欠けた真実、眼前の謎 〜問題編1〜

     1

 2006年 4月9日 10:00

 昨日の先生の様子は少しおかしかった。
 現役を退いてから数年の時が経っていたが、それでもやはり先生らしさという物は残ってはいた。
 東山美樹は昨晩の同窓会で一足早い帰路についたが、何かいつもと違う雰囲気を感じていた。
 高校時代の同窓生と恩師。
 卒業の時に恩師から一筆をもらいそこねた卒業アルバム。
 昨晩はその時の一筆を入れてもらったが違和感の原因はそれだったのかもしれない。
 学友からのコメントの中で明らかに浮いている一筆。
『卒業してもずっと一緒だよ!』『大学行っても忘れんなよ!』など、将来絆で繋がったコメントが溢れている。
 その中の恩師の一言は何度見ても浮き上がって見えてきてしまう。
 決して卒業の時に書いてもらえなかったからということではない。
『我、君たちを忘れまい』
 先生らしい言葉とも思えるが、何かしらの違和感を帯びているように感じてしまう。
 幾分かやつれて見えた恩師の風貌がそう思わせたのも一因ではあるのだが……。
 普段なら気にしないのだろうが、何故か帰宅してから恩師に電話をかけていた。
 非常識だと解ってはいたが、深夜3時に電話をした。
 深夜ということもあって電話には出なかったのだろうと思ったが、今朝8時に電話をかけてもやはり出ない。
 妙な胸騒ぎを抑えられず、先生の自宅まで来ている。
 昨晩も参加していた西大寺丈一に恩師にかけた後にすぐに電話をかけると、眠そうな声で『昨晩は23時にはみんな帰宅した』と告げられた。
 自分が帰ってから何かおかしな様子はなかったかと聞いてみたが『別になにもなかった』と言われるのみだった。
 胸騒ぎを感じているのは自分だけなのだろうか?
 中須賀と書かれた表札脇にあるインターホンを押してみるが応答は何もない。
 もしかすると出かけているのかもしれない。
 東山は帰ろうとした時だった。
「きゃああああ!!」
 突然悲鳴が閑静な住宅地に広がった。
 それもかなり近く、上方から聞こえてきた。
 何事かと辺りを見渡すと、中須賀先生の自宅の丁度向かいに位置する家が悲鳴の元だとわかった。
 ベランダで腰を抜かした中年女性がこちらを見て震えているようだった。
「何かあったんですか?」
 下から大きく声をかけてみると中年女性はベランダの手すりにすがりながら声を震わせてこう発した。
「お、お向かいさんが。首吊ってるの!」

     2

 2006年 4月9日 11:00

 ヒステリックな中年女性からの一報が入ったとの事で冬馬甚五郎は部下を連れて現場までやって来た。
 現場に到着し、車中から出るより早く部下の北村仁が飛び出していた。
「おい、北村! 落ち着かんか!」
 声を飛ばすが聞く耳を持たないとばかりのスピードで中須賀宅に入ろうとして、案の定制服警官に止められている。
「何ですか! あなたは! ここは立入禁止ですよ!」
「関係者だよ! 中に入れてください!」
 押し問答をしている部下の背後に近づき、甚五郎は咳払いを一つした。
「本庁から来たものだよ」
 警察手帳を出すと敬礼一つ制服警官は直立姿勢になった。
「お疲れさまです!」
 直立敬礼状態で制服警官は北村から手を離したため、北村が『KEEP OUT』のテープをくぐろうとしている。
 北村の襟元を猫のように掴み甚五郎は再び咳払いをする。
「何ですか!」
「お前も自己証明をせんか!」
 恫喝されて我に返った様子の北村は慌てて内ポケットから警察手帳を制服に見せた。
「し、失礼しました! どうぞお入り下さい!」
 制服はマネキンのように固まったままで、口元だけが動いている状態だった。
「中に入らせてもらうぞ」
「はい! 現場は2階です」
「2階ですね!」
 聞くが早いか北村は再び走り出していた。
「お、おい! 待たんか北村!」
 声を出して程なくすると、とてつもない物音が聞こえてきた。
「ぐぅ……」
 うめき声が聞こえたのでまさかと思い玄関口まで行くと北村が腕を抱えて悶絶している。
「だ、大丈夫ですか!?」
 中にいた所轄署の刑事が北村の側に駆け寄っている。
 甚五郎は頭を掻きながら苦い顔で「何があった」と質問をする。
「冬馬警部、お疲れさまです。いや、北村さんが階段を駆け上ろうとして……」
「踏み外して落下か?」
 所轄署の刑事は「はい」と簡単に答えると甚五郎は片手で目元を覆うようにして天を仰いだ。
「い、痛い! 痛い!!」
 覆った手を外して北村を見ると明らかに右腕が折れていた。
「すまんが病院へ搬送してくれ」
 来て、いの一番で送り返される部下の情けなさに甚五郎はため息をついた。

