2005年 10月29日 土曜日 15:00
俺は部屋に戻ってからすぐに数字を紙に書いてしまった。
ここに来たときからおおよその決心は決まっていたのでルールを聞いたときには数字を決めていた。
後はどう結果が転ぶかだけだ。
紙をテーブルに放置したまま絵を描く事にした。
ゲームよりも時間を有意義に使おうと画材を持ってきていたのだ。
久しぶりにやってきた別荘2階から外の景色を描くのも悪くないと思っていたのだ。
あらかたのデッサンを終えていた時にドアからノック音が聞こえてきた。
『光一、入っても良いか?』
「開いてるよ」
俺が背を向けたまま応えるとドアが開き、訪問者が入ってきた。
父の影夫である。
「絵を描いているのか?」
俺の背後に立ち、アゴをなでながらキャンバスを覗き込んでいる。
「ああ。時間が余ったからね」
「ほう、じゃあゲームの解答は定まったのか?」
無言でテーブルを指差し紙を見るように促した。
「はっはっは! お前らしい解答を出しているな。予想はしていたがね」
「なら話は済んだだろう? それよりも兄さん達と話したらどうだ?」
普段から俺に電話をかけてくることの多い父がここに来るよりももっと大事なことだろうと思いそれを口にした。
「兄弟想いなのは解るが、私はお前が心配で仕方がないんだぞ?」
「心配なら無用だね。その心配加減を兄さん達にも向けてやれば良いものを」
「あいつ達は自分で何とかできる年齢だろう。お前はまだ20歳になったばかりじゃないか」
「世間一般なら大人として扱われておかしくない年齢だと思うけどね」
次男の赤人兄さんとでも10も離れている。
上3人は30代で自立をしているからとでも言いたいのだろうが、俺も自立を促されてもおかしく年齢には達している。
「相変わらず反応が薄い奴だなぁ。まぁお前がそう言うならあいつ達とも話をするか。直接会う機会も少ないわけだからな」
「そう思うなら早速行動したほうが良いんじゃないのか?」
俺の言葉でしょぼくれたかのように父は「そうだな」と一言だけこぼして部屋を後にした。
どうせ構うのなら俺の絵について言ってくれればと思ったのだが……。
何故か描き上げたデッサンが気に入らなく感じ、キャンバスを閉じて数字を書いた紙に目を落とした。
「さて、どうしたものか……」
書き上げた数字に独り言を漏らして俺は立ち尽くしていた。
7
2005年 10月29日 土曜日 15:30
『影夫さんが部屋へ来るようにと呼んでいますよ』
マコトくんの声がノック音の後に続いたのを聞き入れ、俺は親父の部屋へ行くことにした。
メインフロアのソファで本を読んでいるマコトくんに「じゃあ親父の部屋へ行ってくる」と告げて階段を上がった。
階段を上がって右手にある部屋が親父の部屋だった。
ドアをノックし「青次だ、入るぞ?」と声を掛けると『入ってきなさい』と返ってきた。
部屋へ足を踏み入れると油絵の具の臭いが充満していた。
筆を持った親父はキャンバスに目を馳せたまま椅子に座っている。
「何か用なのか?」
「ゲームの方はどうだ? 数字は決まったか?」
「慎重な性格は母親譲りだからな。まだ決めかねている状態さ」
現在の自分の状況を軽く告げると親父は唇を薄く上げて笑った。
「そうか。確かに性格は母さんに似ているかもしれないな」
笑った目は遠くを見るようになっていた。
光一を生んでしばらくして亡くなった母の響子を思い出しているのだろうか。
「光一の事も面倒見てもらって悪いとは思っているんだがな」
「そう思うなら新規事業のために絵を譲ってくれても良いんじゃないのか?」
俺の返答に大きく声を出して笑うと親父は俺のほうを向いた。
「母さんがいても同じことを言っただろうな。だがゲームはゲームだ」
「そう言うと思ったよ」
短い言葉を出し合っても意思の疎通はできている。
俺と親父の仲はそういった感じで保たれているのだ。
「光一が留学をしたいといっているのは親父も知ってるだろうけど、その資金は出せないぞ?」
俺の言葉で親父の眉間にはシワが寄った。
「自分のことをしたいってのもあるけど、これは光一の意思でもあるからな」
「光一がそう言ったのか?」
「今は遠慮の塊になってるよ。自分で何とかしたいって気持ちが出てるんだろうな」
「だからといって何かできる状態ではないだろう」
親父の言う事もわかる。
