2007年 1月17日 17:30
最後の授業も出終わり、俺は大学近くの喫茶店へ向かった。
足取りは重い。
「ゼミ内裁判て、どないするんですか?」
「そうね……役割を決めて進めてもらいたいの」
今でも萩原と若峰教授のやり取りが思い出される。
「それじゃあ、弁護人は針生くんがお願いね」
教授の言葉で俺以外が異議なしなんていうから、片岡の弁護人をやる羽目になった。
喫茶店へはその打ち合わせのために片岡に会いに行くわけだ。
ドアを開けるとカウベルが小さく鳴り、奥まったところに座っている片岡が見えた。
ウェイトレスには連れが先にいることを伝え、片岡のテーブルに向かった。
呑気なのかどうなのか、片岡はヒラヒラと手を振っている。
「待たせたな」
「ううん。そんなに待ってないわ」
椅子に腰掛け、ホットコーヒーを注文してからため息を一つ吐いた。
「ゴメンね、面倒なことになっちゃったみたいで」
「お前が気にすることじゃないだろう。やってないんだろう?」
俺の問いに片岡は小さく頷き返すが、本心では面倒だと感じていた。
「早速だけど、お前教授の部屋に何しに行ったんだ?」
タバコに火をつけ質問した。
さっさと終わらせたかったからだ。
「朝一番にね、教授の部屋に荷物を運んだの」
「荷物?」
「バスで教授と一緒だったんだけど、重そうなもの持ってたから手伝いますよって。新しい本だとかを家から持ってきてたみたいで」
「へぇ〜、それで?」
「運んだあとに教授がお茶を出してくれたの。その時に携帯を使ってたんだけど、そのまま置き忘れて私、授業に行っちゃったのよ」
「その携帯をとりに行ったってわけか?」
片岡は頷き、先に来ていたコーヒーを一口飲んだ。
「じゃあその時……携帯をとりに行った時なんだけど、卒論はどうだった?」
「卒論? あったかな……ごめんなさい。携帯をとりに行っただけだからそこまでは見てないのよ」
俺はタバコの煙をため息と共に吐き出した。
その時に卒論があるかないかで犯行の時間も狭まると思ったからだ。
「携帯をとってからはすぐに教授の部屋は出たのか?」
「うん。教授もいなかったし、特別することもなかったし、そのまま出たわ」
「なら今のところはただの状況証拠でお前が犯人にされてだけじゃないか」
「でもやってないのよ……」
困り果てたように片岡は俯いている。
その様子を見てコーヒーを運んできたウェイトレスが気を遣うような控えめな声で「ごゆっくり」と言って去っていた。
端から見れば別れ話にでも見えるのだろう。
「黒澤が見たって言ってたけど、片岡は気付かなかったのか?」
「うん……。入っていくところを見たって黒澤さんも言ってたし、私は気付かなかったわ」
そこで俺は違和感を覚えた。
「ちょっと聞きたいんだけど、若峰教授以外の部屋のドアは開いてたか?」
「若峰先生以外の部屋? う〜ん、開いてなかったと思うわ」
若峰教授の部屋は廊下の奥にあり、廊下ならびに他の教授の部屋がある。
黒澤が片岡の姿を見たのであれば、開いていたドア越しに廊下を歩く姿を見る以外ないはずだ。
ところがどこの部屋もドアは開いていなかった……。
となると黒澤はどうやって片岡の姿を確認したのだろうか?
