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斧男 〜問題編1〜

     1

  〜某日某所〜

「ねぇ、ベッドの下の話って知ってる?」
 巻き髪に指を絡ませながら潜めた声で女は皆に同調を求めた。
「あ、都市伝説の?」
 質問に弾かれたように同じような髪形をした女が嬉々として応えた。
「なぁんだ、知ってるんだ〜」
 他にも「知ってる」という声が上がるのを見てか、間延びした声で残念そうに女が言った時だった。
「ねぇねぇ、それどんな話? 私知らない」
 一人だけ話を知らない様子で興味津々な顔を向けた。
 その声に弾かれるように話を切り出した女は表情に明るさが戻っていた。
「都市伝説なんだけどね、ある一人暮らしをしてる女の子がいてね。そこに友達が泊まりに来たの。一人暮らしだったからベッドが一つしかなかったし、寝るときに女の子はベッドで、友達は床に布団を敷いて寝ることにしたの」
 女が話を進めながら皆に目配せするように視線を送ると一同は静かに頷きながら耳を傾けていた。
「それでいざ寝ようかとしたら友達が慌てるように『ねぇ、コンビニ行こう』って言うのね」
「うんうん」
「喉が渇いたからジュースが欲しいとか言うんだけど、女の子は『ジュースなら冷蔵庫にあるよ?』って不思議そうな顔で友達を見てるの。でも友達は『私が欲しいのはないから行こう。夜だし一人じゃ危ないでしょ!』って強引に言うわけ」
 薄っすらと笑みを浮かべて話す女の声が一同にはかえって不気味に感じた。
「普段はそんなわがままを言う友達じゃないだけにおかしいなと女の子も思ったんだけど、あまりにも急かすから渋々承知して二人で部屋を出たのね」
「……うん」
「友達が手を引いて駆け足で表に出ると慌てて携帯で電話を始めるの。それを見て女の子が『コンビニ行くんじゃなかったの?』って聞くと目を見開きながら震える声で友達が言うわけ」
 女はそこまで言うとわざと黙ってみせた。
 にわかに張り詰めた空気に耐えれなくなった話を知らない女が「な、何て言ったの?」と無理やりに笑みを作りながらたずねた。
「その友達がね、こう言ったの。『落ち着いて聞いてね。あなたが寝ようとしてたベッドの下。そこに斧を持った男がいたのよ!』って」

