監獄島のわらべ唄 〜問題編1〜

     1

 招待状が目の前にはあった。
 洋上に浮かぶ『三日月島』でミステリーナイトを過ごすといった文面……。
『聞いてる? 我孫子武丸っていう人が作ったゲームあるでしょ。何だっけ……』
「かまいたちの夜だろ」
 電話ごしの真理の声に僕は軽く応えた。
 真理とは大学時代からの付き合いだ
 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群と非の打ち所のない心の恋人。
 俗にいう友達以上恋人未満というやつだ。
 はっきりいって僕では役不足としか言いようがない。
『そうそう、そのお礼だとか何だとかで招待状が来てるの。透にも来てる?』
「ああ、来てるよ」
 真理の云ったゲームは、一年前にペンション『シュプール』に宿泊した人たちをモデルにして作られ、結構な話題を呼んだ。
 雪に閉ざされたペンションで連続殺人事件がおきてしまうという内容のミステリーゲームだ。
 そのゲームのモデルになった人物に対して送られた招待状……。
『透も行くよね? 久しぶりに会いたいし、ミステリーナイト何てステキじゃない?」
 真理とはもう長く会っていなかった。
 真理が家庭の事情で北海道へと引越してしまったからだ。連絡なんかは電話で取り合っていたが東京と北海道という距離は遠く、さすがに会うとなると話は別だった。
「ステキかどうかは解らないけど、とりあえず行くよ。12月24日と25日だろ?」
『クリスマスの日よね。ちょうど一年前か……何か長かった気がする』
 しみじみと真理は電話越しで話している。そう、クリスマスだ。
 その日に真理が来るっていうことは、どうやら彼氏がいないと考えるべきか。考えを巡らせていたところに真理の声が届いた。
『でも、何で招待したんだろう? 私たち、直接我孫子武丸さんには会ったことがないのにね』
 我孫子武丸とは『かまいたちの夜』のシナリオを書き上げたミステリー作家だ。
「さあ。売れ行きがあまりにも良かったんでみんなに感謝でもしなきゃ気が治まらなかったんじゃないか?」
『ふーん、そんなもんかなぁ。でもホント、プロのミステリー作家が考えたミステリーナイトに参加できるなんて嬉しいな」
 真理は心底楽しみにしているらしい。
 確かに真理は前からミステリー好きだったのは知っていたが、ここまで好きだったとは思ってもいなかった。
「じゃあ、待ち合わせは招待状に書いてある所にしようか」
『うん解った。じゃあ、24日に。またね』
「じゃあ」
 真理が電話を切るのを待ってから僕は携帯を切った。
「……三日月島」
 僕は一言つぶやくと手に持った招待状を旅行用バッグに詰め込んだ。

     2

「ウェェェェ……」
「大丈夫ですか、小林さん?」
「……あまり、大丈夫じゃないな」
「聞いてないわよ叔父さん。船酔いする方だったの?」
「……だから嫌だって云ったんだ」
 船に乗ると知る直前までは「今年は掻き入れ時に来たんだ。目一杯羽を伸ばすぞ」何て息巻いていたのに、船に乗ると解った途端「嫌だ、帰る!絶対帰る!」などと子供のようにわめき散らしていたがその理由が船酔いとは私もこのとき初めて知った。
 船酔いにさいなまれているのは小林二郎。
 ペンション『シュプール』のオーナーでもあり私の叔父でもある。
「叔母さんがいてくれればさっきほど駄々こねなかったんだろうけど……」
「そういえば今日子さんはどうしたんだい?」
 もう透も手を妬いたのか、叔父のことはそっちのけで話しかけてきた。
「透に電話した後、叔父さんの所にも電話したの。招待状が来てるかどうか聞くためにね。そうしたら叔母さんちょっと病気を患って来れないって」
 叔母の小林今日子は良妻賢母に似つかわしい人だ。
 叔父さんをよく支え、シュプールでは客の母のように接してくれる優しい叔母さんである。
「小林さんは、今日子さんに付いていてあげなくて良いんですか?」
 少し吐き気も治まったのか、船縁に背中をもたせ掛けた叔父さんに透は聞いた。
「……そうするつもりだったんだがね、今日子が私には気を遣わなくていいから楽しんでこいって云ってね。……まったく、いい嫁を貰ったもんだよ」
 しみじみとそういいながら、また船縁に身を乗り出し吐き始めた。
 いい話をしていても雰囲気を保つことの出来ない叔父に私は心底あきれ果てた。
「あんたたち、今向かっている『三日月島』について知っとるけ」
 船を操っている船長が透の方に目をやって変な方言で話しかけてきた。
「いえ、何かあるんですか?」
「何かあるも何も、あすこは元々監獄のあった島なんじゃよ」
 私は自分の耳を疑った。
 カンゴク?
 確かにそう聞こえたが……。
「カンゴク? あの、囚人なんかを収容する……」
「それ以外に何があるね。キムチの美味い国だとでも思ったけ?」
 船長はやけに自信満々の顔で透と私に目線を行き来させている。
 それは韓国だろ、とツッコミを入れる気も失せてしまう。半ば無視をしたまま私は切り返した。
「何でそんなところに監獄なんかあったんですか」
 船長は相手にされなかったことが気に障ったのか、軽く顔をしかめながら口を開いた。
「大正から昭和にかけてな、やたら権力もっとった『岸猿伊右衛門』っちゅう人がおってな。その伊右衛門は自分の鉄工所ももってたんじゃが、あまりにも低賃金で奴隷のように従業員をこき使うてたもんじゃから、従業員たちは逃げたがっておったんじゃ。しかし、逃げたのが見つかった者は拷問を受けて殺されたりしおった。それでも逃げようとする者が多かったから、監獄を造ってそこに閉じこめたっちゅうわけだ」
 私は絶句した。働きたくない者が逃げるのを防ぐためだけに監獄まで造るなど考えられなかった。
 権力者だからそうしたのか、あるいは岸猿伊右衛門という人物がただ単にそういう人物だったのか。どちらにしろ私には理解できない。
「じゃから、地元のモンはあすこの島を『監獄島』とも呼んどってな、あんまり寄りつかんようにしとるんじゃ」
「……ろくでもない島じゃないか。だから嫌だと……」
 調子が戻ったのか、船縁を背に叔父はまたグチグチと口を開き始めた。
「そんないわく付きの島を我孫子武丸って人は買い取ったのね」
「そうなるな。まぁ、物好きってことじゃないかな。それに、真理にとってはミステリーぽくって嬉しいんじゃない?」
「嫌よ。あくまでミステリーはミステリー。現実とごっちゃに何かしないわ」
「そんなもんなの?」
「当然よ。伝説とか幻想なんかでは良いけど、現実事件なんてまっぴらゴメンだわ」
「そうじゃ、伝説というか伝承みたいなモンは三日月島にもあるぞ」
 透との会話を聞いてまた船長が話に割り込んできた。相当話し好きらしい。
「わらべ唄っちゅうのを知っとるか?」
「……あの童謡とかにもよくあるやつですか?」
「そうそう、あのわらべ唄が三日月島にもあるんじゃよ」
 これにはさすがに私も興味が惹かれた。透も興味があったのか船長にどのような内容か聞いていた。
「かまいたちの唄なんじゃが、三日月島は結構風が強うてな。寒い冬なんかは澄み切った空気が荒れてかまいたちが現れると思われとって、昔から悪さした子供何かに歌って聞かせとったんじゃ」
「どんな唄なんですか?」
 透に聞かれて船長は歌い出した。