「ねぇ、それが何か関係あるの?」
「ん? いや、少し気になることがあっただけだよ」
これは直接次回のゼミで確認する必要がある。
俺はコーヒーに口をつけながら次のゼミに何をすべきか考えた。
5
2007年 1月24日 13:30
「え〜っと、それじゃあ裁判を始めます」
やる気なさそうに開廷の合図を始めたのは木谷だった。
俺と同様に裁判長に任命されて面倒くさいのだろう。
両脇では園崎と国分寺がノートパソコンで入力を始めている。
記録係として、園崎が弁護側の供述を。国分寺は検察側の供述を入力している。
「それではまず卒業論文を盗まれたと思われる被害者の若峰教授側からの証言をお願いします」
なれない裁判長に促され、若峰教授が証言台の机の前に立った。
「今回の内容は若峰教授が管理されていた卒業論文の紛失、及び盗難されたと考えられる事について立証していきたいと思います」
桑島が淡々とした口調で語り始めると何故か俺も背筋を伸ばしてしまった。
「それでは検察側、若峰教授への質疑お願いします」
「はい。それではまず、卒業論文が失くなった時の状況について話していただけますか?」
桑島に促され、若峰教授は大まかな事件の流れを口にした。
以前聞いていた内容と相違ないことを確認しながら俺は頷いた。
「ありがとうございます。それでは教授が部屋を空にしたおよそ20分間に失くなったと考えていいようですね」
「はい、そうだと思います」
「裁判長、以上の流れにより盗まれたとするならば片岡さん以外に犯人は考えられないように思われます。以上です」
桑島はそれだけ言うと椅子に座り俺のほうを見てきた。
満場一致で桑島が検察に決まったとはいえ、様になっていた。
「それでは弁護側、若峰教授に質疑をお願いします」
俺も負けていられない。
「教授、失くなった後のことについてお伺いしたいのですが。卒論が見当たらなくなった後はどうされましたか?」
「卒論が失くなっていたので、どこかへ行ってしまったのか念入りに確認しました。箱を触った覚えはなかったですけど、どこかの資料に紛れていないか部屋内をチェックしました」
「なるほど」
「それでも見当たらなかったので、片岡さんに電話で連絡しました。卒論がどこへいったのか知らないかと」
そんな話は聞いていない。
喫茶店で片岡はどうして言ってくれなかったんだ。
「なぜ彼女に連絡を?」
「いつもゼミで資料の整理などをするときには手伝ってくれるので、彼女に連絡を取って何か知らないかを聞いてみたんです」
「それは何時ごろでしたか?」
「調べてからだったので、多分11時30分頃じゃなかったかなと思います」
卒論が紛失してから大体1時間くらいして電話をかけたのか。
「解りました。裁判長、俺からは以上です」
「じゃあ、次だな。え〜っと、それでは被告人の片岡さん前へ」
若峰教授と入れ替わるようにして今度は片岡が証言台へと立った。
「それでは弁護側、証人尋問をお願いします」
「片岡さん、今回の時間背景の確認をしたいと思います。まずはどうして教授の部屋へ行ったのか説明をお願いします」
俺は弁護士さながらの口調で片岡に促した。
片岡は喫茶店で語った時のように携帯電話を取りに行った旨の説明をした。
「それでは携帯電話のみを取りに行ったと。その時卒論はどうでしたか? その場にはありましたか?」
「携帯電話を取りに行っただけなのでそこまでは見ていませんでした」
「ではその時には卒論があったかなかったかは解らなかったと」
「はい、そうです」
「携帯電話を取ってからはどうしました?」
「教授もいませんでしたし、すぐに部屋を出ました」
「解りました。裁判長、彼女には確かに時間的なアリバイはないようですが、彼女が盗んだという決定的な証拠はないと考えられます」
木谷に向かって述べると「わかりました。それじゃあ検察側は反対尋問をお願いします」と促した。
「片岡さん、あなたは教授の部屋へ携帯電話を取りに行ったとのことでしたが、携帯電話はどこにありましたか?」
「えっと……教授のデスク脇にある小テーブルの上にありました」
「私が卒論を提出した時には同じく小テーブルの上に箱がありました。裁判長や他の方々はいかがですか?」
桑島に質問されて他のゼミ生も異論がないという風に頷いて見せている。
