斧男 〜問題編2〜

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 2008年 5月10日 15:00

 K運送の事務所での佐藤の証言の裏づけをとった後、甚五郎と北村は再び新藤亜里沙が住むマンションを訪れた。
「警部、次は管理人さんですか」
 マンションの入り口付近で北村が甚五郎を振り返り行動の確認を行ってきた。
「鍵を持ってるのは管理人だという事だろ。それにもしかしたら不審人物を目撃しとるかもしれん」
 玄関ホールと呼べるほど大きくはないところに小窓が切り抜かれている場所があった。
 窓からは薄っすらと明かりが漏れており、わずかばかりの棚板の上に『管理人室』と書かれたプラスチック板が誇らしげに立ててあった。
 北村が小窓を拳を作ってコツコツ叩くと「うわ!」と小さな悲鳴を上げた。
「おい、どうした?」
 小窓に初老の男性がいるのだが、どうやら見えない角度からひょっこり顔を出したようでそれに驚いたのだろう。
 ガラガラと窓が開くと「なんですかい?」と目をしばたたかせて初老の男性は尋ねてきた。
「お電話させていただいた警視庁の北村です」
 気を取り直した様子で警察手帳を提示すると「ああ」と頷き小窓を閉めた。
 ここの住人だろうかエレベータ方面から歩いてきた女性が不思議そうな顔でこちらをみながら通り過ぎていく。
 ややあってエレベーターに通じる通路脇にあるドアがガチャリと開き初老の男性が姿を見せた。
 昼と言っても薄暗い通路に現れた姿はラクダシャツに腹巻、ステテコといった漫画の世界から飛び出してきたのかという典型的な老人だった。
「まま、お上がりくださいな」
 二人を管理人室に招き入れると卓袱台が置かれた所に老人は腰掛けていた。
 部屋の中の様子といい、通路での老人の雰囲気といい昭和の時代へタイムスリップしたかのような錯覚に囚われた。
「いやいや、刑事さんも大変ですな。そろそろ暑くなってくるだろうっちゅうのに」
 老人は卓袱台の側にあった冷蔵庫からガラス瓶に入ったお茶を出してコップに注いでくれた。
「それで、お話っちゅうのはなんですかいな?」
 先ほどまで刻まれた好々爺の様なシワから神妙なシワに変化させて老人が尋ねてきたので北村は手帳を開いて質問を始めた。
「本日の深夜頃にこちらのマンションで起こった事件についてなんですが。昨日に不審な人物がこちらをうろついてただとかそんな話はありませんでしたか?」
「不審な人物ねぇ〜。そんな者がおったらすぐ通報しとりますがのぉ。こう見えてもワシは正義感の強い男ですからの。パッと対処しますで」
 曲がった背中を伸ばして胸を張ると「どうだ」といわんばかりの顔をしてみせた。
「そ、そうですか。じゃあ、こちらの男性に見覚えはありますか?」
 老人特有のペースに若干たじろぎながら北村は被害者の写真を提示した。
「お、おお! この男は!」
 飛び上がらんばかりの大きな声で反応した老人は写真を奪うように取り眉間にシワを寄せて眺めている。
「ご存知なんですか!?」
「知っとるもなにも! 前にストーカだなんだと騒いでたここに住む女の子が……新藤さんでしたかな? その女の子が見せてくれた写真と瓜二つじゃわ!」
「それはいつ頃の話ですか?」
 甚五郎がすかさず聞くと「う〜ん」と腕組みをして老人は記憶を探っていた。
「一年位前だったかのぉ? その後も何じゃストーカーが出たとか孫が騒いどったのを覚えとるが」
「ストーカーが出た!?」
 甚五郎と北村が顔を見合わせながら言うと「その写真を女の子から見せてもらった少し後かの?」
 どうやら新藤が多野に襲われた時の事を言っているらしい。
「その時は孫に管理室を任せとったからの。ワシがここに帰ってきたときに興奮したように言うとったわ。今朝も『爺ちゃん、新藤さんの部屋で事件が起きた!』ちゅうて電話してきおったが」
 先ほどからでてくる孫の関わり方が良く解らなかった。
「どうしてお孫さんは事件をしっておられるんですか?」
「そりゃあ昨日から今朝頃まで管理を任せとったからじゃよ。自慢の孫じゃ。ワシに似て責任感の強い男じゃ」
 再び老人は胸を張ってみせたが「それじゃあ昨日不審人物なんて見れたはずないじゃないか」と口からこぼれ出そうにり、甚五郎は慌ててその言葉を飲み込んだ。
「……ということはですな。そのお孫さんが昨日はずっとこちらにおられたと?」
「そうじゃよ。ワシは昨日は老人会の集まりで温泉に行っとったからのぉ。そりゃあ気持ち良かったで。それもこれも孫の譲司のおかげじゃわ」
 カッカッカと水戸黄門よろしくの笑い声を上げたのを見て甚五郎はうなだれた。
「良いお孫さんをお持ちで……」
 辛うじて出た声はそれだけだった。
「ありゃあ良い孫じゃ。ワシの若い頃に似とるわい」
「……そ、そうですか。そのお孫さんはどちらに?」
 さすがの北村も呆れ顔で聞くと「おお、会いとぉなったか!」と喜んだ表情で立ち上がり小さなタンスからメモ用紙を取り出してこちらに手渡してきた。
 住所と電話番号が書かれたメモ書きの内容を手帳に移している北村を尻目に甚五郎は一つだけ質問を付け加えた。
「それで各部屋の鍵なんですが、そのマスターキーはこちらで管理されてるんですか?」
「ますたーきー? ああ、鍵のボスか!」
 所々変わった老人の発言に苦笑しながら頷くと、老人は再び立ち上がり先ほど顔を出した小窓の下にかけられた鍵束を持って来てくれた。
「こちらの鍵以外にその……鍵のボスってのはあるんですか?」
「いんや、あとは部屋に住んどる人たちが持っとるだけじゃわ。その辺の警備体制はバッチリじゃ!」
 警備体制バッチリの所で事件が起きてる事には触れないほうが良いのだろう。
「なるほど。貴重なご意見ありがとうございます」
 無理くり神妙な顔を作って甚五郎が頭を下げると、老人はうんうん頷いて誇らしげにしていた。

