2008年 2月23日 23:00
遠藤は自宅に帰っても頭を抱えたままだった。
刑事課長から「進展がないようだが、どうなってるんだ?」とせっつかれてしまったことが大きな要因であった。
「進展なんて言われてもな……」
全くの取っ掛かりが掴めないだけにイライラが募るのか頭を掻き毟ったり、ヒゲを撫で回したりと落ち着く気配を見せない。
「神も仏もないってのはこのことだな……」
天上に悪態をつきコーヒーでも淹れようと立ち上がったときだった。
一瞬眼前の空間が僅かに歪んだ気がした。
疲れが溜まって立ちくらみでもしたのかと思ったがどうやらそうではない。
壁の一部がCGのように確かに歪んでいる。
歪みは徐々に一つの塊となり薄ボケてはいるが人型の落ち着きつつあった。
「な、なんだぁ!?」
頓狂な声を上げて目を見開くが見間違いではない。
「強く念じましたね」
薄ボケた人型からは想像できないほど透き通った声が飛んでくる。
「私は妖怪・神の目」
「よ、妖怪?」
ついに疲れがピークを越えたのだと感じた。
ありもしない妖怪などが現れてしかも語りかけている。
「疑いの目で見ているのでしょう。しかしコレは真相を願う念の強さが具現化したもの。私はその思念そのものです」
今の状況だと宗教勧誘にでもあえば、ほいほい入会する事は疑いもない。
眉間に指を押し当てて疲れから逃れようとするが語りかける声は止まらない。
「轟舞子殺害の犯人を知りたいのでしょう?」
被害者の名前が出てきたところで身体が反応した。
「私が現れた以上、真相が明かされるまでこの空間から逃れる事はできません」
神の目がそう言うと遠藤を包む風景は住み慣れた自宅のものではなくなっていた。
薄暗い空間に囲まれ、宙に浮いている感覚に変わる。
「おいおい、ちょっと待て! 勝手に話を進めるな! 何だここは!?」
「推理に必要なもの以外を省いた空間です。脳内とでも考えてもらえば結構です」
「推理ってお前……本気で事件の犯人が解ってんのか!? 大体、お前は何なんだ!?」」
「この世で唯一の超常現象とでも言っておきましょうか。つまり私以外の超常現象は起こり得ない。そこで起こり得る謎を解明するのが私の使命」
「だから事件の謎を解き明かそうってのか?」
「その通りです」
不思議と相手の声は疑いを越えた何かの力を持っているような気がしてしまう。
「私は名の通り神の視点を持って事件の断片を集める事が可能です。それらを一つの線で繋ぎ真相を形作ります」
「断片といったって、そんな取っ掛かりになるものがあればとうに俺たちが掴んでるはずだろう!?」
「ええ、仰るとおりです。それではその取っ掛かりになる出来事を提示しましょう」
*
突然目の前にヒラヒラと数枚の紙のような物が降ってくる。
手を差し出すとそれらの紙は静かに手の中に着地した。
「ん? これは……」
よく見るとそれは紙ではなく写真であった。
「そうです。桜木圭とそのマネージャー日比谷、販促の鬼山が密会していた現場写真です」
「それがどうした? こんなものだけで犯人が解るっていうのか?」
「いいえ。コレだけでは犯人は特定できません。しかし、特定材料の一つにはなります」
「特定材料って……」
「殺害された轟舞子はご存知のように強請りを行っていました。今回の事件も強請りに耐えかねた人物が起こしたことと考えられます」
「まぁそれは考えられるが、だからって犯人が誰かまでは……」
「お解かりになりませんか? その三名は犯人ではないという事です」
「……ん? 桜木、日比谷、鬼山が犯人じゃないってこと……そうか!」
「強請りに耐えかねて轟舞子を殺害したのであれば、強請りの材料となるものをその場に放置しておく事はありえません。現に彼女の自宅のPCは破壊され、強請りの材料となるデータは破壊されています」
神の目がそこまで語ると遠藤を囲むように新たな人影が現れた。
しかしそれは確実な人。
「ちょっと、なによここ!?」
「あれ!? 事務所じゃないのか!?」
「さ、桜木先生に日比谷さんじゃないですか!? なんでこんなところに!? ってここはどこですか!?」
現れた人影は桜木、日比谷、鬼山の犯人ではないとされた三名だった。
「彼らにも事件の真相を知る権利があるでしょう。彼らは犯人ではありませんのでここへお呼びいたしました」
「わ、私達が犯人ですって!? 冗談じゃないわよ! 刑事さん、まだ私達を疑ってたっていうの!?」
桜木は憤慨しながら遠藤に詰め寄る。
「これで一つの状況をクリアできました。それでは次に出てくる特定材料です」
「別の犯人特定材料があるってわけか」
鬼山は感心したように頷いているところに遠藤は疑問を抱いた。
「ちょっと待て。何で彼らは状況を飲み込んで話が進んでるんだ?」
「推理が開始されてからここへ呼ばれた人たちは推理に進行状況を知った状態で現れることが可能になります」
