矛盾の証明 〜問題編1〜

     1

 2007年 1月17日 12:30

 出席票だけ出せば単位をもらえる授業も終わり、俺はコンビニで買った弁当を持って部室へ向かった。
 本日最終の5コマ目にも同様の授業がある。
 それさえなければ今は帰路についている。
 部室へはその間の時間つぶしに行くわけだ。
「おい〜っす」
 いつもの如く軽い挨拶と共に部室のドアを開けると後輩が一人だけ椅子に座ってノートパソコンに向かっている。
「こんにちは、針生先輩」
 後輩の周防健太郎は顔を向けて爽やかな挨拶を返してきた。
「相変わらずの執筆活動か? 精が出るね〜」
 一つ離れた椅子に腰掛けコンビニ袋をガサガサしながら俺は周防を茶化した。
「先輩も卒業前の会報の原稿を上げてくださいよ」
「ん? ああ、やるやる。お前がそんなに気にするなって」
「針生先輩包囲網ができてるの知らないんですか? 部員全員に針生先輩の顔を見たら言うように通達が出てますよ」
 とんでもない通達が広がっているものだ。
「会津の仕業だな。あいつもう少し肩の力を抜けって言ってやってるのにな」
 会津とはミステリー研究会の部長で歴代の部長の中でも締め切りにうるさい女として部員には知られている。
「先輩が肩の力を抜き過ぎだって会津先輩は言ってましたけどね」
 眉を八の字にしながら周防はかすかに笑った。
「大丈夫だって。俺は卒論出さないし、その時間を縫って今回は出してやるよ」
「え? 先輩、卒論書かないんですか!?」
 キーボード入力の手を止めて目を丸くしながら周防が言う。
「俺は法学部だからな。絶対に卒論を出さなきゃいけないわけじゃないんだよ。卒論は出さなくても卒業できる」
「へぇ〜。初耳ですよ」
「他の学部は知らないけどな。法学部は大体が大丈夫なんだよ」
 弁当のハンバーグをほうばりながら俺は少し得意げに教えてやった。
「でもゼミの先生につつかれませんか?」
 周防は心配性で真面目な男だ。
 こんなに気を遣って生きてて疲れはしないかとこっちが気を遣いそうになる。
「それも大丈夫だ。なんせ4回生の俺達は就職活動って免罪符がある。ゼミはその辺も加味して出席をしなくても単位はくれるんだよ」
「じゃあゼミには出席してないんですか?」
「しないでいい苦労はするべきじゃないぞ周防」
 今度はから揚げを摘まみながら先人の知恵を教えてやる。
 ミックス弁当の中身のように詰まった話で周防も嬉しいことだろう。
「だから何だ。楽できるところはとことん楽をしないと大学生活はまっとうできないというわけだ」
 我ながらなんと優しい先輩なんだろう。
 堅い頭をやわらかく。ミステリーにも通じる考えを惜しげもなく教えてやれるやつはなかなかいないだろう。
 そんな事を考えているとポケットから軽快な電子音が流れてくる。
 音の主である携帯を取り出し液晶に目をやった。
 噂をすれば何とやらで、相手はゼミ仲間の国分寺だった。
「おう、どうした。また麻雀か?」
 いつもの誘いじゃないかと思い笑いながら出てやると、どうも雰囲気が違う。
「は? 何だって!?」
 頓狂な声を上げていたのか周防がこちらのやり取りを見ている。
「……何だよそれ。面倒くさい話だな。あいよ、解ったよ。とりあえず弁当食ったらすぐ行くわ。おう、じゃあな」
 携帯を切手から俺は大きく一つため息をついた。
「何かあったんですか?」
 心配かそれとも好奇心か周防は何があったのかを聞いてくる。
「いや、まぁなんだ。ゼミに出なきゃならなくなったんだわ……」
「卒業論文のことですか?」
「何だ、お前まで知ってるのか!?」
「え? 卒業論文を提出しろって話じゃなかったんですか?」
「あ、そうか。いや、何でも卒論が盗まれたらしくてな。それで話をしなきゃいけないそうだ」
「ぬ、盗まれた!?」
「電話ではそう言ってたな。まだ確定ではないらしい」
「失くなったとかそういう事ですか」
「詳しくは行ってからでなきゃ解らないだろうけどな。あ!」
「今度は何ですか?」
 電話の終わりに『まだゼミ生以外には言わない方が良い』と言われていた事を忘れていた。
「この話はここだけって事にしておいてくれ。口外無用な、な?」
「解りました」
 俺以上に神妙な顔をして周防は頷いた。
 その様子を見てから残りの弁当を口に突っ込み俺は携帯をポケットにしまいこんだ。
「じゃあ行くわ。くれぐれも、な?」
「口外無用ですね」
 周防に小さく頷き返して俺は部室を後にした。