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 2008年 5月10日 18:00

 やや日が翳った頃合になり甚五郎たちは小さなアパート前にやってきた。
 錆びついたポスト群や手すり、鉄製の階段が夕日と相まって哀愁を漂わせていた。
 階段を上がるが崩れ落ちるんじゃないだろうかという不安さえ覚えてくる。
 2階に上がり一番奥にあるドアの前に辿り着き『伊佐岡』という表札を確認してノックした。
 しばらく待っていると薄くドアが開きメガネをかけたねじれ髪の男の顔が現れた。
「伊佐岡譲司さんですかな?」
 甚五郎が問いかけると無言で頷き二人をしたから上へ舐めるようにして眺めている。
「警察の者です。少しお話を伺いたいと思いまして……」
 北村が警察手帳を提示しながら言うと眉間にシワを寄せてドアを閉められた。
 何が起こったのか解らないといった顔で北村がこちらに目をぱちぱちさせながら見てくるのに一つため息をついた。
 甚五郎は再度ドアをノックし「お爺さんの伊佐岡平次さんから昨日の管理の事を伺いまして。その件でお伺いしたいことがあるんですが」と少し大きめの声でドア越しに伝えた。
 またしばらくすると今度はしっかりとドアが開き「どうぞ」と蚊の飛ぶような声で伊佐岡は二人を招きいれた。
 玄関にはゴミ袋や雑誌の山が立ち並び、小奇麗にしていた管理人の伊佐岡とは結びつかないくらいの暗い印象を受けた。
 部屋の電気もつけておらず、奥にいる伊佐岡の下へ辿り着くのにも若干苦労した。
 伊佐岡は足元に転がった菓子袋などをガラガラと隅に寄せ二人が座れるスペースを僅かながらに作っていた。
 男の一人暮らしにしてもかなり酷い部類だろう。
 玄関とは違い窓から入り込む夕日の灯りが取調室を思わせる雰囲気になっていた。
「……それで何の用ですか」
 ぶっきらぼうに聞いてくる様に僅かに苛立ちを感じたが甚五郎は咳払いをしてから質問を開始した。
「本日の深夜にお爺さんの管理されてるマンションで殺人事件が起きたのはご存知ですね?」
「ああ、知ってるよ。それが何か」
 いちいち癇に障る応え方をしてくる様がますます伊佐岡老人とは繋がらなかった。
「昨日から今朝にかけて管理人室はあなたが管理されてたということですが、その間に不審な人物などは見ませんでしたか?」
「さあ」
「さあってね! もっとしっかりした受け答えができませんか!?」
 さすがの北村も苛立ちを抑えきれずに怒声を上げると伊佐岡は少し驚き「すみません」と小さく漏らした。
「北村! いや、すみませんな。ご協力いただいておるのに……ただ、もう少しだけこちらにも伝わるようにお話いただけますかな?」
 甚五郎も若干の凄みを加えて伝えると今度は明らかに大きな声になり「はい!」と居住まいを正して伊佐岡は座りなおした。
 どこをどう取って伊佐岡老人の若い頃にそっくりなのか検討がつかなかった。
「実は……昨日はその……」
 声を小さくしながらモジモジしている。
「管理人室におられたのではないのですか?」
「その……これをしに行ってまして」
「これ」と言いながら指を若干折り曲げて手首を捻っている。
 パチンコという事か。
「朝一番から閉店前までいたので……」
「ほぉ、それではかなり出たんですかな?」
「いや……全然で……」
「よくお金がもちましたね」
 北村が嫌味のように言うと伊佐岡は俯き「いや……」と床に言葉を落とした。
 こういった態度を取る者は大体後ろ暗い部分がある。
 僅かに浮かんだ光景を甚五郎は口にした。
「もしかして、どこかから拝借したということはありませんかな? 例えば……マスターキーを使って」
 甚五郎が睨むようにして言うと、顔の前で手を何度も振りながら「ち、違いますよ!」と否定をした。
 しかし明らかに動揺を隠せてはいなかった。
 無言で甚五郎が睨みを辞めないでいると観念したかのように伊佐岡は一つ息を漏らした。