(一番)
 底虫村の しん太郎どん
 痛い痛いと 泣いてござる
 何が痛いと 蟹コが聞けば
 悪たれ鼬(イタチ)の ふうのしんに
 喉を切られて 話ができぬ
 それで痛いと 泣いてござる
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん

(二番)
 底虫村の 女郎蜘蛛
 嫌じゃ嫌じゃと 泣いてござる
 何が嫌じゃと 狐コ聞けば
 悪たれ鼬の ふうのしんに
 手脚もがれて 散歩ができぬ
 それが嫌じゃと 泣いてござる
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん

 私は大学で民族学を学んでいたが、初めて耳にする唄だった。
「不気味な唄ですね。子供も嫌がるような」
「じゃろう? ほんま嫌な唄だで……」
 船長も昔聞かされていた口だろうか、しかめっ面でそういった。
「コレって二番までなんですか?」
「いや、まだ先はあるよ。聞きたいかい?」
「当然ですよ。ねえ、透?」
 透に目をやったが何事かメモ帳に目を馳せている。とりあえず先があるなら聞いてみたい。私は民俗学を研究する者として先を促した。

(三番)
 底虫村の 山爺どん
 怖い怖いと 泣いてござる
 何が怖いと 鮫(ワニ)コが聞けば
 悪たれ鼬の ふうのしんに
 水辺に立たされ 身動きできぬ
 それが怖いと 泣いてござる
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん

(四番)
 底虫村の 罪人どん
 今日じゃ今日じゃと 泣いてござる
 何が今日じゃと 童(ワラベ)コ聞けば
 悪たれ鼬の ふうのしんも
 わっかが解けりゃ 慌てて逃げる
 それが今日じゃと 泣いてござる
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん
 びゅうびゅうびゅうの
 ざんぶらぶん

 船長は歌い終えると前方を指し示し私たちに得意げな表情をしながら口を開いた。
「おお、見えてきおったぞ。あれが三日月島じゃ」
 四番まで聞き終わったとき前方にぽっかりと浮かぶ島が見えた。小高い絶壁が島の周辺を囲んでいる。監獄島というのを聞いたせいかその島はやけに重苦しいものに見えた。

