よ」
 しかし僕はそれほど半田と仲が良いといったわけではなかった。
 それでも同じ車に乗り合わせるのには理由があった。
 今から一週間前のことだ。
 同じゼミに属している藤宮と食堂で昼食を食べているときに、今回の廃村ツアーの話が出たのである。
「ねぇ司馬くん、18日って予定開いてる?」
 何度か遊びに行ったりする仲だった藤宮が話の口火を切った。
「18日か……どうしたんだ?」
「今度、廃村で肝試しでもしない? キャンプもかねてさ」
「……二人でか?」
 僕が眉をひそめながら尋ねると藤宮は軽くかぶりを振った。
「違うわよ。私の高校のときからの友達の、ほら、司馬くんも何度も会ったことあるでしょ? 明希も一緒」
 石原明希の名前が出たときは僕は少し前のめりになっていたかもしれない。
 それを察知したのか藤宮は少しむくれた顔をしていた。
「明希の名前を出すとそんなに表情変わるんだ……」
「いや、そういうわけじゃないよ」
 彼女は僕のガールフレンドではなかったが、好意を持ってくれていることには気づいていた。
 でも僕はどうしても彼女を友人以上に感じることができなかった。いや、しなかった……。
 僕には人に言えない『二面性』があるのだ。
 隠れたもう一つの面が彼女を候補に押し上げていたが僕はかたくなに拒否していた。
 受け入れれば僕ではなくなってしまいそうだったから……。
「で? 俺とお前と、石原さんを含めた三人で行くのか?」
「うん。今はそのつもり」
「にしてもどうして廃村なんだ? 僕がそういった場所を嫌いなのは知ってるだろう?」
 これも僕のもう一つの面が好むようなことだったからだ。
「そうなんだけど、明希が行きたいって言うから……」
 意外だった。
 彼女の風体ではそんなことを言いそうな雰囲気ではなかったからだ。
「へぇ、石原さんが」
「そうなの。で、どうせならキャンプも兼ねちゃえって事でね。どう?」
 本来ならば断るのだが、石原が来るとなると心がゆれた。
 いや、心は決まっていたのかもしれない。
「ああ。OKだよ」
 二人きりになれないのが残念だが、まぁそれでも嬉しいことに変わりはなかったので承諾した。
 それから幾日か過ぎたときに「半田君にも話したら来たいって言ったからOK出したわ」と思いがけない電話が入った。
 半田は藤宮と石原の二人と同じ高校出身で、僕と同じ大学に通っていた。
 何度か顔は合わせたが、深く話すほどの間柄ではなかった。
 というのも半田が石原に気があることが薄々感じられたからだった。
 その時に藤宮に考えが読めた。
 何とかして石原と半田をくっつけようという魂胆なのだろうと。
「なあ。せっかく到着したし、晩飯までは早いだろうから廃村探索でもしないか?」
「あ! 私は賛成! 明希も行くよね?」
 半田の言葉に即座に反応した藤宮は石原にも同意を求めた。
「僕は少しここで休むよ。運転しっぱなしだったからな」
「はいはい。じゃあ明希と一緒に三人で行きましょうか?」
「……私も、ここに残るわ。司馬くん一人残すのも悪いし」
 石原の気持ちが僕に向いたような言葉に少しドキッとした。
 単なる思い過ごしなんだろうが、それでもそう思いたかったのだ。
「あ、そう。じゃあ邦人、二人で行きましょうか」
「……え。いやみんな行かないなら」
「いいからついて来てよ! じゃあちょっと行ってくるわね!」
 有無を言わさぬように腕をつかんで藤宮は半田を引っ張っていった。

     2

 2005年 7月18日 17:00

 石原と二人きりでいる時間は会話も弾み楽しいものだった。
 1時間ほどだったが、藤宮と半田が帰ってきたときには5分ほどしか話していないようで残念に思ったほどだ。
 そろそろ日も西に鋭角に沈み出した為に夕食の準備に取りかかろうという事になった。
 手分けして車から荷物を引っ張り出す。
 簡易な折りたたみのテーブルや夕食の材料。そして夜もふけた頃にやろうと買ってきた花火セットなど様々なものが砂利の上に並んだ。
「じゃあ私と明希でテーブルとかを組みたてるから、司馬くんと邦人は水汲みか薪集めに行ってきて」
 藤宮が言うとさっさと「俺は薪拾いに行くよ」と半田が申し出た。
 少し離れた場所にある川までポリタンクで水を汲むほうが重労働だったからだろう。
 不本意ながら僕が水汲みをやるはめになった。
 ため息を一つついて僕はポリタンクを両手に持って川へ行くことにした。
「いってらっしゃい」
 藤宮と石原がほぼ同時に言ったのを背に受けて僕はポリタンクを掲げるように右手を上げた。
 5分ほど歩いただろうか、目の前には廃村が現れてきた。
 目に映るその姿は時代劇で使われてもおかしくないような感じだった。
 しかし使われるシーンは限られる。
 欠け落ちた土壁や内から空を眺められそうになっている瓦のはげた屋根。
 所々にほぼ無傷な農家もあったがそれでも1分過ぎればどうなるかわかったものじゃない雰囲気だ。
 こんな場面を使うのは野武士などが占拠したような村を撮影する位のものだろう。