    2

 2008年 5月10日 2:30

「ねぇ、聞いてくれてる?」
 新藤亜里沙は目の周りを赤くしながら友人の織部頼子の手を掴み軽く揺すった。
「聞いてるわよ。それは雄大君が行き過ぎって感じはするけどさ」
 彼氏との痴話ゲンカ相談が始まってから、かれこれ3時間は経とうとしていた。
 いつもならとうに寝ている頼子からすると欠伸の一つが出てもおかしくない時間だった。
 同じ話を繰り返されているうちに子守唄のように感じてしまっていたことは口には出さずにいて今に至る。
「雄大は束縛が激しいのよ。自分は自由にしてるクセにさ……」
 口をすぼめてふて腐れたように亜里沙が言うと再び話が巡っていく様がありありと浮かんだ。
「確かにねぇ。今日だって私が泊まりに来るのが本当かどうか電話に出さされたもんね」
 亜里沙の家に来た時に証拠とばかりに電話をかけて代わられた。
 電話で数分話し、指示されたとおりに亜里沙と一緒に写ってる写メールまで送ってようやく納得したほどである。
 しかし雄大がそこまでするには訳があった。
 亜里沙は色んな男から声をかけられるくらいモテており、携帯にも男友達の登録が多々あった。
 それだけなら何てことはないのだが、よくその男友達と二人で遊びに行ったりもしているのだ。
 本人は浮気のつもりはないが端から見ればそうは取られない。
 頼子自身も何度か男と二人連れで歩いている亜里沙を見かけたことがあったが、雄大もその現場を目撃したらしい。
 しかも最悪だったのが相手は亜里沙に気があっていきなり手を握ってきたということだった。
 ふいを突かれて亜里沙がキョトンとした時に雄大が目撃した。
 雄大からすれば手を繋いで二人で歩いているように見えたわけで、二人の所まで慌ててかけて行ったらしい。
 亜里沙は誤解を解こうとしたがさらに悪い事は続き、相手の男は「俺は本気なんだ」と空気を読まない発言をしたため修羅場とかした。
 その時は「そんなつもりは私にはない」と言い切り、相手の目の前で携帯から登録を消して事なきをえたのだが……。
「亜里沙にも原因があったからこうなってるんだし、そこは解るでしょ?」
「うん……」
「だから今度さ、雄大君も交えて話ししよ? 私からも言ってあげるから」
「ありがとう……」
 再び半べそをかきそうになりながら亜里沙は礼を呟くように言う。
「ほら、だから泣かないの。こんな遅い時間に泣いてたら肌にも悪いって」
 と遠まわしに寝たいことを伝えると「そうだね」と笑顔を見せて亜里沙は頷いた。
「ごめんね、こんな遅くまで。布団敷くしもう寝よう」
