夜も深まり、あと一時間ほどで次の日を迎えようとしていた。次の日の朝まで学校に留まるのもツライぐらいに寒かった。佐波楓にとってみればよその大学である。いつも通っているK**大学は都心にわりかし近いため、この季節になると雪などは積もるほども降らない。しかし今いるT**大学は東京にあるとは言え、山梨との県境に位置し、山間部にあるため雪は積もっている。
そもそも何故、楓がT**大学にいるかというと、ミステリー研究会つながりの友人がT**大学にいることと、その友人との合作で演劇台本を任されたからである。
「本当に泊まってもいいの?」
楓がT**大の友人である俣貫紀夫に聞くと、軽く微笑しながら答えた。
「大丈夫さ。大学側の許可は取ってある。別に悪いコトしてるわけでもないし、問題ないよ」
大学に泊まると言っても、楓と俣貫の二人だけではなかった。T**大学の演劇部の面々も泊まることになっている。
「うちの大学は学生に優しいんだ。特に部活動を行ってる人に対してね。だから演劇練習のために泊まり込みをすることだって可能なのさ」
「……でも、わたし演劇部じゃないのよ? よその大学の生徒だし」
楓が不安がるのも無理はなかった。T**大学に泊まりに来ているK**大学生は楓一人なのである。
「大丈夫だって。うちの大学との合作で演劇をやるんだし、K**大とも交流が深いから」 信用してくれと言わんばかりに俣貫は胸を張ってたたいて見せた。
「本当に問題ないわよ。そのことも含めて大学側に許可もらったんだもの。心配しないで」 同室でポーカーに興じていた松村恵子が楓に答え返しながら「はい、ストレート」と言ってトランプを広げて見せた。
「あちゃー。負けた。スリーカードです」
今度は隣にいた柳沢陽太が悔しそうな表情でトランプを提示した。
「……そうですか。じゃあ、あまり心配しない方がいいですね。それから、申し訳ないですけど、わたしフォーカードです」
「……人にそれだけ心配そうな顔向けながら、えげつない手であがるなよ」
俣貫の言葉に楓は少し舌を出して「ごめんね」と言った。
「はぁあ。そろそろポーカーも飽きたわね。お酒もなくなってきたし。どうする? お開きにする?」
「僕はもう少し飲んで遊びたいですね。お酒なら買い出しに行きますけど?」
「楓はどうするんだ? 俺はどっちでもいいけど」
楓ももう少しだけ起きていたい気持ちが強かったため「わたしも買い出しに行くわ」と言い、立ち上がろうとした。
「俺も付いていくよ。松村はどうする? 付いてくるか?」
「わたしはいいわ。少し眠気が出てきたし、お酒買うなら隣の部屋の住人にも言ってあげれば?」
恵子はそう言うと用意してあった毛布を引っ張りながら答えた。買い出しには楓と俣貫、柳沢が行くことになり、隣室のメンバーの所へと向かった。
隣室は演劇部の部室で、楓達がいた部屋はミステリー研究会の部屋であった。演劇部の部室のドアを開け中にいるメンバーに声をかけた。
「ちょうどよかったよ。酒がこっちでも切れててさ。誰が買いに行くか東場だけ打って決めようかと思ってたんだ」
麻雀卓を囲んでいる唐宗彦は嬉しそうにそう答えた。
「何がいいんだよ。今日は負けムードが漂ってたから都合よかったんだろ? お前、今のところドンケツだからな」
「……そんな事じゃない。俺はこんな賭けでは運を使いたくなかっただけだよ。もし今勝ったらそれこそ逆転の機会を減らすことになるからな」
「……お前らのいざこざは後にしてくれないか? 寺脇、お前どうするんだ?」
俣貫にそう言われると、唐とやり合っていた寺脇修司は「俺にも買ってきてくれ」と言い、すぐに唐ともう一度言い合いを始めた。
「あ、俺付いて行きますよ」