     3

 船長と真理が先に降り、僕は小林さんの肩を支えながら船から降りた。相当船酔いがひどかったのか体重をやたらと乗せてきている。
「ここから先、案内しますから付いてきて下さい」
 船長はそういうと先頭をきってトコトコと歩き始めた。その後を真理が追う。
「透、はやく」
 真理は笑顔で無茶なことを云う。
 ただでさえ小林さんを担いでいるのに、足場は雪が積もっていて歩きにくい。
 しかし、真理の笑顔にはかなわない。そう思いながらも僕はゆっくりながら脚を進めた。
 しばらく歩いたところで休憩を挟んだ。さすがに小林さんと荷物を持ったまま歩くのには限界だった。
「大丈夫、透?」
「ああ、何とかね。でももう少し休ませてくれないか?」
「悪いね透君。少し休んだら、一人で歩くから」
 ありがたかった。この先もこの状態を続けていては日が暮れてしまうだろう事が予想できたからである。
「あれ、何かしら。あの湖の横の……」
 真理は眼前に広がる湖の付近を指さしていた。
「小屋ですよ。釣りなんかが出来るように、ちょっとした小屋を建ててあるんです」
「釣り!」
 船長の声を聞いた途端先程までへばっていた小林さんがいきなり飛び起きた。
「ええ、夏場は釣りなんかしに若者が来とるみたいですがのぉ」
「夏場だけですか? 冬場は?」
「冬場は駄目なんじゃ。海の魚が夏場は集まって来おるが冬場は海に逃げていきおるし」
「でも釣ってみないと解らないでしょ! やりましょう! 透君、しばらく休むといい」
 何て勝手なことを。僕は起きあがって反論しようとした。
「バカな事言ってないでよ叔父さん! 誰のために休憩挟んだと思ってるの。叔父さんのせいでこうなってるんでしょう?」
「もし何だったら、君たちだけ先に行けばいい。私はあの小屋で夜を明かしてもいいよ」
 自分のバッグから釣り竿を取り出しながら小林さんも反論する。僕はもう我慢できなかった。
「小林さん、ダメですよ。こんなに寒いんですよ。あんな暖房器具があるかどうか解らない所で一夜明かせるわけないじゃないですか」
「折を見て切り上げてもいい。船長さん、待っててくれませんか?」
 シャレになっていない。この言葉に真理は本気でキレていた。
「いいかげんにして。叔母さんがいたらそんなわがまま云ってる? 何なら帰ってから叔母さんに報告しようか、みんなに迷惑掛けてまで楽しんでましたよって」
 さすがにこれには堪えたのか小林さんは首をうなだれて釣り竿をバッグにしまった。
 それにしても小林さんが相当釣り好きなことが判明した。船は嫌いなくせに釣り竿は持ってきているとは。まあ、危険回避できて良かった。真理がいなければ恐らく小林さんは本当に釣りをしていた可能性がある。
「そろそろいいですかいのぉ。わしも早く案内すませて、家に帰りたいんじゃが」
「ええ、もう十分元気になったみたいですし。行けるわよね、叔父さん?」
 真理のものすごい形相に小林さんは反論する素振りを見せなかった。さすがにあの形相を前にしては自分でも反論できないだろうと僕は思った。
 休憩も終わってすぐに出発し、小高い丘の所まで来ると館が見えてきた。
「あれが『三日月館』です。別名は……」
「監獄館ですか?」
「おや、よく解りましたね」
「さっき船の上で監獄島って聞いたからそうかなと思って」
「コレは聡明なお嬢さんだ」
 真理には弱点がないようにさえ思える。スタイルも容姿も抜群にいい。さらに運動神経も頭もいいときている。面倒見も良い。僕は真理とは釣り合わないかも知れないと思うことがよくある。それでも真理が気を許して話してくれることに安心しているのも事実だった。
「気が強い姪ですがね」
 小林さんの一言を聞き真理は振り返り小林さんを睨み付けた。
「行きましょう、透」
 真理は小林さんに一瞥くれるとすぐに歩き始めた。
「……真理は気が強いからね。気を付けるんだよ、透君」
 今度は真理に聞こえないように小声で語りかけてきた。
 真理の弱点はそこかなとも思ったが、そういったところも好きだったのでやはり真理には弱点がないのかも知れない。こんな考え方だと、小林さんと今日子さんの関係と同じ様な気がして少し可笑しかった。