 キッチン側にある座卓から立ち上がると亜里沙はふすまを開けて電気が消えた部屋へ入っていった。
「私も手伝うわよ」
 亜里沙から布団を受け取りバサッと適当に広げて寝床を作る。
 パイプベッドに敷かれた布団に亜里沙が入るのを見て頼子は傘付き電灯からぶら下がった紐を引いて電気を消した。
「おやすみ」
「おやすみ」
 ようやく寝れる。
 大あくびを一つ漏らして布団の中に身体を沈めて目を瞑ろうとしたときだった。
 亜里沙のベッド脇の床に広げた布団に潜っている頼子。
 寝転んだ視線の先は亜里沙のベッドの下である。
 初めは目の錯覚かと思った。
 しかし徐々に暗闇に目が慣れてくるとそれは錯覚ではないと解った。
 体が硬直する寸前に起き上がり、頼子は急いで電気をつけた。
「ね、ねぇ亜里沙。ちょっと喉が渇いたしさ、コンビニに行かない?」
 冷静に対処しているつもりだったが、改めて考えると気が動転している行動だった。
 しかし頼子には今の行動が最善だと思える。
「どうしたの、急に? さっき飲んだばかりじゃない」
「う、うん。そうなんだけどさ、ちょっとお腹も減ったし。ほら、夜も遅いし一人じゃ不安だからさ」
 自分がしっかりしなければという意識と恐怖が入り混じって何を言っているのかが解らなくなっていた。
 そんな様子をいぶかしんで亜里沙は小首を傾げていたが「うん、いいよ」と承諾してくれた。
「ほら、行こ!」
 亜里沙の腕を掴み頼子は急いで玄関口まで行く。
「頼子、お財布は?」
 質問に答える余裕などなく亜里沙を部屋から引きずるようにして飛び出し、エレベーターのボタンを何度も押した。
「そんなに慌てなくても良いじゃない。あ、それに部屋の鍵……」
 亜里沙の言葉がそこまで出たところでエレベーターのドアがもどかしく開いた。
「いいから!」
 声を荒げて頼子がエレベーター内に引き込むと、亜里沙は少しビクついて怪訝な表情を浮かべている。
 早く閉まって!
 ほんの僅かな時間でも惜しいとばかりに頼子が1階のボタンを押して『閉』とかかれたボタンを押し続けた。
 ドアが閉まるのを確認すると頼子はその場にガクッとへたり込みそうになる。
「ねぇ頼子。何か変だよ? どうしたの?」
 1階に到着してからマンションの入り口まで移動したところで亜里沙が心配そうに尋ねてきた。
 ここまで来れば……。
 安堵から大きな深呼吸ができるようになるが途端に頼子は震えが止まらなくなった。
「ちょ……頼子?」
 さらに心配そうにする亜里沙の肩を両手で掴み、頼子が告げた。
「亜里沙……お、落ち着いて聞いてね。あ、あなたが寝てたベッドの下……。斧を持った男が潜んでたのよ」