「その……爺ちゃんのタンスから……ちょっと……」
 呆れて言葉にならなかった。
 あれだけ信用を寄せていた孫がこんな事をしているのを知ったら、あの老人はどうなるのだろうか。
「だ、だからお爺ちゃんには内緒に……」
 言葉を遮るようにして北村は伊佐岡の顔を殴っていた。
 ゴミ溜まりの中に転がると「うう」と僅かに呻いている。
「君のお爺さんがどれだけ君を信用してたと思ってるんだ! それを、なんだと思ってるんだ!」
「す、すみません!」
 甚五郎は北村を押さえつけたが、意外なことに伊佐岡は反省の弁を述べていた。
 北村は情に流されたりする部分が多いが、ここまでのことをするとは思っていなかった。
 そういった部分では警察官として誇れる部下なのかもしれないと甚五郎は思った。
「ウチの者がすみませんな」
 北村の方をぽんぽんと叩きながら告げると「いえ……」とだけ応えて伊佐岡は身体を起こした。
「まぁ……今後はそのような事のないようにすべきですな。今回のことはお爺さんには伏せておきましょう」
 身内間での事は犯罪とはならないが、本来ならこんなことは犯罪として扱うべきではないかと憤りを覚える。
 しかし甚五郎も情にほだされたのか、伊佐岡老人のことを思うと本人に告げるのは気が引けた。
「それでは昨日は管理人室にはほとんどいなかったと?」
「は、はい……そうです」
「なるほど。それでは今回事件のあった部屋の住人の新藤さんはご存知ですかな?」
 この質問に伊佐岡は肩口をピクッと反応させた。
「ええ……知ってます」
 伊佐岡老人の言葉を思い出せば知っている事は疑いなかった。
「以前もストーカー被害にあったりだとかで」
「その時もあなたが管理人室におられた事も聞いております。それでよく覚えていたと」
「はい」
 北村がメモにとり終えたのをみやると「わかりました」とだけ応えて甚五郎は腰を上げた。
「ちなみになんですが……」
 甚五郎は立ち上がりながら一つ質問を付け加えた。
「昨日は22時以降もまだパチンコ店にいたのですか?」
「……その頃はちょうど帰るときでした」
 唇を噛んでいるところを見ると負けたことを思い出して悔しんでいるのだろうか、それとも……。
「そうでしたか。今後はそちらも控えたほうが良さそうですな」
 甚五郎が残した言葉にさらにうなだれた伊佐岡と部屋を包む夕日が物悲しさを漂わせているように感じた。

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 2008年 5月11日 15:00

 甚五郎の元には鑑識から上がった報告書があった。
 電話報告を受けていた死亡推定時刻はその時と変わらず22時となっていた。
 そこよりも報告書には奇妙な一点があった。
 死因が衰弱死となっていた。
「絞殺ではなかったのか……」
 呟くと北村がコーヒーを持って甚五郎に近づいてきていた。
「あ、その死因やっぱり変ですよね。僕も初めに現場に行った時に検視官が煮え切らない態度だったから変だと思ってたんですよ」
 冷たい紙コップコーヒーをすすると甚五郎は「う〜ん」と唸ってみせた。
 しかし報告書の死亡状況の欄に目をやると甚五郎には全てが繋がった。
「なるほど……そうか。おい、北村! ここに行って調べて来い! もし俺の感が正しければ事件解決だ」
「え!?」
 甚五郎は手早く書いたメモを手渡しニヤリと笑ってみせた。



 かまいたちの挑戦状

 真犯人は誰かお答えください。

 全てのヒントは『斧男』の問題編に隠されています。
 基本的なルール
 ・表示された時刻は日本標準時である
 ・登場人物の氏名、性別の表記に嘘はない
 ・真犯人は単独犯である

 以上のことをふまえた上で
 1.犯人の名前
 2.犯人を特定するにいたった推理のプロセス
 3.結果発表時のHNの表示可・表示不可  投稿は締め切りました。
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