     4

 湖で休憩してから20分ほど歩いた。
 途中、透と叔父さんがひそひそ話しているのを私は知っていた。
 どうせ叔父さんの方から私の悪口を云ってるに違いないと感じていたため私はあえて話に入らないことにした。
 むしゃくしゃした気持ちを抑えながらも歩いた甲斐あって、三日月館が目の前に見えてきた。
「それじゃあわしはココまでで失礼します。家に帰ってかかぁの飯が食いたいですから。それから、迎えは明日の昼過ぎに来ますでな。そういう風に頼まれてるもんで」
「頼まれてる? もしかして、我孫子さんですか?」
 率直に疑問に思ったことを私は口にした。
「我の孫の子って書いた人じゃよ。キヨさん所にも届いたみたいじゃが、手紙で寄越してきおった。現金も一緒だったし、キヨさんと連絡取れっちゅうて書いてたから、今日の段取りなんかもキヨさん任せでな」
 キヨさん?
 透や叔父さんも知らない人物なのか、顔を見合わせて首を傾げている。まったく、この船長は話をいきなり切り出すから解らないことが多い。
「キヨさんって誰ですか? 私たちそんな人知らないんですけど」
「ああ、そうじゃろうな。村の一番のしっかりもんだよ。村長なんてのもやっとって、今回の三日月館であんたらの世話してくれる女性じゃ。気立てがよくてな、昔はわしも思い切って告白なんぞ……」
「つまり、我孫子さんのことはキヨさんって云う人なら知っている可能性があるんですね」
 昔話を始めようとしていた船長にいいタイミングで透は割り込んでいた。
 透が割り込まなきゃ船長の恋愛話を聞かされているところである。
「知っとるんじゃないかの。我孫子さんと直接連絡は取ってたみたいじゃし。まあ、本人に聞いてみなさい。じゃあ、わしはおいとまさせてもらうよ」
 ひとしきり話し終えた後、礼の言葉を聞きもせずそそくさと船長は立ち去っていった。
「それにしても、すごい壁だなあ。まさしく監獄って云う感じだ」
 叔父さんは目の前にそそり立つ壁に目を向け感慨深げに云った。
 確かにものすごい迫力である。裕に五メートルは超えていると思われた。いやもっとあるのかも知れない。
「門も開いてるみたいだし、とりあえず入りましょうか」
 そういうと透は先陣を切って歩き出した。
 中に入ると外界とはまったく雰囲気の違う建物があった。
 門外の雪と自然の織りなす風景とはまったく異なった。まさしく監獄。
 降り積もった雪をたたえたまま立っている監獄は囚人を逃さないといった雰囲気を漂わせていた。
 中に入って建物に近づくとこの建物はCの形をしていることが解った。そう、三日月型の館である。
 その三日月の、Cの両端の壁の足元には少し大きめの池があった。ここらの水は温水も混じっているのか凍ってはいなかった。
「何だってこんな池があるんだ? 鯉でもいるのか……」
「危ない!」
 透に引っ張られて叔父さんは地面にしりもちを付いた。
「何だい! いきなり後ろから」
「見て下さいよ。池から剣山のように太い針みたいなものが出てるじゃないですか」
 透の云った通り池に近寄ると池からは巨大な針の先端が水面から頭を覗かせていた。
「何だってこんな危ないもんが出てるんだ。人が落ちたら危ないじゃないか」
「だから付いてるんじゃないの? ここ、元監獄だって船長さん云ってたし」
 私はそう云うと透と叔父さんに両壁の窓を指さした。
「元々監獄だったから、窓なんかもこの両壁の二つしかないのか……」
 三日月型の両端部である壁にしか窓は見当たらなかった。
 Cの内側の壁に窓らしきものは見当たらない。外側の壁はどうか解らないが、監獄と云うことだから恐らく窓はないだろう。
「そうでしょうね。だからこの窓から下に飛び降りようとしても串刺しになるような仕掛けが施されてるんでしょうね」
「権力者の考えることは解らんね」
 まったくである、こんな建造物はやはり理解できないと私も思った。
「それじゃあ、そろそろ……」
 透がそういって足を進めようとした所で聞き覚えのある声が飛んできた。
「透君に真理君、それにオーナーも。久しぶりだね」
「美樹本さん!」
 振り返るとそこには一年前と変わらない、いかにも山男といった風情の美樹本洋介さんが立っていた。
 久しぶりではあるが相変わらずのひげ面に登山者のような格好をしながらカメラ片手ニコニコしていた。
「君たち、今着いたのかい?」
「はい、美樹本さんはいつ頃?」
「私はね、ずいぶん前に到着したよ。俊夫君とみどり君と一緒だったよ」
「俊夫さんとみどりさんも、もういるんですか?」
「ああ、多分君たちが最後じゃないのかな」
「多分?」
 私は少し引っかかった。多分とはどういうことだろう。
 去年のシュプールのメンバー以外にも誰か来るのだろうか。
「去年のメンバー以外にも招待されてるみたいでね。ゲーム作りに関係する人らしいよ」
「……ああ、そういうことですか」
「それよりオーナー。今日子婦人がいないようですが」
「ああ、そのことなんだが……」
 叔父さんは美樹本さんにかいつまんで説明した。すると美樹本さんは少し残念そうな顔をした。
「……そうなんですか。残念ですね。去年の思い出話でもしたかったんですが」
「でも美樹本さん、元気そうで何よりですよ。妻にも今日は楽しんでこいと云われてますし。また、うちのペンションにも遊びに来て下さいよ」
「是非そうさせていただきますよ。オーナーの作る料理は格別ですしね」
「いやいや……そういえば美樹本さんは何をなさってたんですか?」
「この建物の撮影をね。変わった建物ですし、ほらあの窓の脇に風切り鎌もある」
 先程から気になっていたあの鎌はやはり風切り鎌だったのか。
 窓の両脇の壁からカマキリが威嚇をするような感じで鎌が取り付けられている。
 私は民族学専攻ということもあって話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。
「カゼキリカマ? 何ですか、それ」
「透、知らないのね。船長さんも云ってたでしょう。この辺は風が強い地域だって」
「ああ」
「そういうところにはこうやって風切り鎌を置いて悪い風を切ろうと考えてたわけ」
「悪い風って?」
「カゼをひいたときなんかのカゼって感じで『風』に『邪』って書くでしょう? 昔から風って悪いイメージの象徴のようなものだったの」
「ふんふん」
「だから、風の強い地域では邪なものを近づけないために風を断ち切る鎌を窓や屋根に取り付けたの。一種の厄避けみたいなものね」
「そういうことだよ。真理君、よく知ってるね」
「大学の専攻で民族学をしていて聞いた覚えがあるんです」
 私は少し得意げに云った。大学でやってる講義もしっかり聴いておいてよかったと今更ながらに感じた。
「寒いなあ。早く中に入らないか?」
 得意げな私をよそに叔父さんは館に入ることを促していた。
 そんなに寒いなら早く自分だけで入りなさいよという言葉を飲み込んで私は叔父さんを睨み付けた。
 その様子に気付いたのか透は間に割って入った。
「ま、まあ。真理。とりあえず中に入ってゆっくり先を聞かせてくれよ。寒いことは確かだし」
「そ、そうだよ真理君。落ち着いたところの方が話も弾むしね」
 透と美樹本さんが必死になって奨めるので、渋々承知した。
 でも今日は叔父さんがやたらと人を振り回してばかりで何か気に入らなかった。
 そんな会話を無視するように叔父さんが足を進めたので私はついに頭の腺が何本か切れてしまった。
 C型の中央に位置する所に噴水があった。軽く見たところ先程のような仕掛けがないことは伺えた。
 叔父さんがその噴水の脇を通りかかったところで私は叔父さんを噴水めがけて突き飛ばした。

 バシャーン!