     3

 2008年 5月10日 6:30

 最近は日の出が早くなったものだ。
 スズメの鳴き声を聞きながら欠伸をかみ殺し、冬馬甚五郎は『KEEP OUT』のテープが張られた場所まで近づいた。
 テープ前にいる制服警官に手帳を見せると「おはようございます!」と眠気の醒めそうな大きな声で挨拶される。
 まだ眠気が抜けておらず本調子ではないので軽く手だけで挨拶をして『302』と書かれた部屋に入った。
「あ! 警部! おはようございます!」
 続けざまに気合の入った声で挨拶してきたのは部下の北村仁だった。
 春にしては少し寝苦しいと感じる暖かさで、寝ることができたのが深夜の3時頃だった。
 甚五郎からしてみれば1分ほどしか目を閉じていなかったように感じる時に電話が鳴り響いた。
 時計を見やると5時。
 2時間の睡眠をむさぼっていたことになる。
 僅かな睡眠を断つモーニングコールに出ると今しがた挨拶してきたテンションの北村の声が受話器越しに聞こえた。
『警部、寝てましたか?』
「寝てたに決まってるだろう!」と怒鳴る力も出ずに寝起き声で「なんだ?」とだけ伝えると事件が起きた旨の報告を受けた。
 電話を切ってから寝起きにしては素早いだろう動きで出勤準備をしてタクシーを捕まえて現場に急行したわけである。
「お前、不眠不休の男か?」
 高いテンションについていけない甚五郎は北村に質問した。
「何を訳わかんないこと言ってるんですか。寝起きにもほどがありますよ」
 的を得た応えに苛立ちを感じるが「気にするな。それより害者は?」と話題を切り替えた。
「え〜っと、被害者は所持品の財布に入っていた免許証から確認しまして。多野直史、25歳の男で死因がですね……」
「死因がどうした?」
「詳しくは司法解剖をしなければ解らないんですが、おそらくは絞殺だろうとの事です」
 北村が部屋奥へ誘導すると、そこには多野が不思議な格好で横たわっていた。
 部屋の中央に斧を抱えて横たわっていたのである。
 胎児のような格好で斧を握り股座に柄の部分を挟んでいた。
「第一発見者の織部頼子という女性の証言では、ベッドの下に多野がこの格好のまま収まっていたそうです。それで検察官が死体確認のために部屋の中央へ移動させたという事です」
「ということは何だ。斧を抱えたまま、多野はベッドの下で息絶えていたということか?」
「そういうことでしょうね」
 甚五郎は得心行かないまま死体に近寄ると首を覗き込んだ。
 首にはくっきりと縄目の痕がついており、それとは別にいくつかの傷もついていた。
「索条痕か」
「それは間違いないと思います。被害者の爪の間に皮膚らしきものが挟まっているようなので」
 今度は死体の指に目を向けると北村の言ったとおり皮膚らしきものと産毛のようなのもが挟まっている。
「にしても、何だってベッドの下に斧なんか抱えたまま入ってるんだ」
「あ、警部知らないんですか? 都市伝説」
「都市伝説だ? 何だそれは?」
「ベッドの下の男の話は有名ですよ。ベッドの下に斧を持った男が隠れているっていう噂話ですよ」
 北村はタイトルと同じ全く説明になっていない説明をして得意げに胸を張っている。
「要するにだ、その都市伝説に見立てられて殺されてるって事なんだな」
「そういうことですね。恐らくこの部屋に忍び込んで隠れてるところをですね……」
「それはないだろう」
 北村は甚五郎に話途中で遮られるとキョトンとした顔で目をぱちくりさせている。
「索条痕がついてるという事はだ、首を掻き毟って死亡したわけだろう。その段階で斧を抱える事はできない」
「まぁそうでしょうけど……でも部屋に忍び込んでただろうことは……」
「多野の体格を見てみろ。パイプベッドの下に収まっていたといってもギリギリ収まっていたくらいだろう。そんな多野の首をベッドの下に潜り込んで絞める事ができるか? それにこの縄目の痕の感じだと背後から絞められてる。部屋に忍び込んで背後を襲われるとは考えにくい」
「はぁ〜。警部、今日はいつにもなく冴えてますね! いつもなら唸ってばかりなのに……」
「一言も二言も余計なんだよお前は!」
 北村に怒声を浴びせながら甚五郎は冴える理由には見当がついていた。
 幾度かの難事件をとある青年によって解決へ導いてもらったことがある。
 娘の由紀の恋人で周防健太郎である。
 彼の推理を聞くことが甚五郎にとっても脳の活性化を促していたのだろう。
 瞬時にして事件の矛盾を理路整然と解き明かしていく。
 由紀もミステリー好きでよく推理を話してくることはあったが、それとは違った刺激があった。
 自然と甚五郎もそのような発想が身についているのだろうと思っていた。
「まぁいい。それで、第一発見者はどこにいるんだ?」
「この部屋の住人の新藤亜里沙と共に署の方に」
「そうか。部屋を少し洗ってから署に向かうか」
 北村に告げ、甚五郎は部屋の捜査を行う事にした。