 『……心地イイジャナイカ……』

 脳内で不快な声が響く。
「黙れ……」
 否定するように僕は呟くと、煩わしさから開放されるために歩を進めた。
 早足で廃村を突っ切ると涼しげな音を立てている川が見えてきた。
 傾いだ夕日をまばゆく反射させる姿に先ほどの不快さは拭われていった。
 川の直ぐ脇まで近づき僕は持っていたポリタンクのフタを開けて川中に腕ごと突っ込む。
 しかし10秒ともたないうちに腕を引き上げてしまった。
 気温の湿り気を帯びた暑さとはあまりにも違うほど冷たかったのだ。
 麦茶と思って飲んだのが紅茶だったときのようなショックが腕に伝わったのだ。
 僕は水の感覚を意識して再度腕を川中に突っ込んだ。
 先ほどとは違い、わりと長時間腕をつけることができた。
 やはり意識すると感じ方も違うものだ。
 それでも冷たいことには変わりはなく、何度か引き上げては突っ込むという作業を繰り返してようやく一つを満杯にすることができた。
 感覚が麻痺しそうな腕を何度か振って気温を腕の中に取り込んだ。
 一息ついてからもう一つのポリタンクを掴み、同じ作業を行った。
 慣れた作業になったのか先ほどよりスムーズに水は汲めた。
 ポリタンクの三分の二程まで水が入った所で背後から声が聞こえた。
「司〜馬くん」
 腕を突っ込んだまま振り向くと立っていたのは野菜を抱えた藤宮だった。
「なんだ。もうテーブルの設置は終わったのか?」
 僕の隣にしゃがみ込み、野菜を手にとって川に手を突っ込んだ藤宮は「キャ」と小さく声を上げた。
 冷たさに驚いたのだろう。ジャガイモが川の中を転がりながら下流へ消えていく。
「何やってるんだよ」
「だって思ったより冷たかったんだもん!」
 膨れた顔をしながら僕の方を見て言った。
 その顔に目を奪われそうになったときポリタンクが突然重みを増した。
 見てみると満杯になった口から水を吐き出している。
 慌てて僕が引き上げると水飛沫が跳ねて藤宮に当たった。
「キャ! 冷たい!」
 声を上げて水を払うと「もう〜」と呟きながら僕をねめつけた。
「わ、悪い」
 慌てて目を背けてポケットからハンカチを取り出して渡すと、僕はポリタンクのフタを急いで閉めた。
「司馬くん慌てすぎよ。ほんと、子供みたい」
 小さく笑った彼女は「ありがとう」と付け加えて僕のハンカチで滴を拭っていた。
「じゃあ。俺は行くから、洗い終わったら直ぐに帰ってこいよ」
 そう告げると彼女は軽く頷いて手を振った。
 両腕に重みを感じながら廃村の前まで来ると、僕は何度か振り返っていることに気づいた。
 『……心地イイナ……』
 再び頭に響いた声に弾かれるように僕は急いで廃村を通りすぎた。