     3

 2006年 4月9日 11:20

 ひと騒動を処理して北村を見送った後で甚五郎は本来の目的に入ることにした。
「すまんな、重宗くん」
「いえ、冬馬警部が謝られることではないと思いますよ」
 重宗は先ほど北村に駆け寄り、病院まで搬送する手はずをとってくれた所轄署の刑事。
 なかなかのやり手だが、本人の希望で所轄署で勤務しているのだが、できれば北村と交代して欲しいと甚五郎は常々思っていた。
「北村はさて置きだ」
 咳払いで仕切なおして事件について聞くことにした。
「はい、死亡していたのは中須賀貞治。この家の主ですね。死因は頸部圧迫による窒息死。死体は宙に吊られた首吊り状態でした」
「自殺か?」
「自殺……のような感じではあるのですが、遺書はどこにも見あたりませんし、何よりも『コレ』が……」
 重宗が指さしているのは部屋の入り口、ドアに貼りついている物だった。
 ドアの周囲にぐるりガムテープが貼られているのである。
「なるほどな。ドアは鍵がかけられるタイプではない。それでいてガムテープで目張りがされているのであれば『普通であれば』自殺にしか見えないが……」
 甚五郎は言葉を途中で切り「うぅん」と唸った。
 ガムテープは部屋の内側ではなく外側に目張りがされていた。
 自殺をする者は邪魔が入らないように『普通であれば』外部からの侵入がないようにするものである。
 ガムテープが部屋の内側に目張りされていたのならば侵入を拒んでいると取れるのだが、今回は外側に目張りがされている。
「コレが引っ掛かっていまして……。それに中須賀が首を吊っていた足場には踏み台となる物がありませんでした」
「ふむ。あの机の所に収まっているイスが丁度踏み台には向いていそうだが、それが足場には転がっていなかったと言うことだな」
「そういう事なんです。そう考えると、自殺とは考えにくいんです。もし自殺であっても、中須賀は部屋の外で目張りをした後にどうやって部屋に入ったのかが解りません。
 部屋はこのドアとあそこのベランダに通じるガラスの引き戸だけ。引き戸は鍵が掛かっていましたし、ベランダから侵入しようにもベランダは家の外に張り出しています。ロープかハシゴでもかけて登ろうと思えば入れますが、そんな事をした痕跡も見あたりません」
「となると他殺の線が出てくるな……」
「そう言うことになりますね……」
「現場の状況はよく解った。それでは、中須賀が死亡していた時刻と、第一発見者について聞かせてくれるか?」
 甚五郎は頭を掻き、ひとまずは事件の容貌を掴むために質問を変えた。
「中須賀の死亡推定時刻は4月9日の深夜2時頃だろうと言うことです。詳しい解剖の結果はまだですが、死後硬直の様子からしてみるとそれぐらいであることが割り出されています。第一発見者は一応は向かいの住宅にいる55歳の主婦です」
「ん? 『一応は』とはどういうことだ?」
「それが今日の10時頃にベランダで洗濯物を干そうとしたときに、この部屋の中が見えたようなんです。それで首を吊った状態の中須賀氏をを発見したと言うことです」
「なるほど、直接ではないが発見をしていることになると言うことだな?」
「はい、そういうことです」
 重宗の回答を聞きつつベランダに通じるガラス戸の前に立つと、証言通り向かいのベランダが見えることが確認できた。
 洗濯物を干そうとして中の様子が見えたというのも頷ける。
「それで、第一発見者の主婦は?」
「ひとまずご自宅に待機してもらっています。それから……」
「まだ他にも何かあるのか?」
「ええ。主婦がベランダから死体を発見した時に中須賀宅の門前にいた女性が怪しいと証言しているんです」
「女性?」
「はい、中須賀は以前まで高校で教諭をしていましたが、今では退職して悠々自適の隠居生活をしていたようです。その当時の教え子と言うことです。女性は東山美樹、現在は弁護士をしていると言うことです」
「その東山は今はどこに?」
「今は1階の居間で待機してもらっています」
「そうか。聴取は可能かね?」
「はい。それでは行きますか?」
 甚五郎は何も言わずに頷き、現場を後にした。