 大きな音としぶきを上げて叔父さんの姿が消えた。
「た、助け……てくれ……。あ……しが…………つかない……」
 初めは冗談だと思ったが上半身を水面から必死で引き上げる透と美樹本さんの姿を見て冗談でないことに気付いた。
「だ、大丈夫!? 叔父さん」
 何とか引き上げられた叔父に向かって言葉を投げかけた。
「さ、ささ……寒い……ひ、ひひ……火があるところへ……」
「真理君、いくら腹が立ってもやって良いことと悪いことがあるよ。こんな寒空の下水浸しなんて殺人行為だよ」
 美樹本さんに怒られ私は反省した。まさか、そんなに深いなんて思わなかったから……。
「とりあえず、そのことは後にして。小林さんを早く暖かいところへ。真理も手伝ってくれ。いいね?」
 透は怒るでもなく優しく私に語りかけた。不謹慎ながらこんな時に透の優しさがありがたいと思った。

     5

 館に小林さんをかつぎ込むと老人が出迎えてくれた。
 小林さんの様子を見るやいなや慌ててオロオロしている。状況を説明するととりあえず暖炉のある部屋へと通してくれた。
「すみませんキヨさん。いきなり世話事させちゃって」
 美樹本さんが老人に対して謝っている。
「いえいえ、初めはビックリしましたけんど、よかったですよ大事にいたらんで」
 そういうと人の良さそうな顔をしわくちゃにしている。
「とりあえず、確認させて貰いますけんど。小林二郎さんと小林今日子さんと矢島透さんですかいね? あれ、小林真理さん? 今日子さん?」
「あ、わたし小林真理です。今日子叔母さんはちょっと病気で来れないんです」
「そうですか。じゃあ小林二郎さんがそっちのお若い方で、水浸しのが矢島透さんですかいね」
「逆です。僕が矢島透で、水浸しの人が小林二郎です」
 はあはあ、といった感じでキヨさんは首を縦に振った。
 本当に解っているのだろうか?
「部屋割りが出来とりますで、荷物お預かりします。あとこれが部屋割りの紙と鍵です」
「この部屋割りって……」
「このままでやってくれと頼まれてるもんで、都合悪くてもこのままでお願いします」
 そういうとキヨさんは荷物を持ってトコトコと歩き出した。
 小林さんの荷物はとりあえず後回しで真理と僕の分を持って部屋から出ていった。
「叔父さんごめんなさい、ちょっとやり過ぎちゃって……」
「かまわんさ。少し自分勝手過ぎたところもあったからね。でも、今日子には内緒にしといてくれよ? 姪にお叱りを受けたとあっちゃあ申し訳たたんからな」
「叔父さん……」
 小林さんの言葉を聞いて真理は目頭を潤ませていた。
 やはり相当悪いと思ったのだろう、それに小林さんが責めなかったことも作用したのかも知れない。そう思っている横で美樹本さんが近づいてきた。
「……何してるんだい透君。こういう時こそ彼女を慰めてやらんかね」
 そう囁くと脇腹を肘でこづいてきた。確かにチャンスだ。
「……真理」
 真理に近づこうと手を伸ばしたとき間に邪魔が入った。
「小林君やないか! 何うずくまっとるんや? おうおう、透君に真理ちゃんまでおるやないか、久しぶりやな」
 去年もこうだった。
 真理といい雰囲気が出来上がりそうなときにいつも割って入ってくる気のいい大阪人。香山誠一さんだ。
「香山さん、お久しぶりです」
 目一杯の作り笑顔で香山さんに応えた。もしかすると少し顔がヒクついていたかもしれない。
「うんうん、元気そうで何よりや。そういえば今日子さんはどないしたんや?」
 もう何度となく説明したことなので軽くそのことを伝えた。
「そうか、まあ小林君もたまにははね伸ばさなあかんで。奥さんおったら気ぃ遣うやろ」
 笑い飛ばしながら小林さんの肩をばしばし叩く。その脇から若い女性が現れて香山さんに噛みついた。
「どういうこと? うちがおったら羽伸ばされへんの?」
「違うやないか夏美。お前のことちゃうて。お前がおらなワシは楽しないがな」
 香山さんは夏美と呼んだその女性にやたらと甘い声を出した。おっさんの甘い声ほど気持ちの悪いものはない。
 その二人のやりとりに真理は入っていった。
「香山さん。そちらの女性は?」
「おお、よう聞いてくれた。うちの家内や」
「香山夏美です。よろしく」
「家内? あの、でも確か香山さん、春子さんがいたんじゃ……」
「春子か……実は別れてしもてな。俗に云う離婚っていうやっちゃ。ほんで新しい嫁が夏美なわけや」
 夏美と香山は二回りも離れている感じである。夏美は同じ関西人で、二十歳過ぎであることは誰にでも伺えた。
「それにしても、だいぶ歳が離れているように見えますが……」