     3

 2005年 7月18日 18:30

 闇が夕焼けの光をほぼ侵食したときに、テーブルにはキャンプの代名詞と呼ぶべきカレーライスが空腹をくすぐるにおいを発していた。
 それぞれが適当に折畳式のイスに座ると藤宮がテーブル中央に置かれたランタンに灯をともした。
 紙皿に乗ったカレーを口に運ぶと肉体労働で消費した体は喜んでそれを受け入れた。
「外で食べるカレーは違ったうまみがあるな」
 口を突いて僕は賞賛の声を漏らしていた。
「本当ね。これがキャンプの醍醐味ね」
 石原も笑顔で僕の後に続いた。
 その様子を冷めた表情で眺めながら半田は「そんなに違うか?」と悪態をこぼす。
 やはり半田とは心のそこから仲良くはなれないなと苦笑いがもれた。
「そうだ。この後のことなんだけど」
 行儀悪くひじをテーブルにつきながら藤宮が口を開く。
「本当にやるのか? 廃村で肝試しなんて」
 うんざりした表情を僕が見せると藤宮は口を尖らせて反応した。
「当たり前じゃない! そうでなきゃここに来た意味がないじゃない」
 左手のひらを藤宮にヒラヒラ見せて「わかったよ」と小さく返してやる。
「で、私少し考えたんだけど、ただ普通に肝試ししても面白くないじゃない?」
 僕からしてみればどんな事をしても面白く感じることはできそうにないが。とこの言葉は飲み込んでおいた。
「それでね。私の携帯にはストラップが二つ付いてるんだけど」
 そう言いながらテーブルの上に自らの携帯を差し出してみせた。
 携帯には猫を模したキャラクターとネズミを模したキャラクターのストラップがついていた。
 子供から大人まで幅広い人気のあるキャラクターグッズだった。
「コレを使って肝試しをするの」
 いたずらっぽく笑いながら藤宮は言う。しかし可愛いストラップと肝試しに僕は接点を見出せなかった。
「どういうことだよ?」
「簡単なことなんだけどね。初めに行く人が片方だけを持って廃村にある農家の玄関口にでも置いて帰ってくるの。それを2番手の人は探しに行くんだけど、2番手の人は残ったストラップも持っていくの。で見つけたら初めのを回収して今度は自分が持っていったストラップを別のどこかに置いて帰ってくるの」
「あぁ。じゃあ3番目の人は初めのストラップを受け取って出発し、同じようにして帰ってくるって事か?」
「That’s right!」
 スプーンを僕の方に向けウィンクしながら藤宮は言った。
 こういったしぐさに少し子供のような無邪気さを感じる。
「でもそれじゃあ、初めに行った人は一番楽できちゃうんじゃない? それなら私が一番目に行きたいな……」
「そこがミソなのよ、明希。初めに行った人は実は2回廃村に行かなきゃいけないのよ」
「え! そうなの!?」
 今度はスプーンを立てて「チッチッチ」と舌を鳴らしながら藤宮は返す。
「4番目に行った人が同じように片方のストラップを隠して帰ってくるの。で、それを最初に行った人が回収して終了するの。だから、初めに行った人は最初と最後の2回行くことになるってわけ」
 自信ありげに笑みを漏らして藤宮が言うと「ああ」と小さな感嘆を漏らしながら石原は頷いた。
「でもよ。それだと時間がかかりすぎちまうんじゃないか? 探してもなかなか見つからない場合だってあるだろう?」
「邦人、良いところに気がつきました!」
「そりゃどうも」
 外国人がするような肩のすくめを見せて半田が言う。
「だから制限時間をつけるのよ。20分くらいで見つからなかったら、そのまま引き上げてくるの。それで、見つからなかった人はストラップを隠した人と一緒にもう一度廃村に行く。それで隠した場所を教えてもらって、回収した後、別のストラップを隠しに行くってわけ」
 よくもこれだけのくだらない事を考えたものだと少し感心してしまった。
 だがそれもすぐに払拭されることになるのだが。
「ルールはコレまで。で、順番なんだけど、私のすぐ後に明希が行くのが良いと思うの。簡単な場所に隠してあげるから、不安は少なくてすむでしょう?」
「それなら私は助かるわ」
 胸をなでながら笑みを漏らした石原は本心からホッとしたようだった。
「で、女の子が2回も行くなんて理不尽なことはないと思うの。だからトップバッターは男性陣に任せたいわけ」
 そう言いながら藤宮は僕の方を向いた。
 ものすごく嫌な予感がする。
「司馬くんに決定しちゃおう」
 予感は的中した。悪巧みをした笑みをしていたのでそうなることは軽く予想できてしまったのだ。
「じゃあ残るは邦人だけど……」
「なら、俺は4番目に行こうかな。男:男:女:女って順番じゃつまんないしな」
 半田も藤宮と同じような笑みを漏らしている。
 それで僕は気づいたのだ。
 二人で廃村探索に出たときに口裏を合わせたのだろうと。
 石原の後に自分をつけることでわざと20分間見つけられないフリをして二人きりになる魂胆だろう。
「それじゃあ決定ね! そうと決まったら早くご飯食べちゃいましょう」
 まったく僕の意見など聞こうとしないあたりからも容易に予想できてしまう。
 できれば2回もあの場所へは行きたくないのだが、言ったところで拒否されてしまうのだろうと思い、諦めてカレーを口に運んだ。

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