焼失の謎 〜問題編1〜

     1

 2005年 2月10日 17:00

 男女4人を乗せた車はある場所へ向かっていた。
 その4人はある一つの共通点を持っている。
「わざわざ呼び出すなんてな……。世話のやける人だよ」
 運転席でハンドルを握りながらボソッと男は呟いた。
「本当ですよね……。相崎さんはK談社から全員を迎えて来てるんですもんね」
 相崎達之の隣り、助手席に座っている小太りな男が運転席に向かって相づちを打った。小太りな身体を助手席に収めている姿はさながらテディベアのようである。
「まぁ、命令とあればやらないわけにもいかないですからね……。でも面倒なのは魚沼さんもそうでしょう?」
 相崎は片眉をすぼめながら助手席の魚沼祐助に言葉を返した。
「あの大先生の言うことですからね。面倒じゃなかった試しがありませんよ。私たちはまだマシな方でしょ? 江川さんなんて足をケガしてるのに遠くまで呼び出されてるわけですからね」
 魚沼は助手席から顔をクシャっと潰して後ろを振り返りスモーク張りの窓から外を見ている女性に語りかけた。
「えぇ。でもケガであろうがなかろうが、仕事は待ってくれませんからね。むしろ運が良かったのかも知れませんよ、こうやって車に乗っけてもらっているわけですから」
 肩口まで伸びた髪をいじりながら微笑みを返して江川沙絵は答えた。
「そういえば何故足をケガしたんですか? 見たところ包帯も巻いているし、結構なケガだと思うんですが……」
 運転席後ろに座っている男がメガネのブリッジを上げて江川に質問をした。
「ついこの間なんですけど、別の作家の方の〆切が間近ということもあって書類をカバンにしまいながら急いで階段を下りていたら、その……」
「階段を踏み外した?」
 得意げな顔をして江川の方を向いて男が言うと、顔を赤くしながら江川は少し頷いた。
「稲田さんも人が悪いなぁ。江川さん俯いちゃったじゃないですか」
 ルームミラー越しに笑いながら相崎は自分の後ろに座っている男、稲田成次に言葉を発した。
「いやぁ、そういうつもりはなかったんですけどね。お気に障ったようでしたら、申し訳ないことです……」
「そんな、気にしてませんから。あの時の情景を思い出したら何だか恥ずかしくなっちゃったんです」
 手を赤くなった顔の前で振りながら江川は稲田に答えた。
「それにしても何の因果でしょうね。同じ作家先生の所に全く違う出版社の人間が一台の車に相乗りしていくなんてね」
 助手席で座り直しながら魚沼が言葉を漏らした。
「あの先生の事ですからね。何か企んでるんじゃないですか? どうせロクな事じゃないんでしょうけど……」
「そうなんですか? 私まだ一度前任者から紹介されただけで、よくは知らないんですけど」
 稲田の言葉を受けて江川は少し曇った顔で聞き返した。
「書く作品はベストセラーの間違いない人ですけどね。性格がねじくれてるんですよ」
 アメリカ人のような仕草で肩をすくめて稲田は答えた。それに被せるように相崎も口を開いた。
「江川さんは気を付けた方がいいですよ。あの先生は女好きでね。担当としてOK出されたって事は気に入られたって事でしょうから」
「そうですね。江川さんは先生が気に入るタイプの女性ですからね」
 魚沼も頷きながら言葉を重ねた。それを聞いて「そんなぁ……」と江川はまた俯いてしまう。
「だから担当から離れる人も多いんですよ。でも確実に収益の出る本を書くから縁は切るに切れないんですよね……」