「小林君。歳は関係ないぞ。恋愛に歳は関係ない。そら33歳離れとるけど」
 離れすぎだろ。
 娘と云っても過言ではない。真理もそのことについて何か思い付いたのか近づいてきて囁いた。
「……遺産目当てじゃないよね?」
「……知らないよ。でもありうるよ」
「……二時間ミステリー物だと大抵そうだしね」
 船の上ではさんざん現実と幻想は違うなんて云いながらあっさり結びつけている。でも確かに的を得ているように思えた。
「何ぼそぼそ云うてんねや? おもろい話やったら乗っけてや」
 云えるはずない。
 おもろい話だけどあいにく香山さんだけは乗っけられなかったので、別のことを切り出した。
「それにしても我孫子さんってどんな人ですかね」
「え、知らんの!? 超売れっ子のミステリー作家やん」
「それは知ってますけど。どんな人なのかまでは……」
「そうやねん。うちもそこは知らんねんけどな、今日会えるんや思って旦那について来てん」
「ワシも初めは興味なかったんやけど、夏美がどうしてもって云うし、招待状には奥さんも連れてぜひお越し下さいって書いてあったし」
「ん? 香山さん、奥さんの分と二通招待状が来なかったんですか?」
「ああ、一通や。何や小林君所は二通来たんか?」
「ええ、妻の分と二通来ましたけど……」
「何ッ! 我孫子とかいうやつ、ワシを舐めとんのちゃうか! ワシはこう見えても極真空手三段やぞ!!」
 極真空手は関係ないだろうとツッコミかけたがあえてそこは黙っておいた。
「まあ、何かの手違いでもあったんじゃないですか?」
「手違いですむかい! ワシの会社やったらクビやで」
 どうにも止まりそうにない。何か別の話題はないものか考えあぐねていたときに聞き覚えのある声と知らない声が混じって耳に入ってきた。
「オーナー、真理ちゃんに透君も」
「久しぶり、元気にしてた?」
「俊夫さんにみどりさん!」
「元気にしてたかい。俊夫君、みどり君」
 俊夫さんとみどりさんは小林さんが経営するペンションの従業員をしていた。
 長身でスポーツマン的な俊夫さんと若いながら時おりオバさんっぽさを見せるみどりさんにはペンションでも色々お世話になった。
「ええ、オーナーも。元気そうで何よりです」
 香山さんのことはこの二人が来たお陰で何とは話を切ることが出来た。真理の方を見ると何やら首を傾げている。
 どうしたのだろう……。
「……あの、二人とも左手の薬指に指輪がありますけど。もしかして……」
「ああ。……実はそうなんだ。僕たち結婚してね」
 俊夫さんは照れて左手の薬指を隠すように頭を掻いていた。
「そういえば真理と透君には云ってなかったな。二人は結婚したんだよ」
「叔父さん知ってたんですか? もう、何で教えてくれなかったんですか!」
「いやいや、悪い。忘れていたよ」
「でもいいな。結婚なんて。うらやましい……」
「何云ってるの真理ちゃん。相手ならいるんじゃないの?」
 みどりさんはこちらをちらっと見てにっこり笑う。そうだよ真理、俺がいるじゃないか。さあ、思い切っていってくれ。
「いませんよ、残念ながら」
 ガックリきた。少しでも期待してたのに。
 やっぱり真理は好意なんて持ってくれていないのだろうか。
「そうなんだ、いると思ったんだけどな。勘違いだったのかしら……」
 少し絶望の淵を覗き込んでるところにとんでもない言葉が飛んできた。
「きみ、可愛いよね。真理っていうんだ……。ああ俺、正岡慎太郎。今の話ホント? じゃあ、俺が相手になろうか?」
 声のした方を向くとやたらとキザな男が立っていた。
 高そうな服を着たいかにも遊んでる感じの男だった。その言葉をどうとるのか気になって真理の方をもう一度振り返る。
「私、軽い人嫌いですし。間に合ってますから」
 よかった。やっぱり真理の嫌いなタイプだったか。安心しているとまだ正岡は真理に詰めよる。
「さっき、いないって云ってたじゃん。間に合ってるって云うのも嘘なんじゃ……」
 そこまで云われると真理も頭に来たらしい。例の顔で正岡を睨み付けた。
「……おおコワ。あんまり気が強いと彼氏出来ないよ」
 まだ云っている。何と言おうが真理の心は動かない。
 間に合ってるって云ってたじゃないか。え?
 間に合ってる……?
 まさかそれって……。
「おい、真理ちゃんが嫌がってるだろう。そんなことも解らないんじゃあ彼女の候補になんてあがれないぞ。な、透君」
 俊夫さんが助け船を出してくれている。これに乗らない手はなかった。  俊夫さんの言葉の後にすかさず頷きを入れた。それを見てか真理は少し顔を赤くしている。
 勘違いではなかったとこのとき確信した。