    4

 2006年 4月9日 11:50

 居間へ入るとそこには一人の女性が俯いて座っていた。
 憂いた表情は息を飲むほど美しかった。
 肩口まで伸びた髪が影を落とす表情に拍車をかけているようだったが、こんな事態でなければ美しさを引き立たせる要因になるであろう事は疑いなかった。
「え〜、冬馬警部、この方が現場にいた女性です」
 見とれている甚五郎を制すように職務に戻る一声を重宗はかけた。
「あ、ただ今紹介にあずかりました、冬馬甚五郎です」
 仲人紹介と勘違いされてもおかしくない返答をしてしまい、一瞬動きが制止してしまった。
 その様子を見て憂いの表情が少し和らいだ東山は立ち上がり会釈をした。
「東山美樹です」
「っほん、東山美樹さんですね。何でも中須賀氏は高校時代の恩師だそうで」
「はい、中須賀先生は高校時代の担任だったんです。3年間担任をしていただいたんです」
「そうでしたか。今日はその中須賀氏を訪ねていらしたと。またどうして来られたんですか?」
 甚五郎の質問に東山は表情を陰らせた。
「昨晩、高校時代の同窓会があったんです。3年間、中須賀先生に担任をしてもらったメンバーと先生で。その時に先生の様子が少しおかしかったんで、今日は様子を伺おうと思って……」
「おかしかった?」
 小さく頷くと東山は紙袋から一つのアルバムを取り出した。
「先生は以前お見かけしたときよりもやつれている感じで。私は卒業式の時に先生からお言葉を一筆いただけなかったので、昨晩いただいたんです。その内容も何だかおかしな様子だったので」
 差し出された卒業アルバムを見ると『我、君たちを忘れまい 中須賀貞治』と達筆でしたためられていた。
「ふむ、遺書じみた書き口ではありますね」
「……そうなんです。以前お会いしたのは1年ほど前だったんですけど、その時はよく笑ってらっしゃって、恰幅の良い感じだったんです。それが昨日は……」
「何か心当たりなどはないのですか? 中須賀氏がお亡くなりになられる」
「……わかりません」
 そう答えると、うっすら涙を浮かべて俯いてしまった。
「そうですか。それで、昨晩は同窓生の方もいたと言うことですね。何名ほどで行われていたのですか?」
「……昨晩は先生と私を含めて5人で同窓会をしていました」
「残りの3名はどなたですか?」
 とこれは重宗が質問をする。
「私たちの母校で国語教諭をしている西大寺丈一くんと、検死官をしている南浦剛くん、それから警察官をしている北村仁くんの3名です……」
 最後に挙がった名前を聞いて甚五郎と重宗は顔を見合わせた。
「北村も参加していたのですか!?」
「北村君をご存じなんですか?」
「ご存じも何も東山さん、北村さんは冬馬警部の部下ですよ」
「え!? そうだったんですか!?」
 両手で口を覆い驚いた様子で東山は声をあげた。
「北村君から聞いていた人とはあまりにもかけ離れていたもので……」
 甚五郎の顔が曇ったのは言うまでもない。
 その表情を見た瞬間、東山はしまったという顔をした。
「……やつは、いや北村はいつもどのように言っていたのですかな?」
 ひきつった表情のまま声は平静を装い甚五郎は尋ねた。
「いえ、あの……。人をアゴで使う鬼刑事だって……」
「あ、冬馬警部。その話はまた後で良いじゃないですか。今は先に捜査の方を……ね?」
 東山の前に立つようにして闘牛をなだめるように重宗は言った。
「そうですな。この先は本人から聞くことにしましょう」
「すみません……」
「あなたが謝ることではない。北村が言った言葉なんですから。それはさて置いて話を戻しましょう」
「東山さん、中須賀氏は深夜2時頃に亡くなられていたのですが、その時はどちらにおられましたか?」
 重宗は甚五郎から主導権を奪うようにし、質問を再開した。
「私は昨晩、早めに同窓会を切り上げさせてもらって、22時にここを出ました」
「同窓会はここで開かれたのですか」
「はい。22時に出たのは同窓会中に仕事のことでクライアントから電話がありまして。急な用件だったのですぐに向かわなければならなくて。その後はクライアントと2時半頃まで話をして、家に着いたのは3時頃でした」
「2時半から3時まではタクシーでもお使いに?」
「いえ、クライアントの方が用意してくださった車で送っていただきました」
「そうですか。依頼内容までは窺いませんが、後で一応裏はとらせていただきます」
「はい。あの……それで先生は自殺……なんですか?」
 重宗からの質問に一通り答えると、今度は東山から質問が降ってきた。
「今のところは何とも」
「そうですか……」
 それっきり東山は俯いたままになってしまった。
「ありがとうございました。また何かありましたら聴取させて頂くかと思いますが、本日はお引き取りいただいて結構です」
「……はい」
「あ、最後に一つ」
 冬馬の言葉に付け加えるように重宗は言葉を発した。
「はい、何でしょう?」
「今日は仕事はないのですか? ご連絡などは取らなくても?」
 うっかりしていたが重宗は補うような質問をした。
 やはり北村とは違い優秀な刑事のようだ。
「今日はお休みをいただいてます。昨日が同窓会だったので」
「そうでしたか。ご自宅まで送らせていただく手はずを取りましょう」
「そんな、お気になさらずに……」
 東山の言葉を聞き終えるより早く重宗はその場を立ち去っていった。
「本当にすみません」
「いや、こちらこそご協力ありがとうございました。彼が戻ってくるまでしばらくここでお待ち下さい。それでは私もこれで」
 冬馬も一礼を入れて居間から出ることにした。
 もう次に向かう場所は決めていたからだ。