     4

 2008年 5月10日 10:00

 一通りの捜査を終えて事件の管轄である所轄署に甚五郎と北村は訪れていた。
「お待ちしてましたよ」
 二人の姿を見て一人の刑事が頭を下げて出迎えをした。
 オールバックに若干の白髪が混じった中年の刑事だった。
「大崎さん、ご無沙汰してます」
 甚五郎が頭を下げると薄く笑みを漏らしている。
「警部、ご存知なんですか?」
 北村も会釈しながら二人を交互に見て口を挟んだ。
「お前は知らん……でもしょうがないか。以前まで警視庁の刑事課におられたんだ。今は……」
「ただの指導員ですよ」
 甚五郎の言葉を受け紳士的な笑みを浮かべて丁寧な口調で答えた。
「平岡くん、こちらに来なさい」
 大崎はそのまま奥で女性二名の前に座った刑事を呼び寄せた。
 声をかけられて席を立つと走ってきたのは後ろで髪をくくった女性刑事だった。
「初めまして。平岡真央と申します」
 襟を正し闊達な声で挨拶をすると笑顔を見せた。
「今年配属されたばかりでね。こちらは警視庁の冬馬警部と……」
 紹介をまだ受けていない北村を見ながら言葉を詰まらせていると冬馬は慌てて北村の背中をはたいた。
「え? ああ、よろしくお願いします」
 何をどうよろしくしろというのだろうか。
 苦笑いを浮かべた大崎が頭をかくと冬馬は北村の頭を今度は大きくはたいた。
「自己紹介しろといってるんだ!」
「ああ! どうも、北村仁です」
「申し訳ありません大崎さん……。失礼な部下でして。平岡刑事の爪の垢を飲ませてやりたいくらいで……」
 新人刑事の爪の垢を拝するような部下を持ち冬馬は全身から汗を噴出していた。
「まぁそう恐縮なさらず。こちらの平岡もまだまだ新人ですからご迷惑をおかけするかと思いますしね」
 笑いながら大崎がいう言葉を聞いて甚五郎はさらに恐縮せざるをえなかった。
 勘違いされているだろうが北村は新人と呼べる歴ではない。
 コンビを組まされて数年経っているとは口が裂けても言えない。
「それはそうと、早速ですが第一発見者から聴取されますか?」
 話題を切り替えてもらえ内心ホッとしながら甚五郎は「よろしいですか」と応えた。
「こちらです、どうぞ」
 甚五郎の言葉を受けて平岡がすぐに二人を案内してくれた。
 ――この対応の速さを北村にも。
 と無駄なことを考えながら案内されたところに向かうとそこには女性が二人座っていた。
 若い女性二人で、一人は俯き顔色が悪そうにしていたが、そうでもなければ明るく闊達な性格であろう顔立ちをしていた。
 その女性の背中をさするようにしてこちらにもう一人の女性が顔を向けて軽く会釈をした。
 会釈をした女性は美人というよりも可愛らしいと表現したほうがよさそうで、男受けがよさそうな穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「第一発見者の織部頼子さんと、現場の部屋に住んでいる新藤亜里沙さんです」
 平岡が簡単に紹介すると、新藤と呼ばれた女性が立ち上がり会釈をした。
 背中をさすってやっていた女性である。
「警視庁捜査一課の冬馬甚五郎です。よろしくお願いします」
 軽く挨拶してから「早速ですがよろしいかな?」と伝えると新藤は小さく頷き席に着いた。
 甚五郎と北村も対面に座ると平岡が手帳を取り出し簡単に事の顛末を伝えてくれた。
 事件のあらましは就寝しようとした織部がベッドの下に潜む男を発見し、恐怖に駆られたため慌てて新藤を連れてマンションを出たという事だった。
「なるほど。それで警察に連絡をしたというわけですな」
「はい。頼子が機転を利かせてくれたんだと思います。私は初めどうしてそんな慌ててるか解らなかったんですけど、まさか男がベッドの下に潜んでるなんて思わなかったですし……」
「男が潜んでいるのにはそれまで気付かなかったわけですか」
「……そういうことになりますね」
「わかりました。それで、織部さん」
 声をかけられて不安そうな顔を頼子は冬馬に向けた。
「あなたが男を発見した時なんですが……その男が死亡してるのには気付きましたか?」
「気付くわけないじゃないですか……。電気も消してましたし、それ以上に恐怖が先にたってしまったんですから……」
 今にも泣き出しそうな顔で訴えている。