二人のやり取りを後目に塚山浩平は立ち上がろうとしたが唐に服を引っ張られて尻餅を付いた。
「馬鹿、お前が抜けたら勝ち逃げになるだろうが。お前はここに残れ」
「……はあ」
「構わないよ。で、塚山は何にする?」
柳沢は同回生の塚山を押しとどめると、塚山は「じゃあ、ウーロン茶」と言い、顔の前で両手を合わせすまなそうに言った。
「あれ? 比良平先輩はどこ行ったんだ?」
「タバコ吸いに行くって言ってたよ。ウチの部室は禁煙だからな。10分くらい前に出たぜ。先輩も結構負けてたからな。悔しそうにして出ていったぜ」
少しにやけながら寺脇が言うと、恨めしそうな顔をしながら唐が寺脇を睨んでいた。
2月10日 23時10分
全員の注文を確認して買い出し隊は文化部棟を出ようとした。雪は止んでいたものの、すっかり外は一面、雪野原になっていた。
「さっさと行って、さっさと帰ってこよう。こんな寒い中にいたら凍えちまうぞ」
そう言いながら俣貫はコートの前を掻き合わせながら一歩外へ踏み出した。楓も続こうと一歩外に出たが不意におかしな事に気が付いた。
「比良平さんって、外でタバコを吸ってるんじゃなかったの?」
「……そう言えば、寺脇さんがそんな事言ってましたよね。どこいったの……」
言いかけて柳沢は口を止め、一点を見ている。楓と俣貫も柳沢と同じ所を見ていた。汚されることなく広がっている雪面に一本だけ足跡が続いている。
「今日って、私たちだけがここに泊まってるんでしょう?」
「そのはずだけどな。だとしたらこの足跡は、比良平さんのって事じゃないか?」
「そうですね。比良平先輩のだと思いますけど。この足跡の方向、演劇場の方に向いてませんか?」
楓は二人と顔を見合わせながら首を傾げた。タバコを吸いに行くと言ったのに、何故劇場の方に足跡が向いているのか解らなかったからである。
「向こうにいるのかも知れないですね。先輩の注文聞いときたいし、行ってみませんか?」
「……そうだな。後で比良平さんが癇癪起こしても困るしな」
本当は二人とも思ってもみないことを口走っているのは楓にも解った。しかし、何もなかったにしても比良平がいることは間違いないだろうから、劇場へ向かうことに楓も賛成した。
雪に足を取られて少し歩きにくかったが1分くらい歩くと、劇場が薄暗いシルエットを現した。玄関口が開いている。
「やっぱり、いるみたいね」
「入ってみるか」
楓と俣貫の言葉に柳沢も頷き、劇場の入り口へと足を進めようとしたとき、中から踊るようにして影が飛び出してきた。
「キャッ!」
その影に驚き楓は雪の上に尻餅を付いた。影はこちら側へ向いて、慌てた様子で歩いてくる。徐々に近づくに従って影の正体が解った。
「比良平さん。どうしたんですか? 慌てて飛び出してきて」
俣貫も比良平の姿を認めて少し落ち着き、ゆっくりと比良平に聞いた。しかし比良平は薄暗い中にも恐怖をこびり付かせた様子で、なかなか声が出てこないようだった。
「……先輩、どうしたんですか?」
「……んでる、中で……」
やっと声を聞き取れたが、途切れた言葉とともに指を劇場内に指すだけで、口を閉ざしてしまった。
「どうしたんです、先輩! 落ち着いて、もう一度言って下さい」
俣貫が比良平の肩を両手で支えながら問い返した。楓は比良平の顔を見てとてつもない出来事が中であったのではないかと少し思った。
「比良平さん。中で何かあったんですか?」
「……死んでるんだ。輝美が……その、舞台上で」
聞き取りにくい声ではあったが、それを聞いて楓は声を詰まらせた。最近この辺りで起こっている動物猟奇殺害事件の類のものを想像していたからである。恵子から聞かされた話が頭をよぎっていた。
「……警察に、連絡……」
比良平がかすれた声で呟くのを聞き、我に返って楓は携帯電話を取り出した。