 稲田は追い打ちで言葉を被せた。
「お! あのトンネルを越えればもうすぐ到着ですよ。運命共同体だけでも明るくしていこうじゃないですか!」
 重苦しい雰囲気が漂っている空気を打破しようと相崎は明るめの声で促した。
 相崎の示す先に見えてきたのは闇をたたえた小さな口だった。
「何ですか、あのトンネルは? 真っ暗じゃないですか?」
 首だけ助手席から覗かせて江川は質問をした。
「先生が住んでるのはへんぴな場所ですからね。国もこの辺りにお金を落とさないからトンネルのライトを修理してないんですよ。ずいぶん前からあのままですから」
 そう答えると相崎はヘッドライトをONにしてトンネルへ車を進行させた。
「徐行しなきゃ危ないですね。対向車が来たらどうなる……」
 魚沼が全て言い終わるより前に前方から煌々とライトを照らしたトラックがもの凄い勢いで側方を通過した。
 ……その時だった。
「うわ!!」
 突然闇が車内を覆いつくしたのである。声を上げながらも相崎は慌てて急ブレーキを踏み込んだ。
「……ゴホッ! こ、これは……ゴホ! トラックの排気ガスですかね!?」
「な、何も……ゴホ! ……見えないです! ゴホッゴホッ!」
 光のない状況で魚沼と江川が立て続けに呼吸を乱しながら口を開く。
「ゴホ! ……何で、排気ガスなんか……ゴホ! 入ってくるんだ!?」
 相崎も疑問を口にしながら車内のライトを手探りでつける。うっすらと明かりが差してお互いの顔が見えたときだった。
「稲田さん! だ、大丈夫ですか!?」
 慌てた様子で江川がうずくまっている稲田に声を掛けた。
「……ヒュイー……ヒュイー……」
 うずくまったままで稲田は苦しそうに呼吸を乱している。
「た、大変だ! 排気ガスを大量に吸い込んだんじゃないか!? 取りあえず急いでトンネルを抜けましょう!」
 その様子を見た相崎は室内ライトをつけたままで走行を再開した。少しだけ排気ガスの薄れたトンネル内をできうる限りの速度で走り出す。
 しばらくすると光の口が見えて来た。それにめがけて相崎はアクセルを踏み込み車を疾走させた。
 トンネルを抜けた少し先で車を停車させると相崎と魚沼は車外に出て稲田の座席の方のドアを開ける。
「大丈夫ですか!? 稲田さん!」
 後部座席でうずくまっている稲田を車外に出し、身体を支えながら魚沼が語りかける。
 稲田はその声に少しだけ頷いて見せ「……大丈夫です……ヒュイー……しばらくすればおさまりますから……」と手を挙げながら応えた。
「あ! 稲田さんの所の窓が開いていたのか!」
 その様子を横目に相崎は3分の1ほど開いた窓を見て声を上げた。
「稲田さん。トンネルに入ったときには窓を閉めてくれなきゃ困りますよ」
 眉をひそめて相崎が言うと「……ヒュ……すみません。……ご迷惑をおかけして」と声を絞りながら稲田は応えた。
「呼吸がおかしくなったのもそのせいですか……。ゼンソクの気があるならなおさら気を付けなきゃ……。でも無事で安心しましたよ」
 安堵の表情で江川が応えると「……もう、大丈夫ですから。ご心配おかけしました」と魚沼の肩をかりながら立ち上がり稲田は謝罪した。
「じゃあ、気を取り直して再出発しますか!」
 明るく声を張り上げて魚沼は相崎に笑顔で促した。
「そうですね! じゃあもう一度乗り込んでください! 新鮮な空気の入れ換えもしたいから、ここからは窓を開けていきましょう!」
 相崎が言葉を受けて全員に促すとエンジンをかけ直し、出版社一同を乗せた車を発進させた。