「萩原くんが最後に卒論を提出した時にも小テーブルにあったわけです。であれば必ず目に入っていたはずですが、どうして見ていないのですか?」
やられた。
片岡は俺にそんな事は何も言っていなかった。
だが以外にも片岡は心配をよそに自分で弁護をするように話し始めた。
「私は一番初めに提出したのですが、その時は箱に入れなかったんです」
「箱に入れなかった? じゃ、じゃあどうやって……」
「教授に直接渡したんです。箱に入っていることも卒論が失くなった後で初めて聞きました。だから箱にはあまり関心がなかったんです」
桑島は少し悔しそうにしている。
何とか回避はできたが俺まで肝を冷やすような展開に仕向けるのは勘弁して欲しい。
「教授、今の片岡さんの話は本当ですか?」
「ええ、間違いないわ」
教授の駄目押しが入り桑島は攻め手をなくした様だった。
「わかりました。裁判長、私からは以上です」
桑島は悔しげに椅子に座ると木谷から新たな声がかかった。
「それでは次は検察側の証人、黒澤さん証言台へ」
6
2007年 1月24日 14:15
「検察側、それでは証人尋問を始めてください」
椅子についたのもつかの間、桑島は再び尋問へと入った。
「黒澤さん、あなたは片岡さんが教授の部屋へ入っていった姿をみたという事ですが、そのことを詳しく教えていただけますか?」
「はい。私は別の教授のところへレポートの提出に行きました。その時に彼女が部屋へ入っていくところを見ました」
「時間は?」
「10時10分頃だったと思います」
「彼女以外に誰かが入っていく姿などは見ていないわけですね?」
「はい、見ていません」
「では、彼女以外に犯行が行えたと思いますか?」
「お、おい! 異議あり! 裁判長、今の証言は証人を誘導しています」
「以上です」
桑島は俺の言葉を抑えるようにして尋問を終了した。
嫌な手を使いやがる。
「では弁護側、反対尋問をお願いします」
「黒澤さん、あなたは被告人が部屋に入る姿を見たという事ですが、彼女が出て行く姿は見ましたか?」
俺の質問に対して少しムッとした態度でめがねを上げると黒澤は口を開いた。
「私はレポート提出に行ったんです。彼女が出てくるところまで見ていません」
「そうあなたはレポートの提出に行った。であればどうして片岡さんの目撃ができたんでしょうか?」
「仰っている意味が解らないのですが……」
「被告人の証言によると廊下並びの部屋は全てドアが閉まっていたそうです。であれば、あの奥まった部屋を通過している被告人をどの部屋から見たのか知りたいのですが」
ぽかんとした表情で黒澤は俺を見ている。
「私は提出しに行ったんですよ? 彼女が歩いていった後を歩いてたから目撃できたんですけど」
「へ?」
俺は思惑と違った事を言われて頓狂な声を出してしまった。
「彼女が部屋へ入った後に別の教授の部屋へ入ってレポートの提出をしました。その後はしばらく教授の部屋で話していました。11時頃まで話していたと思います」
何てこった。
てっきり部屋の中にいてアリバイがあったのかと思ったがそうではなかった。
だがこんなことで怯んではいられない。
「であれば彼女が最後に入ったことの証明にはならないのですが、そこはいかがですか?」
「そうですね……私は彼女が入って行った後の姿は見ていないですから、そこまでは何とも言えません」
助かった。
そうだ、片岡が出て行って以降の空白の時間があるじゃないか。
であれば誰かがまた部屋に入っていった可能性だってある。
「裁判長、今の証言で得られたことがあります。被告人は最後の入室者であるという確固たる証拠がなくなったという事です。であれば疑わしきは罰せずで彼女が犯人であるという事を決定付けるには至らないと私は考えます」
そう伝えて椅子に座ると木谷は「やるなぁ、お前」と小さく感心した。
「ちょっと木谷くん。公平を期した発言してよね」
ムッとした表情で桑島が指摘すると木谷は慌てて居住まいを正した。
「あ〜解った解った。で、判決なんですけど……どうしましょうか教授?」
裁判長らしくない発言を続けると教授は「今決めかねるなら来週までに考えておいて」と頭を抱え気味に答えた。
「それでは判決は来週! それまでに検察、弁護人とも何かあるかは調べておいて下さい」