     5

 2006年 4月9日 13:00

 待合室で待っていると走りながら北村はやって来た。
「警部〜!」
 腕は三角巾でつられた状態で、本意気の走りではないだろう。
「バカモン! 病院内を走るやつがあるか!」
 甚五郎が一喝すると急ブレーキをかけようとしたが上手くいかず北村は情けない格好で転んだ。
 院内で走り回って遊んでいる子供も一声が飛んできたところで立ちすくんでいる。
「申し訳ございません、病院内では大声を上げないでいただけますか?」
 近寄ってきた看護婦が甚五郎に今度は一喝した。
「は、はぁ。すみません」
「ただ、走り回っていたことに対してご注意いただき、ありがとうございました」
 怒っていたいたのもつかの間、すぐに笑顔になり看護婦はおじぎをしていた。
「い、いやぁ。こちらこそ大声を上げて申し訳ありませんでした。以後、気を付けますので」
 甚五郎も頭を下げると「それでは」とだけ残して看護婦はその場を去っていった。
 頭を掻いていると甚五郎の元へ北村がやってきた。
「警部、お迎え申し訳ありません」
 へらへら顔の北村の頭めがけて固めきった拳をたたき落とした。
「な、何で!?」
「まず一つ、院内を走り回った。二つ、事件の被害者が顔見知りだと言わなかった。三つ、同窓会でワシの事を何と言っていたか。全て心当たりがあるな?」
 大きく口を開けて「あ!」と一声漏らす北村にひきつった笑顔で甚五郎は詰め寄った。
「す、すみません! 警部のことを悪く言うつもりなんて……」
 甚五郎は大きくため息をついた。
 刑事である人間なら真っ先に、第一か第二のことを詫びるべきだろうと思ったからだ。
「その事は後だ。死亡した中須賀とは知った仲なのだろう。その事を現場に行くまでに何故言わなかった?」
「あ、はい。事件の一報が入ったときに先生の名前を聞いて、我を忘れてしまったというか、何というか」
 もし俺に同じ様な事が起こったときは……と途中まで考えてやめにした。
「そ、それで。中須賀先生はどうだったんですか!?」
「頸部圧迫による窒息死だ。今は自殺か他殺かもわからん」
「そ、そんな……」
 北村は膝を折って床に崩れ落ちた。
「き、昨日まで一緒に飲んでたんですよ? それなのに、こんな……ぅぅ」
 甚五郎はバツ悪そうに頭を掻くとハンカチを北村に差し出してやった。
「ぅぅ……ぁりがとぅ、ござぃます……」
 北村はハンカチを受け取ると涙を拭かずに一気に洟をかんだ。
 そのまま甚五郎の方へハンカチを差し返した。
「うっ」
 洟が目一杯についたハンカチを人差し指と親指でつまみあげたがポケットへしまうのはよした。
「泣いているところ悪いが北村、お前は深夜2時にどこで何をしていた?」