     2

 2007年 1月17日 13:15

「よお!」
 ゼミの教室に入ると国分寺が片手を上げて声をかけてくる。
 俺もその声に反応をしてから国分寺の隣に座った。
 まだ他のゼミ生は来ていない。
「まったく面倒で嫌になるよな」
「俺だってこんな事がなきゃゼミになんて来ねぇよ」
 国分寺は俺の言葉を受けて同じ気持ちを言葉にした。
「それで、卒論が盗まれたって?」
「若峰教授の部屋から卒論が無くなったらしいんだよ」
 ゼミ担当の教授は俺達を初めてゼミ生として受け持つ若い教授だ。
 まだ30前半だったと思うが、専攻のゼミ内容より見た目でゼミを申し込むやつらも多かったらしい。
 もちろん俺もその中の一人だが。
「でもそれが『盗まれた』に直結するか? ただ単に失くしただけなんじゃないのか?」
「俺も詳しくは知らないんだけどな。管理しておいた箱は触ってないから失くなる事はまずないらしんだ」
「箱? なんだそれ」
「お前、卒論の提出してないのか?」
 頷いてみせると国分寺は小さくため息をついて説明をしてくれた。
 卒論を若峰教授の部屋に持っていくと、所定の箱に入れるように言われるらしい。
 それでゼミ生は提出する卒論を箱の中に入れて完了となるということだ。
 箱はA4サイズの用紙が収まるくらいのお菓子が入っていたもので、フタもついている物だそうだ。
 国分寺が入れたときはフタは箱の底に受け皿のように被せられていたらしい。
「じゃあ箱ごとなくなったのか?」
「違うわ。中身だけよ」
 俺達の会話を外で聞いてたのか、それとも俺達が話に夢中で気付かなかったのか、会話に上手く入ってくる女がいた。
 ゼミ生の桑島だ。
 俺や国分寺と違い普段からゼミに出席するタイプなので詳しく知っているのだろう。
「立ち聞きとは良い趣味だな」
「あなたたちの声が大きいのよ。今も見てきたとこなんだけどね。それより来てるのは針生くんと国分寺君だけ?」
「見てきたところってなんだよ?」
 とこれは国分寺。
「あなたたち二人とあとは木谷くんだけがまだ教授室に来てないからゼミ室を見に行ってくれって言われたのよ。他のみんなは教授室にいるわ」
「なんだよそれ。教授室に集まるとか言われてなかったぞ?」
「誰から連絡受けたのよ。今日は教授室に来るよう連絡回ってるはずだけど?」
 桑島の言葉を聞いて俺は国分寺を睨んだ。
「俺じゃねぇよ。俺だって木谷から聞いたんだぜ」
「木谷くんか……。彼なら言いそびれてもおかしくなさそうね」
 木谷は少し抜けている。
 ゼミの飲み会を開いた時も店の場所を教えられたからそこで待っていると、別の集合場所で本人は待っていたことがある。
 その犠牲を食らったのは俺と桑島だった。
 電話がかかってきて『集合時間に遅れるのか?』と聞かれた時は呆れて物が言えなかったくらいだ。
 確かに奴ならあり得る……。
「またあいつだけ教授室に直接行くパターンか?」
 俺は口角をヒクつかせていると桑島の携帯が鳴った。
「……そう。こっちは二人いるから今からそっちへ行くわ」
 電話を切った桑島が「そのまさかよ」と言った時に俺と国分寺は同時にため息をついた。