俺が光一にしてやっているのは学費と生活面での最低限の援助のみだからだ。
その状態では留学をしようにも自分一人ではどうしようもない事くらい光一本人も知っているのだ。
「あいつは自分なりに葛藤してるんだよ。親父の援助を受けようかどうしようか」
「光一は私の援助を受けようとはしないがな・・・・・・」
「その事に対して俺が口を挟むのもどうかと思うんだけどな。こればっかりは光一本人が決める事だ」
「…………」
アゴに手を持っていき俯くと親父は黙りこくった。
「とにかくだ。俺は俺で今回のゲームには勝たせてもらうつもりだから、それだけは承知しておいてくれよ」
「……解っている」
「それじゃあ俺は部屋へ戻るからな」
「ああ、そうだ。部屋へ戻る前に緑を呼んできてくれ」
「解った」
一言残して俺は親父の部屋を出た。
部屋を出たときに俺は小さな握りこぶしを作った。
ガッツポーズの小さなものとでも言えば良いだろうか。
話をしながら親父の背後にあった封筒が目に入っていたのだ。
そこに収まっているはずの紙が顔を覗かせていた。
数字までも俺に顔を見せていた。
これで勝算は完全に俺の手の中に握られたのだ。
8
2005年 10月29日 土曜日 16:00
青次兄さんからの伝言をドア越しに受け取り、私は父の部屋へと足を向けた。
ノック後に父の部屋へ足を踏み入れる。
「どうしたの? 呼び出したりして」
「この間、俊介くんから電話があったよ」
突然父は夫の名を口にした。
「株で大損をしてしまったそうだな? 夫婦仲は大丈夫なのか?」
「父さんが気にするほど悪くはなってないわよ!」
「いやいやスマン。怒らせるつもりじゃなかったんだがな」
怒られた子供のように謝る父に少し呆れてしまう。
「で、どうしたっていうの?」
「切々と海外旅行がパーになってしまった事を語られてね。相当楽しみにしてたらしいが」
「私だって彼にその事については言われたし、謝りもしたわよ」
株で損をした事がここまで知られていると恥ずかしいものだと、私は顔が赤くなっていたに違いない。
「少しは株を控えたらどうだ?」
「解ってるわよ。でも何もする事がないのも退屈なものなんだから……」
「その事で一応、俊介くんにも言っておいたよ。海外に緑も呼んで暮らせばどうだとね」
「な、何を勝手にしてるのよ!」
先ほどと違った恥ずかしさで顔が赤くなってしまった。
夫の俊介は私に気を遣って自分一人で海外生活を送っている。
私が日本での生活の方が馴染んでいる事でダダをこねてしまったのだが、俊介はその意見を受け入れてくれた。
彼は日本語と英語以外にも語学を会得していて、日本へ輸入される映画以外の翻訳も頼まれているのだ。
そのたびに環境が変わるのは耐えれそうにない事を告げると承知してくれた。
様々な国での受注が終えた時にはすぐに日本に飛んで帰ってきてくれたり、旅行へ行くようにしてくれる良き夫である。
だからそれ以上のワガママは言わないつもりでいたし、そろそろ一緒に海外生活を送っても良いと思っていた。
だが言いだしっぺの自分から「一緒に生活がしたい」とは言いづらかったのだ。
「俊介くんも一緒に暮らしたいと言ってたんだが、お前が納得しないだろうと言えずにいるって事だったぞ?」
「だからって父さんが言わなくてもいいじゃない!」
「い、いやスマン」
「今度の海外旅行中にでも言おうと思ってたのよ……。でもそれを台無しにしてしまったから言い出すタイミングがなくなっちゃっただけよ。だから自分で何とかするわよ」
何故か父は私の前では謝る事が多い。
私が理不尽に怒っていたりするだけなのだが。
「タイミングをもう一度手に入れるために今回は私がゲームに勝たせてもらうわよ」
「そんな事にタイミングも何もないと思うんだが……」
「あるの!」
「そ、そうか……」
「じゃあ私、部屋に戻るから」
父に背を向けて部屋を出ようとしたが私は足を止めた。
「ねぇ、父さん」
「何だ?」
「どうして私の前でだけそんなにしどろもどろになるのよ? 普通に接すれば良いじゃない、父さんが間違った事をしてるなんて思ってないんだから」
「いや……どうしても……な?」
「どうしても何よ?」
「お前が母さんに似すぎていてな。調子が狂ってしまうんだよ」
「……子供じゃないんだから」
呆れてしまい私はすぐに部屋を出た。
だが父の部屋へ来て正解だった。