     6

 透が頷いたことに少し嬉しかった。あそこで何の反応もしなかったらどうしようとさえ思った。でも透は期待に応えてくれた。
「真理、食堂行こうか。キヨさんも用意が出来たって云ってるし」
 透の言葉に今度は自分が頷き食堂へと行くことにした。食堂に着くとそれぞれの名前が書かれたプレートが置いてあった。
 もう三人先にいた。一人は見たことのない中年男性。そして後二人は……。
「真理ちゃん、久しぶり!」
 ぽっちゃりとした女性が手を振っている。北野啓子さんだ。
 その横でまたこちらに手を振っている女性が一人……。
「覚えてる? 私たちのこと」
 少しつり上がった目をしたそれでも美人な渡瀬可奈子さんが微笑んでいた。
「覚えてますよ。啓子さんに可奈子さん」
「ありがとう、やっぱり覚えててくれたんだ」
「そういえばそっちの彼も見たことあるんだけど……」
「そうそう、さっきから誰だったか思い出せないのよ……」
 透のことだろうか。透の顔を見てみると少しムッとしている。
 仕方ないので助け船を出してあげることにした。
「『と』で始まるんですよ」
「と? と、と、と……」
「俊夫さん!」
 違う!
 ついに我慢できなくなったのか透は自分で名前を語った。
「あ、そうだ。透君だ」
「ゴメンゴメン。忘れるつもりなんて無かったんだけどさ」
 見え見えの嘘に透は更に気分を害したようだった。話を変えよう……。
「あの、あそこにいる人は?」
「ああ、あのおじさん? 確か……」
「村上つとむだ。それにおじさんじゃない。コレでも41だ」
 気むずかしい感じの人であることは解った。少し苦手かも知れない。
 それに41歳だとオジさんでもおかしくないとは思うのだが。
「初めまして、小林真理です。それから……」
「矢島透です。初めまして」
「ふん、君たちは礼儀というものが多少解ってるみたいだな。それに引き替え他の若いもんときたら……」
 そういうと啓子さんと可奈子さんの方に目をやる。二人はバツ悪そうな感じで視線を逸らし会話を始めていた。
「村上さんも招待されて来られたんですか?」
「我孫子とかいう作家に呼び出されてね。次回作のゲーム音楽を作ってくれと云われてな」
「作曲家なんですか? 凄い、どんな曲手がけてるんですか」
 透が少し褒めると機嫌をよくしたのか饒舌になった。
「まあ、前作のかまいたちの夜の作曲者の師に当たるもんでね。他には、今は演歌なんかも手がけているが、映画なんかの曲も作ってくれなんて頼まれることもある」
 多少嘘が入っているかも知れない。村上つとむ何て聞いたこと無いし。
「正岡とかいう奴がいただろう。あいつも次回作に関わるやつでね。プロデュースする事になるらしい。私はあいつがいけ好かんが……」
「解ります。礼儀ってやつですね」
「そうだ。透君は話が分かる。他の奴らに教えてやりたいよ」
 透の話のさばき方を見ると将来営業マンにでもなったら凄い力を発揮するだろうなと私は思った。
 ただ、あんまり調子に乗せていいタイプではないとは思う。
 そんな会話をしている間にも他のメンバー達も食堂に現れ、キヨさんも食堂に顔を出した。
「皆さんお揃いのようですね。それじゃあ料理運んで来ますでしばらく待っとって下さい」
「それじゃあ、私も手伝いますよ」
「すみません。助かりますわ」
 手伝うという言葉を聞いてか、みどりさんも手伝ってくれると云った。
 食堂から出て厨房へ向かう途中でキヨさんが口を開いた。
「恐れ入るんですが、お二人で料理を運んでもらえませんやろか。私はちょっと外の戸締まりしないといけませんで」
「戸締まり? でもまだ19時過ぎですよ?」
 腕時計に目をやると確かに針は19時過ぎを指している。いくら早く日が暮れるにしても早すぎはしないだろうか?
「ええ、我孫子武丸さんがそうしてくれっちゅてましたで。皆が集まって19時過ぎたら戸締まりをよろしくと」
「そうなんですか……」
 その我孫子武丸本人はまだ見えていないが言いつけを守るよう云われたのだろう。そういうとキヨさんは入り口の方へ向かっていった。
「じゃあ、厨房行って食事運びましょうか」
「そうね。早くしないと俊夫も機嫌悪くするしね」
「どうしてですか?」
「あの人、お腹が減ると機嫌が悪くなる人なの」
 肩をすくめてそう云うとみどりさんは厨房へ向けて歩き出した。