     2

 同年 同日 17:40

「さぁ、到着だ」
 相崎は声と共に車を洋館の前に停車すると運転席で小さな伸びをした。
「運転ご苦労様です」
 後部座席からねぎらいの言葉をかけて江川も同じ様な仕草を行った。
「疲れるのはこれからですね。あの先生に挨拶に行かなきゃいけない」
 魚沼は一息つくと太った身体を折り曲げて車外に出た。それに習って他のメンバーも車外に出た。
 一同は車のトランクから各々の荷物を取り出しはじめる。
「あ、すみません」
 江川の荷物を稲田がトランクから取り出してやっているのに気づき、江川が会釈した。
「いえ、先ほどご迷惑をおかけしましたからね。足にも負担がかかるでしょう。運んでいきますよ」
 稲田は細身の腕で荷物を持つと江川に応えた。
「じゃあお言葉に甘えさせていただきます」
「よし、荷物は全部出したみたいですね。じゃあ先生にご挨拶と行きますか」
 二人のやり取りを聞き終えた相崎はドアにロックをかけ全員を振り返って言った。
「今日も『あっち側』にいるのかな?」
「ん? 『あっち側』ですか?」
 魚沼の言葉にキョトンとした表情で江川は聞き返す。
「江川さんはここには来たことがないんですか。『あっち側』って言うのはこの洋館の裏口の方にある先生専用の離れのことですよ。大抵はそちらで作業なさっていて、泊まり客はこっちの洋館で泊まることになるんです」
 荷物を両手に持ったまま稲田はアゴで洋館を指し示した。その説明を聞いて「そうなんですか」と江川も納得してみせる。
「できることなら離れには行きたくないんですよね……」
 苦虫をかみつぶした顔で相崎が言うと残る一同は小首を傾げた。
「あそこには先生お気に入りの虫の標本があるでしょう……。私は虫が大の苦手なんですよ……」
 想像したのか少し身震いをしながら相崎は答えた。
「でも標本は地下側にあるから大丈夫でしょう? 一階側の応接場所なら見なくてすむのでは?」
 魚沼が言うと江川が今度は反対側に小首を傾げる。
「地下側? 一階側?」
「先生の離れは部屋内に直線のスロープで繋がった一階と地下があるんですよ。一階が大体接客スペースで、地下が先生の専有スペースになってるんです」
 江川の疑問に稲田は即座に応えた。続けるように魚沼が口を開く。
「何でも昔からの夢だったらしいですよ。秘密基地のように地下に自分の部屋を作ることが。そこに趣味の標本を飾ってあるって事なんです」
「でもたまにそこから標本を持ち出してくるんですよ。それが私には耐えられなくて……」
 また思い出したのか苦々しい表情のまま相崎が魚沼の言葉を受けた。
「じゃあ挨拶だけさっさと済ませて洋館の方に引き上げましょう。用があったらまた内線電話で伝えてくるでしょうしね」
 稲田がニコッと笑いながら言うのを聞いて「そうしますか」と少し表情を明るくして応える。
「行きますか!」
 魚沼の声に全員は頷くと洋館を迂回して『あっち側』へと向かった。

     3

 同年 同日 18:00

 灰色の監獄を思わせる建物に近づくと相崎は木製のドアについているインターホンを鳴らした。
 しばらくするとインターホン越しに『どちらさんかな?』と声が返ってくるのを聞き「K談社の相崎です。全員無事到着いたしました」と返した。
『そうか』
 インターホンから聞こえる無機質な声をうけて木製のドアを引き開けて一同は離れの中へ足を踏み入れた。
 建物の中は外観以上に監獄めいていた。すべてが打ちっ放しのコンクリートで構成されているのだ。しかし空気はジメッとしているでもなく澄んでいた。空調を効かせているのである。
 入ってすぐ目に飛び込んでくるのは赤い絨毯の上に置かれたガラス製のテーブルである。絨毯はテーブルより少し大きく切られていて床全面に張り巡らされていない。
 この空間に似つかわしくないテーブルの上には大理石でできている灰皿やマッチ箱、果物を盛り合わせているカゴと果物ナイフが置かれていた。
「先生は出迎えてはくれてないな。やっぱり奥に行かなきゃいけないのか」
「なら、私が先に行きましょう。出てきてもらうように声を掛けますよ。
 相崎が頭をかきながら言うのを聞いて魚沼が任せておけと言わんばかりに胸を張った。
 テーブルを迂回するように右斜め前方へ魚沼は進んだ。
 四角に切り取ったような闇に魚沼は入っていく。ここが地下へ通じるスロープなのである。電気をつけられていないスロープは真っ暗で、客間からこぼれる光と壁伝いに手を当てて進路を確保していく。
 しばらく進むと壁に手のひらに収まるくらいの凸を確認し魚沼は押し込んだ。
 チカチカと明滅をくり返しスロープ内に光がともった。すぐ前に浮かび上がったドアを魚沼は控えめにノックした。
「魚沼、相崎、稲田、江川、4名ただ今到着しました。皆も先生にご挨拶をしたいと……」
「わかっておる! 今忙しい! また後で個別に呼ぶから適当な部屋で待っておれ!」
「……失礼いたしました。ご用ごとがあればお申し付け下さい。では失礼します」
 魚沼はドア越しにムスッとした表情を浮かべながら言葉だけは丁寧に残しその場を去った。