数字の書かれた封筒の中身が見えたからだ。
本人は何も気づいてないのだろう、少し開いた封筒から紙が出ている事に。
勝負は私のものになりそうだなと薄く笑みがこぼれた。
9
2005年 10月29日 土曜日 16:45
マコトくんが伝言役になって俺の部屋のドアをノックした。
何でも親父が呼んでいるとの事だった。
部屋のシャワーで汗を流した後だったのですぐに着替えてから行く事を告げておいた。
親父の部屋へ行くと、コーヒーを飲んでいる最中だった。
「赤人か」
人を呼んでおいて『赤人か』とはどういうことなのかと俺は苦笑いをした。
「自分で呼んだんだろう」
「まぁそうなんだがな」
親父は顔にシワを寄せて笑っている。
「最近の画廊はどうだ? 調子は良いのか?」
「お陰様でね。けどあんたのファンの方々は最近まったくと言って良いほど来なくなってるさ」
アメリカ人のジェスチャーをするようにおどけて見せると親父はため息をついている。
「確かにお前に私の絵を渡してはいないが、そんなになのか?」
「お目当てのものがないんだから仕方ないだろう」
「そこはお前の手腕で何とかするところだと思うんだけどな……」
「無いものにどうもこうもできないんだから、しょうがない」
俺の割り切ったような態度に親父は更にため息を漏らした。
「私が絵を提供しなくなったのはお前のその態度にだと解ってるか?」
「ファンの人達にしてみれば俺がどうこうじゃないだろう」
片手で顔を覆うと親父は残った手で「あっちへ行け」というような仕草をした。
「まぁ今回のゲームを自力で勝って何とかしてみせるさ。心配しなくてもチャンスは生かすつもりだぜ?」
「解った、解った。もう行きなさい」
「そんじゃ、失礼」
呼ばれた割には薄い内容の会話だったが収穫は大きくあった。
ゲームの解答が見えていたからだ。
親父は時おり不注意な行動に出てしまうが、それが今回もてき面に出ていた。
封筒から解答の数字が顔を覗かせているなど、親父らしい。
談合もクソも無く今回は自分の勝利を確信してしまった。
もし勝算が見えないようなら談合を何とかして持ちかけようと思っていたが、勝ちが見えたのならそれに従うしかない。
兄弟には悪いが運が回ってきている以上、自分が勝ち抜けさせてもらう事を決めて俺は部屋へと戻った。
10
2005年 10月30日 日曜日 9:00
私は結局一睡もしていなかった。
3冊持ってきた本を全て読み終え、2週目に突入させていたのだ。
メインフロアで寝てしまうと談合が生じる恐れがあったからである。
夕食時に全員と顔を合わせ、トイレのときは影夫氏を呼んでメインフロアでの交代をしてもらって急場を凌ぐようにしていた。
誰も夕食時以外は自室から出てこず、口裏合わせもできない状態になっていた。
朝を迎えて皆がメインフロアに集まってきたところで私は安堵の息を漏らした。
「ご苦労だったねマコトくん」
ホットコーヒーを私のもとに持ってきた青次さんが労いの言葉をかけてくれた。
眠気に冴えるコーヒーはありがたいような、今では必要のないような複雑な味がした。
「それじゃあ早速だが、マコトくんもすぐに休みたいだろうからゲームの答え合わせと行こうじゃないか」
影夫氏が救いの手を差し伸べるように皆に伝えた。
「待ってたぜ。早く親父の数字を教えてくれ」
急かすように赤人が言うと影夫氏は頷いて見せた。
「それでは私の数字だが……」
影夫氏が溜めるようにすると、参加者は軽くツバを飲み込んでいるようだった。
「私が封筒内の紙に書いた数字は『−100』だ」
影夫氏が薄く笑みを漏らしながら言うと「なんだって!?」という声が聞こえる。
ほぼ同時に青次、緑、赤人の三人が声を上げていた。
「どうした? 私は別にマイナスを書かないなど言っていないが?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! 本当にその数字で間違いないの!?」
緑が私に詰寄るようにして言う。
「昨日見せてもらった数字に間違いはありませんよ。私が昨日見た数字も『−100』でしたから」
私が応えると声を上げた三人が頭を抱えていた。
私には何が起きているのか理解できない状態だったが、恐らく合わせて1000からは程遠いのだろう。
「それじゃあ全員順番に数字を書いた紙を見せてもらおうかな?」