解放されたように立ち上がりながら「以上で今回は閉廷します!」と声高らかに裁判長は締めくくった。
*
「ふー何とかまとまった」
「私もギリギリよ」
園崎と国分寺は必死の入力から解放され肩を回したり背伸びをしたりしていた。
「お疲れ様。それじゃあプリントアウトしてくれる?」
教授の言葉に頷き二人はプリントアウトの準備に入っていた。
「やるやんけ、針生。お前で弁護務まるか思ってたけど大丈夫やったな」
プリントアウトを待っているところに萩原が声をかけてきた。
「俺だってギリギリだよ。まぁ俺にかかればこんなもんだろうけどな」
してやったり顔で桑島を見ると「私は本意気じゃないわよ」と強がってきた。
「大体、今回は弁護の方が有利よ。そもそも証拠もないのに片岡さんを攻めなきゃいけないんだから」
桑島のいう事はごもっともなことだ。
今回の内容だと片岡を犯人に仕立てるのではなく、どちらかといえば彼女の無実の証明のために裁判をしているようなものだ。
「ところで先生、卒論なんですけど大丈夫なんですか?」
「学生課には話をしてあるわ。卒論の締め切りまでまだあるからその辺りは大丈夫よ。提出も締め切りギリギリで大丈夫。パソコンでプリントアウトするだけの状態であれば締め切り最終日に持ってきて」
「来週が確かゼミの最終ですよね? その時に渡せば良いんですか?」
黒澤が質問すると「みんなも忙しいでしょ? 最終日でいいわ」と教授は答えた。
「ただ針生くんはできれば来週に持ってきてね。内容の確認をしたいし」
とんでもない期限を作られてしまった。
来週もゼミに来なければいけないのだから、提出せざるを得ない……。
一気に予定が詰まってしまった……。
「は、はい。来週持ってきます……」
弁護士を解放されて、結局は卒論に拘束されるとは……。
「プリントアウト完了しました」
呑気に国分寺が持ってきた裁判記録を読む気には全くなれなかった。
7
2007年 1月31日 12:30
全く乗り気でない卒論を携えて、俺は例のごとく部室に参上した。
2週間前と同じく周防が部室にいて、今日は小説を読んでいた。
「どうしたんですか先輩。浮かない顔をして」
読みかけの小説を閉じて周防が話しかけてきた。
「どうしたもこうしたもない。結局卒論を出す羽目になったんだよ」
俺はカバンから卒論を取り出し机の上において見せた。
「へぇ〜。やる気になったんですか」
俺の姿を見てどんな推理を働かせればやる気になったと取れるのか知りたい。
面倒ながらも事の顛末を伝えてやると、周防は「でも書けただけよかったじゃないですか」と呑気にも言ってくれる。
わずか1週間で卒論なんて無茶苦茶なのをこいつは知らないのだろう。
アレ以来、図書館に入り浸り他を差し置いて完成させてギリギリ完成したって言うのに……。
「そういえば、あの件はどうなったんですか?」
「あの件って、卒論が紛失した件か?」
「はい」
やはり気になるのだろう。
ついでに裁判記録出してやり、要所要所を説明してやった。
「じゃあ片岡さんという人は無実の証明ができたわけですね」
「当たり前だろう。こんな裁判なんて片岡が無実以外の何ものでもない」
「まぁそうですね。それじゃあ卒論も見つかったんですか?」
「いや、それだけはまだなんだよ。だからこそ俺も卒論を書く羽目になったんだから」
「そうですか。今日もゼミの日でしたっけ?」
「ああ。テスト間際だし、俺達は最終ゼミだ。ようやく解放されるよ」
「今日までに卒論だけは解決できなかったんですね」
「もうどうでもいいよ。見つかったって俺は何も得しねぇんだし」
「卒論がどこにあるかなんてコレを見れば解るのになぁ……」
裁判記録を手にしながら周防はとんでもないことを呟いた。
「え!? お、お前。コレだけの事で解るのか!?」
「ええ。この裁判記録、大きな矛盾があるんですよ。状況と合わせて考えれば卒論がどこにあるかは大体想像がつきますよ」
どうも嘘をついているようには見えない。
ミステリー研究会の推理大会でも外したところを見たことがないから本当なのかもしれない。
俺は恥を忍んで周防に卒論のありかを聞くことにした。
卒論はどこへ消えたのか?
投稿は締め切らせていただきました。
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