「ぅぅ……。深夜2時ですか……。ぅぅ、同窓会に一緒にいた南浦くんと飲み屋に行ってましたよ……。飲み足りないって事で、ぅぅ。その後、2時を過ぎた辺りで解散にしてお互い家に帰りましたよ……。僕たちは先生の家からは離れた場所で飲んでましたから」
 グスグス洟をすすりながら北村は答えた。
「もう一人いただろう、西大寺丈一だ」
「西大寺ですか? ぅぅ、あいつも途中までは一緒にいましたよ。1時半過ぎまで一緒にいて、酔いが激しくなったからって、ぅぅ。帰ったんです」
「そうか。それなら、昨晩の中須賀の様子はどうだった?」
「せ、先生ですか? 先生は……何だか、寂しそうな雰囲気でした。みんなで笑っているときもどこか冷めたような感じで。熱血先生だったのに冷めてるなんておかしいですよね?」
 冗談のつもりなのか本気で言っているのか解らないときがよくある。
 北村を相手にしているとそんな煩わしさが出てくるのだ。
 重宗ならどんなに良いだろうと再び思わずにはいられなかった。
「ほ、他のみんなは知ってるんでしょうか? まだみんなにこの事は知らせてないんで……」
「東山美樹だったか? 彼女なら知っている。現場にいたんだからな」
「な、何ですって!? 美樹ちゃん、現場にいたんですか!? ま、まさか美樹ちゃんが!?」
 急に立ち上がって北村はすがりついてくる。
「ば、バカモン! コラ、顔を寄せるな!」
 北村があまりにも顔を近づけてくるので甚五郎は顔押して引き離した。
 洟で汚れたハンカチごと……。
「ぅ!? 何するんですか! 汚い!」
 北村は折れていない左腕で急いでハンカチをはぎ取るとむせ込んでいる。
 汚い物を上司に押し渡す人間の言葉とは思えない。
「安心しろ、彼女が何かしたということを言っているのではない。彼女が中須賀宅を訪れたときに事件が発覚したということだ」
「そ、そうなんですか? よかった……美樹ちゃんに限って何かするとは思えませんから……」
 ホッとした様子の北村を見て甚五郎はあることを思った。
「お前、彼女に特別な感情でもあるのか?」
「そ、そんな! 別に僕はそんなつもりで言ってないわけであって、彼女は素敵でありながらそれでいて優しいだけで」
 支離滅裂な事を言いだしたところを見ると図星らしい。
「まぁそれはどうでも良い話だ。中須賀が生きている最後を目撃しているのは昨日の同窓会メンバーだ。他の2名に関しては重宗君に確認してもらっている。お前もしっかり捜査に協力しろよ。わかったな?」
「ぅぅ、はい」
 頼りない部下の返事を聞いて、すぐに重宗に確認を取りたくなってきた。


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