「……どうでしたか?」
 スロープから出てきた魚沼に稲田が声を掛けた。
「洋館の方で待ってろということです。後で個別に呼ぶと仰ってました」
 魚沼の言葉を聞いて一同は肩をすくめてみせた。
「お言葉通りにしますか……」
 江川が全員の顔を見渡して言うと男達は皆頷いて離れを後にした。

    4

 同年 同日 18:25

 一同は洋館の二階に上がりそれぞれの部屋を決めると一度荷物を部屋に置いてから一階の食堂に集まることにした。
 食堂に相崎、稲田、魚沼が順に集まり、最後に足をかばいながら江川が顔を出した。
「それにしても直接呼び出すなんてどんな用なんですかね?」
 車内で一度口にした疑問を稲田が再度口にした。
「何でしょうね? 一同に集めるなんて今まで無かったことですからね」
 魚沼も続いて応える。
「もしかして、日頃の労をねぎらってくれるとか?」
 江川のこの言葉に一同はかぶりを振った。
「そんなことをするタイプの先生じゃないですよ。今まで一度もそういったこともなかったですからね。出版させてやってるぐらいの勢いの人ですから」
 嫌悪感丸出しの顔で相崎は否定した。それに合わせて稲田と魚沼も頷いてみせる。
「さっきの応対からしてもそんな雰囲気はみじんも感じませんでしたよ。本当に考えてることが全然解らないですからね」
 魚沼も相崎に続けとばかりに悪態をついてみせた。
「後で呼ぶって言ってたくらいですからね。それまではゆっくりしませんか? ちょうど夕食時ですし」
 稲田は腕時計を見ながら皆に提案した。
 時刻は18時30分になっていた。
「じゃあ飯でも作るか。それに少し寒くなってきたからストーブも付けますか」
 そう言うと相崎は席を立ってストーブに近づきコックを捻った。しかし何度捻ってもストーブに火がともる気配はなかった。
「あれ? あ、灯油が切れてるな……。取りに行かなきゃいけないか……」
 軽く舌を鳴らして相崎は呟いた。
「灯油が切れてるんですか? じゃあ私が取りに行ってきますよ」
「灯油を買いに行くんですか?」
 魚沼の言葉を聞いて江川が疑問を挟んだ。
「いや、二階の階段を上がって目の前に部屋があったでしょう? あそこに灯油があるんですよ。物置になってるんです」
 魚沼は席を立って江川の方を向きながら応えた。
「私は灯油を取ってきますから、皆さんで食事の用意をしていただいてもいいですか?」
「ええ、いいですよ。魚沼さんは何が希望ですか?」
 食堂のドアに手を掛ける魚沼に稲田は聞き返した。
「そうだなぁ……。できればスプーンで食える物。カレーとかがいいですかね!」
「カレーか。いいですね。手軽に作れますしそうしましょう」
「すみませんねぇ。あまりフォークとかナイフみたいな物使うのがダメなんで……」
 魚沼は頭をかきながらすまなそうに稲田に言った。
「あれですか? 先端恐怖症とか?」
「……はい。お恥ずかしながら」
 照れた表情で魚沼は応えると「じゃあお願いします」と残して食堂を後にした。

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