影夫氏の言葉に苦々しい表情を浮かべながらまずは青次が紙を提示した。
「ほう、青次は『0』と書いたのか。これは勝ちにかなり遠い数字だな」
嬉しそうに声を出す影夫氏とは対照的な表情を青次は浮かべていた。
「に、兄さんもそう書いたの!?」
「ん? 緑は何と書いたんだい?」
影夫氏に促されて緑は自分の紙を広げて見せた。
そこに書かれていた数字は青次と全く同じ『0』だった。
「これは凄い偶然だな。お前も青次と同じ数字を書いたのか」
また嬉しそうな声を出すと影夫氏は笑っていた。
「くそ!」
自分の番に回ってくる前に赤人は紙を丸めて床に叩きつけた。
「試合放棄にはまだ早いだろう、赤人。どれどれ……」
床に転がった紙を影夫氏は拾い、広げている。
「何だお前達。全員『0』じゃないか」
紙を私に見せるとそこには確かに『0』と書かれていた。
「私が『1000』を書くと思っていたようだが、残念だったな」
「嵌められた……」
私にはそう聞こえた。
小さく漏らしたのが誰かはわからなかったが、確かにそう聞こえてきた。
「という事はだ。もし光一が『1』以上の数字を書いていた場合は、光一の勝ちというわけだな」
「そうだね。でも俺だけの勝ちはないみたいだよ」
光一が言うと影夫氏の顔は笑みから驚きの表情になっていた。
「お、お前は何と書いたんだ!?」
急かす影夫氏にゆっくりと光一は紙を広げて見せた。
そこに書かれていた数字は皆と同じく『0』だった。
「何だと!?」
今度は驚きの声を上げているのが影夫氏になっていた。
「ま、待て。お前は昨日確か……」
「気が変わって書きなおしたんだよ。でもこれじゃあ皆が同じ数字になってしまうな。なら全員が同率で1位だ」
ニッコリ笑って光一が言うと先ほどまで苦々しい表情だった3人が光一にしがみついて「よくやってくれた!」と歓喜の声を出している。
「さぁ、父さん。これで全員に同等の扱いがされるはずだよね?」
「だ、ダメだ! お前達は口裏を合わせたんだろう! なら不正だ! 失格だ!」
地団太を踏みながら影夫氏は全員を失格だと声を上げている。
「ちょっと待てよ親父! 俺達は昨日、夕食以外で顔を合わせてないぞ! マコトくんに聞いてみればいい!」
赤人が抗議に出ると、影夫氏は私に向き直り「本当なのか!?」と声をふるわせている。
「ええ。間違いないですよ。私は一睡もしてませんし、その証明に偽りはないです」
「そ、そんな……」
ソファにもたれ掛かるようにうなだれると影夫氏は悔しそうに床を小突いている。
「昨日は影夫さんが15時頃に光一君の部屋へ行って、その後15時半頃に青次さんが影夫さんの部屋へ。代わるように16時頃に緑さんが影夫さんの部屋へ行き、さらに代わるように赤人さんが16時45分頃に影夫さんの部屋へ行きましたよね?」
皆に確かめると一様に頷いている。
「お互いが顔を合わしている事もなかったですよ。夕食のときは影夫さんがいたから談合をしていない事は確認しているでしょう?」
影夫氏はうなだれながらも頷いている。
「ならば偶然であるとしか言いようがないですね。今のところは」
私の言葉を聞くと影夫氏は立ちあがりやけくそとばかりに声を出した。
「解った! それなら全員に絵画を渡そうじゃないか! 自分で言い出した事だ、仕方がない!」
その声を聞くと兄弟4人は更に歓喜の声を上げていた。
…………………………
その後は全員が談笑し、私は眠ることにし、明るい時間が過ぎていった。
ただどうしても不思議で仕方がない。
何故全員が『0』という数字を書いたのか?
そして影夫氏がどうして驚きの声を上げたのか?
『0』は偶然なのか、それとも必然なのか?
必然ならばどうして、すべてが『0』になったのか?
談合は行われたのか、あるいは行われていないのか?
ひとまず眠りに就こう。
その後でゆっくり考える事にしよう。
今は眠りたいのだから……。
ここまでの問題編の中におおよその推理を展開するだけの材料は揃っています。
『すべてが0になる』のは必然だったのか偶然だったのか?。
談合は行われたのだろうか?
これらの疑問を解決へと結び付けてください。
今回は投稿は設けませんので、自分なりの解答が出た方は下記リンクから解答編へ移ってください。
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