「そこでよく悲鳴を上げられませんでしたね」
 北村が率直な疑問を投げかける。
「気が動転してたのか、それとも『都市伝説』を知っていたからなのか自分でも解らないのですけど……」
「都市伝説。それをお伺いしたいのですが、私はよく知らないんですがねその都市伝説とは何ですか?」
「警部ぅ〜。さっき説明したじゃないですか」
 呆れ笑いを浮かべて北村が言うのに睨みを利かせると何故睨まれたのか解らないという表情になっている。
「こいつの説明だけでは要領を得ませんでね。お聞かせいただけませんか?」
「は、はぁ……」
 二人のやり取りに戸惑いながらも織部は都市伝説を語りだした。
 語りだした都市伝説は事件の状況と酷似していた。
 一人暮らしの部屋で友人と二人でいること。
 ベッドの下に潜んでいる男を友人が発見すること。
 友人が女性を連れ出し警察に連絡をすること。
「ほぉ、確かに今回の事件と似ていますな。それで無意識ながら同じように行動を取ったということですね」
 甚五郎は頷きながらその事を手帳に記載していった。
「それで警察に連絡して……警察の方と一緒に部屋まで行ったんですけど、私たちは部屋の前で待っていたんです」
「表で待っていると警察の方が中に死体があるって……」
 織部から新藤へと繋がりベッド下の男が死んでいることまでの話が述べられた。
「なるほど。それではお二人に伺いたいのですが、被害者の多野直史という男ですが顔見知りですかな?」
「いえ、私は……」
 織部が知らないといった表情で応える傍らで新藤は目を見開いて口に手を当てている。
「ご存知なんですか?」
「どうしたの、亜里沙? 知ってるの?」
 甚五郎、織部の問いに新藤は僅かに頷いた。
「わ、私の……元カレ」
「元カレって……もしかして」
「うん……ストーカーされてた元カレよ……」
「ストーカー? 詳しく話していただけますか」
 身を乗り出して甚五郎が問うと、視線を泳がせながら新藤は口を開き始めた。
「以前付き合ってた彼氏で……何度か後をつけられたり、無言電話をかけられたりで」
「今まで家に入られたことはあるんですか?」
「……いいえ。でも一度だけ危なかったことがあって」
「危なかったこととは?」
 俯き震えている新藤の肩に手を回して織部が代わりに応えた。
「私が話で聞いたことがあるんです。マンションのエレベーターで……襲われたんです。でも、その時は今の彼氏の雄大君が部屋から出てきたところで助かったんです」
「警察には届けなかったんですか?」
「雄大が、二度と近づくなって……。それ以来ストーカー行為もなくなってんで……」
「私も話だけで聞いてただけで相手の顔だとか名前までは知らなくて」
「そういう事でしたか」
 有力な情報が出てきた。
 北村が話した忍び込みはないと思っていたが、忍び込んでいた多野が何らかの方法で殺害された可能性も視野に入れてもよさそうだった。
 一通りメモを取り終えたところで咳払いを一つだけして「最後に一つよろしいですかな?」と甚五郎は続けた。
「新藤さんの部屋ですが、入れる人物は新藤さんだけですかね?」
「それってどういうことですか? 亜里沙の事を疑ってるんですか!?」
「いや、これは形式的な質問です。いかがですか?」
 怒りをあらわにした織部をなだめながら甚五郎が問うと新藤はかぶりを振ってみせた。
「彼氏の雄大も合鍵を持ってます……。あと入れるとしたら管理人さんくらいですけど」
「そうですか。ありがとうございます、参考になりました。ところで、その彼氏の雄大さんという方ですが。今はどちらに?」
「今日は仕事だったと思います」
「ふむ、職場はどちらですかな?」
 新藤から職場を聞きメモを取ると「今日のところはコレで結構ですが」と手帳を懐にしまう。
「いかがされますか。現場には戻りにくいかと思うのですがね……」
「……そうですね。一度雄大にも話してみて決めます。頼子もその時は一緒にいてもらって良い?」
「また話を伺う事があるかもしれませんから、場所が決まりましたらご連絡ください。平岡さん、連絡お願いできますか?」
 甚五郎に頼まれ「わかりました」と短く応えるのを見てから立ち上がった。
「それでは我々はコレで。行くぞ北村」
 北村にも促し、甚五郎はその場を後にした。