     3

 2007年 1月17日 13:30

「何やってんだよお前ら」
 教授室に着くなり木谷は呑気な顔して聞き覚えのある言葉を口にした。
「お前が何やってんだ」と言う気力も起こらない。
「これで全員ね」
 若峰教授が俺達を確認して言った。
「針生くん、ドアを閉めてくれる?」
 最後に入室した俺は言われたとおりにドアを閉めた。
 若峰教授の教授室は整理されていてゼミ生全員が入っても広く感じた。
 4回生のゼミ生は俺も含めて8人だ。
 先に来ていたゼミ生に椅子を取られていて後から来た俺達は立ちんぼを食らわされている。
「あなたたちが来るまで他のみんなにも探してもらったけど、やっぱり卒論はなかったわ」
 教授の言葉を受けるようにして箱を俺や国分寺に見せたのは片岡というゼミ生だ。
 周防のような真面目なタイプで、飲み会などで聞く話だと毎回出席しているらしい。
 唯一違いそうなのは性別が女性だという事くらいかもしれない。
「それが卒論が入ってたっていう箱ですか」
「なに針生くん、箱の事知らないってまだ出してなかったの?」
 と嫌味ったらしく言ってくるのは園崎という俺や国分寺、木谷タイプの女だ。
 要はゼミにあまり出席しない組。
「お前は出したのかよ」
「当然でしょ? 他のみんなも出したって言ってるわよ」
「出してないのはお前だけらしいわ」
 関西弁で追い打ちをかけてくるのは萩原だ。
「普段のゼミに対する態度がそのまんま出とるな」
 余計なことを言ってくれるから教授の顔も曇ってしまう。
 もの凄く居心地が悪い。
 身から出た錆ではあるが……。
「今はそんな話じゃなくて失くなった卒論の話でしょ」
 反れてきた話題に修正を加えたのは黒澤というメガネをかけた、片岡に引けをとらない真面目女だ。
「失くなった話はさっき軽く国分寺から聞いたけど、盗まれたとも聞い……」
 話している途中で桑島がわき腹を肘で小突いてきた。
 それで少し空気が変わっていることに俺も気付いた。
 皆が片岡の方をチラチラと見ている。
「私が盗んだんじゃないかって言われてるのよ」
 困ったような笑顔をしながら片岡は皆の視線を払うように言った。
「状況から考えると私だろうって」
「状況ってなんの、どんなだよ?」
 国分寺も状況がわからないようで聞き返した。
「順を追って説明するわね」
 教授が小さく息を一つ吐いて話し始めた。
 最後に卒論を提出したのが萩原だったらしいが、萩原が提出した日に失くなったという事。
 萩原が提出してから教授は一緒にこの部屋を出たらしい。
 それが今日の10時頃。
 教授は別の教授室へ行き、萩原は授業に向かった。
 授業へ向かうところで萩原は片岡とすれ違う。
 時間にすれば教授と別れて5分くらいだから10時5分頃だそうだ。
 そこから別の教授にレポート提出をしていた黒澤がこの部屋へ入る片岡を見たとの事。
 その時間が10時10分前後。
 教授が自室に戻ったのが10時20分頃だったが、その時に失くなっていた。
 鍵はすぐ戻るつもりだったからかけていなかったらしい。
 つまり卒論があった10時から卒論が失くなる10時20分頃までにこの部屋に入ったのが片岡だけだということだ。
「でも卒論がなくなるまでの間に部外者が入って盗んでいったって事もあるんじゃないのか?」
 国分寺が言うと萩原がすぐに否定をした。
「それはないやろ。部外者が卒論盗んでどうすんねん。他の物には手がつけられてなかったらしいし、卒論に関わってるやつが犯人の可能性が高い」
「じゃあ片岡以外でもこの中の誰かが入って盗む事だってできたんじゃないか?」
「そこで知りたいのよ。私と園崎さんは一緒の授業に出てたの。その授業開始ギリギリに萩原君が入ってくるのも見たわ。黒澤さんはその時、別の教授のところにいた。片岡さんにはアリバイが無い。となるとあなたたち3人はその時どうしてたかを教えて欲しいの」
 木谷の疑問に答えつつも桑島はこちら側に聞き返してきた。
「俺はその時は図書館で映画借りて見てたよ。借り出しと返した時間を見てもらえば解るね」
 木谷が言う図書館は大学内のものだ。
 図書館内で映画のDVDなども貸し出していて、持ち帰りはできないようになっている。
 その場で鑑賞して返すようになっているので、時間を潰す時にはもってこいの施設だ。
 俺は殆ど見たことのある映画ばかりだから時間が潰れないので部室によく行くのだが、生徒の利用度は高い。
「じゃあ国分寺くんは?」
「俺か? 俺はそろそろ下宿を引き払おうと思って、朝一番でいらない本とかゲームを売りに行ってたよ。え〜っと、ほらレシート」
 国分寺が財布から出したレシートには10時30分と記載されている。
 日付も今日のものだ。
 駅前にある店だし査定の時間も含めて考えればアリバイがあると考えて良いだろう。
「あとは針生くんだけね」
 全員の視線が俺のところへ集中する。
「俺だってアリバイならある。出席確認のある授業に出てたからな。ほら、出席の鬼の宇多の授業だよ」
 それを言うと皆は「あ〜」と声を漏らした。
 宇多は出席さえしていれば単位はくれるが、出席だけは徹底した取り方をしている。
 授業開始直前に小さな出席用紙を自分の前に置き、生徒に取らせる。
 開始のチャイムが鳴ると同時に出席用紙は宇多がポケットにしまい込み、講義室に鍵をかける。
 途中入場、途中退室厳禁なのだ。
 過去に用紙を複数とって、出席している生徒に出させようとしたやつがいたが、そこは鬼の宇多。
 日ごとに用紙の色は違うわ、その日ごとに宇多オリジナルの記号を直筆で書いているわ。
 さらには出席している生徒ごとにファイリングするわの徹底ぶり。
 筆跡が多少違えばその時点で頼んだ奴も加担した奴も単位が水泡に帰してしまう。
 出席すれば単位がもらえるのは、出席確認だけに力を尽くしてテストの採点なんてろくすっぽしてないんじゃないかという噂が立つほどだ。
「ごまかしようがないもんね、宇多教授は」
 園崎が頷きながら俺のアリバイを認めた。
「となるとやな、やっぱり片岡しかおらんようになるわな」
「でも私は盗ってないわよ」
 片岡はキッパリとした口調で言う。
「私も誰も盗ってないとは思うの。盗ってないと思いたいの方が本心かしら」
 教授は片岡をフォローするように言った。
「だからここは彼女が無実であるかどうかを皆で決めて欲しいの」
「決めるってどうやってですか?」
 黒澤は疑問を若峰に返した。
「彼女をゼミ内裁判で無実かどうかを決めるのよ」


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