     7

 食事を終えたのは20時頃だった。
 キヨさんは食後のお茶を入れると云ってまた厨房へと向かった。
 真理とみどりさんもまた手伝うことにしたらしい。キヨさんに続いて食堂を出ていった。
「それにしても、まだ我孫子武丸は姿を見せんきか」
 苛立たしそうに村上つとむは口を開いた。
「それもそうだ。今回の主催者本人が顔をださないのは気になる」
 俊夫も続いて不満を漏らした。
「ホンマや。うちも我孫子武丸に会いに来たんやで」
「人呼んどいて姿も見せんとは。招待状も一通しか来てへんし……」
 香山さんはまだ先程のことを云っていた。相当根に持っているらしい。
「そういえばさぁ」
 可奈子ちゃんは違う話でもしようとしているのか、間に割って入ってきた。
「みんなはさぁ、かまいたちの夜ってやった?」
「もちろんだよ」
「ウチもやったで」
「ワシも一応やったわ。難しかったなぁ」
 口々にかまいたちの夜の話を繰り広げている。
「あの犯人って、確か……」
「私ね、それより気になることがあって」
 可奈子ちゃんはそういった話がしたいわけではなかったらしい。
「何が気になったの、可奈子?」
「ほら、私と啓子って実際二人だけで行ってたじゃない? それなのに、OL三人組ってなってたじゃない」
「あ、そうそう。それ私も思った」
「何なん? 三人組やなかったん?」
 夏美さんは知らなくて当然である。去年のペンションに訪れたOLは渡瀬可奈子、北野啓子の二人だけだったのである。
「そういえば俺も思ったよ。確か名前は……」
「河村亜希じゃなかったかな?」
 俊夫さんが言うより早く小林さんが云った。
「何だ? 君たちの知り合いじゃないの?」
 正岡はなれなれしく可奈子ちゃん達に話しかけた。そうとう気にかかった様子である。
「知らないですよ。河村亜希なんて」
「同僚の子にもいなかったよね」
 啓子ちゃんの問いに可奈子ちゃんは一度だけ頷いた。
「てっきり君たちの知り合いかと思ったんだけど」
 そうこうしていると紅茶とお酒の乗ったトレイを持って真理とみどりさん、キヨさんが食堂に入ってきた。
「何の話してたの、透?」
「かまいたちの夜の『河村亜希』のことだよ」
「真理ちゃんとかみどりさんも知らない?」
 可奈子ちゃんはまだ気になっているようだ。
「私は知らないわ」
「私も知らないです。透も知らないよね」
「ああ、知らないよ」
「やっぱり誰も知らないんだ……何か不気味だよね」
 可奈子ちゃんは啓子ちゃんに云うとお互い頷きあっている。
「まあさ、そんないない女のことより君たち彼氏とかいるの?」
 正岡は自分のペースで話し始める。やっぱり思ったとおり女好きである。
「えー、いないですよ。正岡さんはどうなんですか?」
「俺? いないよ。いても君に乗り換えるよ」
「軽くないですか?」
「そんなことないって。俺、こう見えても硬派なんだぜ。これと思った相手にしか目がいかないんだ」
 はったりの下手な男である。先程まで真理に言い寄っていたことを忘れているのか?
 真理の方に目を向けると案の定、嫌な目つきをしている。
 それとは対称に可奈子ちゃんは好意の目で正岡を見つめている。軽く毒牙にかかったようだ。
「もっと君と深い話がしたいな。何なら俺の部屋で話さないか?」
「えー、でも、どうしよっかな。啓子はどうする?」
「私はいいよ。可奈子行ってきたら?」
 啓子ちゃんも明らかに嫌そうな表情をしている。しかし啓子ちゃんの場合は自分に声がかからなかった事に対しての嫉妬のようであった。
「そう? じゃあ、遊びに行っていいですか?」
「ああ。じゃあ行こうか」
 そういうと二人は立ち上がり可奈子ちゃんは正岡の腕にひっついて食堂を後にした。
「嫌な男よね」
 真理は本音を漏らしていた。
「ホンマ、あの男には虫ずが走るわ。ゲームプロデューサーか何か知らんけどあんな男、一番気にいらんわ」
「そらそや。お前にはわしがおるしな」
「そうやで。ウチはあんた意外目に入いらんもん」
 それは嘘だ。絶対金には目がいっているはずだ。
 真理もそう思ったのか訝しそうな目で見ていた。
「そういえば婆さん。我孫子武丸はいつになったら来るんだ?」
 村上さんはまださっきのことを気に掛けているらしい。キヨさんに詰め寄りぎみで云った。
「はぁ、私も今日のこと頼まれただけで来るかどうかは知りませんで……」
「何だって!? どういうことだ! 人を呼びつけておいて姿も見せんとは!」
「私は会ったことがないもんですから、どのような方かも解りかねるんで……」
「じゃあ、どうやって連絡を取ったんだ? やっぱり電話か?」
「やっぱりってどう云うことですか?」
 真理は村上さんの言葉に引っかかったらしい。すると村上さんは真理に向き直り口を開いた。
「私も電話でしか話したことがない。正岡もそうだといっていたよ。男か女かもわからん」
「でも、声の感じで解るんじゃあ……」
「それが奇怪な感じの声でしてな。何か嗄れたかどうかわからん声でして」
「ボイスチェンジャーでも使ってたんだろうな。仕事の話とはいえふざけた奴だと思ったな」
「よくそんな身元の分からない人と契約何かしましたね」
「業界じゃあちょっとした話になっていたよ。かまいたちの夜のシナリオを頼んだ担当者も同じ様な扱いを受けたらしい。しかし仕事はきちっとこなして送ってきたから、案外ジョーク好きなだけかも知れんということだ」
「そうなんですか」
「しかし今回は直接仕事の話がしたいと招待状にも書いてあったからな。馳せ参じたというのに。何だこの扱いは!」
 我慢ならないと云った表情で村上さんは酒を一気に飲み干した。
「嘘や。せっかく我孫子本人に会えるって思ってきたのに」
「でも、館のどこかにいるのかも知れないですよ。ジョーク好きで有名な人なんだろ? なら隠れてこそっと様子を見てるかも知れないじゃないか」
 俊夫さんは両手を軽く広げて外国人のようなジェスチャーをしてみせる。
「それにしても気味が悪いわよ。呼んでおいて姿も見せずに監視してるなんて」
「まあ、確かにそうだな。でもキヨさん。何か本人から頼まれてることがあるんだろう?」
「ええ。とりあえずは戸締まりはしっかりしておくようにとは云われました」
「他には?」
「後は、お客様はちゃんともてなすようにと。それぐらいですかいな」
「今日のイベントのことなんかは聞いてないんですか」
「いべんと? 何ですかそれは? お弁当の用意なんかは聞いてませんが……」
 俊夫さんは参ったという表情で額に手を当てて首を振った。キヨさんには理解できなかったらしい。
「じゃあどうやってイベントなんかやるんだ? 本人も出てこなけりゃ何も伝えられてないって云うんじゃあ何もすることが無いじゃないか」
「仕方ないよ俊夫君。一年前の話なんかでもして楽しもうじゃないか」
「そうですね。とりあえず再会を祝して乾杯でもしましょうか」
 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……
 乾杯を行う前に柱時計の21時を告げる時計の音が鳴り響いた。
「じゃあ、改めて……」
「……キャーーーーー……」
 再び乾杯を行おうとしたとき遠くから何かが聞こえた。女性の悲鳴……。
「何か聞こえなかった、透?」
「悲鳴のような……」
「今の声は、可奈子君じゃないか?」
 美樹本さんは云うが早いか食堂を飛び出した。他のメンバーも慌てて食堂を飛び出す。
 そこへ足をもたつかせ、壁に手を這わせながら渡瀬可奈子はみんなの前に姿を現した。
 蒼白な顔で口をパクパクさせている。美樹本さんは可奈子ちゃんを支えるようにして肩をかし何事があったのか聞いている。
「どうしたんだい可奈子ちゃん。何かあったのか?」
「……ま、正……正岡さんが」
「正岡君がどうしたんだ」
「……し、し、死……死んでた」
 一同の顔色が変わった。死んでいた。
「どこでだ? どんな風に?」
「……ま、正岡さんの部屋で、首、首から血を流して」
「わかった。みどりさん啓子ちゃん。可奈子ちゃんを頼む。正岡の部屋に行ってみよう」
 そういうと美樹本さんはポケットから部屋の配置図を取り出し走り出した。




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