     5

 2008年 5月10日 13:00

 昼食をすませてから甚五郎と北村はK運送会社に向かった。
 新藤の彼氏だという佐藤雄大が運送会社で働いているという事で、午前配送を終えて荷を再度積みに来る時間に合わせた。
「警視庁の冬馬と申しますが、佐藤雄大さんはおられますかな?」
「先ほどお電話いただいた冬馬様ですね。今は荷捌きで次の配送品を積み込んでいるかと思いますが、こちらでお待ちになられますか?」
「いや、直接そちらに伺いますよ」
「そうですか。佐藤はクール配送ですのでこの棟を出て裏側に回っていただければすぐにございますので」
「ありがとうございます。そちらに向かってみます」
 事務室で案内を受けた甚五郎は頭を軽く下げて指定の場所へ向かった。
 積み下ろし時間という事もあってか慌しい様子で作業員が行きかっている。
 今の季節でも汗が多少なりとも噴出すのだから、夏などとんでもないだろう事はすぐに想像できた。
 事務室で作業員の写真が名前付きで貼り出されていたので記憶を辿りながら辺りを見回すと、台車に毛布を乗せて押している男が目に付いた。
 身長は170後半くらいで体格は太り気味の男だった。
 見てくれは新藤と並ぶとさながら美女と野獣と例えられてもおかしくない。
 人は見た目では判断できないとはいうから、何かしら良い部分もあるのだろう。
「佐藤雄大さんですかな?」
 トラックのコンテナを開けようとしている佐藤に近づき「警視庁の者です」と手帳を見せ軽く挨拶する。
「はい。さっき事務所で電話があったって聞きましたけど、警視庁の人が俺なんかに何の用ですか?」
 作業をしながら鬱陶しそうにしている。
「本日の深夜ですがね。あなたの恋人ですか、新藤亜里沙さんの部屋で死体が発見されましてね」
 台車をコンテナに積みドアを閉めようとしたところで佐藤は目を見開き甚五郎に凄い勢いで掴みかかってきた。
「し、死体だって!? あ、亜里沙は無事なのか!? どういうことですか!?」
 運送会社に勤めているだけあって肩に食い込むほどの力で握っている。
「まぁ落ち着いて。新藤さんが亡くなったわけではありません。ただ新藤さんの部屋で死体が見つかったということでね。北村、少し説明してやってくれ」
 甚五郎は佐藤の腕を払うようにして落ち着かせてやると北村に指示をした。
 北村が掻い摘んで事件の内容を伝えると幾分落ち着いた様子になっていた。
「そうですか……。あのストーカー野郎が……。それで亜里沙は?」
「新藤さんなら友達の織部さんと一緒におられますよ。後ほど電話をすると仰ってましたが、連絡はまだきていないのですかな?」
「まだきてないですね。俺から連絡入れてみますよ」
「そうされると良いでしょうね。ところで、今回お伺いしたのは一つ確認したい事がございまして」
「何ですか」
 首からかけたタオルで額の汗をぬぐいながら佐藤はトラックでできた影に身を収めた。
「新藤さんの部屋なんですが、合鍵をお持ちだそうで」
「はい、持ってますが」
「その合鍵はお一つだけですか?」
 甚五郎の質問に眉根を寄せて「当たり前でしょ」と佐藤は応えた。
「何を聞きたいんですか?」
 訝しんだ表情で問われ甚五郎はハンカチを取り出し首筋の汗を拭きながら薄く笑ってみせた。
「亡くなった多野さんの持ち物からは新藤さんの部屋の鍵は出てこなかったんです。しかし彼は新藤さんの部屋で亡くなられていた」
「それって……俺を疑ってるって事ですか?」
「以前あなたは多野とひと悶着起こしてたそうですね」
「ひと悶着ってね、アレはあの野郎が犯罪一歩手前……犯罪そのものの行為をしようとしたから。刑事さんなら解るでしょ!」
 語気荒く立ち上がるが落ち着かせるように手を前に出して甚五郎は頷いてみせた。
「確かに彼女を守るためという事は解ります。当然の行動でしょう。ただ多野さんの顔が変わるほど殴られたとか」
 甚五郎の言葉を聞き、ふて腐れたように黙ったが「それくらいしないと、また付きまとうだろう」と呟くように応えた。
「いや、詰問するようですみませんでした」
「……もういいですか」
 もたれかかったトラックから背を離し運転席のドアを掴んだところで「あと一つだけ」甚五郎は呼び止めた。
「まだ何か?」
「昨夜の22時ですが、どこにおられましたか?」
「疑ってるなら疑ってると言えばいいじゃないか」
「形式的なものですので」
 納得いかないという表情を浮かべながらも佐藤は口を開いた。
「その時間は伝票整理に追われてましたよ。事務所で聞いてもらえば解る」
「そんなに遅くまでですか」
「みんな大体それくらいかかりますよ。俺たちの仕事は配送だけじゃないですから。配送を終えた後の伝票をまとめて、翌日の準備にも追われる。遅けりゃ深夜に帰宅か事務所に泊まるかなんてザラなんですよ」
「なるほど。後ほど事務所で確認させていただきます。お時間を取らせました」
 甚五郎が質問を終えると運転席に乗り込んだ佐藤は一度だけクラクションを鳴らしトラックを走らせて行った。
 トラックが走り去る姿を見送りながら、次にとる行動を甚五郎は考えていた。




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