すでに起きている現象から考えても今は何が起きても疑問に思うこと自体が間違いなのかもしれないと遠藤は思った。
「解った解った。先を続けてくれ」
「かしこまりました。それではもう一つの特定材料、それはこのホテルマンの発言です」
「17時50分頃だったと思うんですが、ルームサービスを頼まれまして。それで18時20分過ぎ頃にこちらにお持ちしたんですけれども、ドア越しにやはりいらないと言われまして」
「ああ、ルームサービスをキャンセルされたって話か」
遠藤はヒゲをさすりながらホテルマンの言葉を思い出した。
「えっと……これで解る事っていうのは17時50分〜18時20分頃までは轟は生きていたってことですよね?」
日比谷が材料を吟味するように言うと神の目は頭を振ってみせた。
「確かに17時50分までは生きていましたが、18時20分には彼女はこの世にはいない」
「どうしてそんなことが解るのよ」
「事件が起きたシーンの時刻がそれを指し示しています。彼女が殺害されたのは犯人が訪れた18時過ぎです」
「え? あれ? それじゃあ辻褄が合わないじゃないですか。ホテルマンはルームサービスのキャンセルを受けたって……」
鬼山が提示された内容が上手く組み立てられないところで桜木が「あ!」と声を上げた。
「ホテルマンはドア越しにキャンセルの声を聞いただけなのよ! だから本人が生きてるかどうかの確認はしてないわ!」
「その通りです。ホテルマンが聞いた声は轟舞子のものではありません。部屋の中にいた犯人がホテルマンに対して伝えたものなのです」
「いっくら何でもそんな勘違いしますかね?」
「それではこのセリフを」
「体調が悪かったんだろうと思いますけれども、電話とは少し違った……寝起きのような声でしたから」
「このようにホテルマンは実際に勘違いしたままでした」
「確かにそう言ってますね……」
「って事は、犯人は男性ではないってことよね?」
「ど、どうしてだ!?」
遠藤は桜木が行った推理に頓狂な声を上げた。
「殺害された轟舞子は女性です。いくらなんでも本人かどうかの声を聞き間違えても男性の声と女性の声を聞き間違える事はありません。つまりホテルマンを勘違いさせる事ができるのは女性ということになります」
神の目の推理が展開されると再び遠藤の周りに人影がいくつか現れる。
「あ、あ、あ、ああああああ!? 桜木先生だ! もう会えないと思ってたのに、やっぱり僕たちは運命という名の糸で結ばれてるんですね!」
突如現れ感極まった声で喋り始めたのは箕輪駿だった。
「ちょ、ちょっと! こんなのまで呼び出さないでよ!」
迷惑そうに桜木が言うと「この空間には犯人ではない方を呼び出すようにしておりますので」と神の目は淡々と告げる。
「う、うわ。さ、桜木先生に鬼山!? どうしよう……何も責任の取り方なんて考えちゃいないのに……」
門戸は突然の出来事に思っていた言葉を口に出してしまう。
それに反応するように「何も考えてないって、どういうことよ!」
「ま、まぁまぁ。この場はとりあえず犯人が解るまで待とうじゃないか。話はその後でもいいじゃないか」
取り成すように日比谷が伝えると桜木はムスッとした表情のまま押し黙った。
「お、おい。それじゃあまさかこの場にいない女性が犯人って……」
そこまでいうと鬼山は悲壮な顔をして言葉を途絶えさせてしまった。
全員の視点が鬼山に注がれる。
その張り詰めた空気を破るように人影が一つ現れた。
2
空間に現れた者に今度は一斉に視線が注がれる。
「あなたが犯人だったのね……」
桜木は視線の先にいる女性に向けて声をかけた。
「いいえ。彼女は犯人じゃありません」
「な、なんで私が犯人なのよ! 違うわよ!」
風祭りおが憤慨した声を上げるとその場にいる一同は呆然としていた。
「え……だって、特定できる材料の二つに当てはまるのってこの人だけなんじゃないんですか?」
箕輪が得心行かない様子で神の目に問うと、それに応えるように頷いてみせた。
「確かに彼女は二つの条件に当てはまります。しかし彼女にはアリバイがあります。先ほども伝えたとおり轟舞子が殺害された時刻が18時過ぎです」
「そうだ! その時彼女は俺と一緒に居酒屋に行ってたんだった! いやいや、忘れてた……」
「そうです。彼女は鬼山さんと17時50分の時点で居酒屋に向かっています。居酒屋までは会話の通り20分はかかりますし、一緒にいたのでは問いに出された『単独犯』という項目に当てはまりません」
「おいおいおい! いきなり変なこと言うなよ! 問いって何だよ!」
遠藤は神の目に詰め寄ったが落ち着き払った声で「私には今回の内容についての神の視点、つまりは第三者がこの事件を見る視点を持ち合わせています」と制止させた。
「私は全ての視点から事件を紐解く事ができます。挑戦状にも『犯人を特定するヒントは問題編に全て提示されている』と示されていたでしょう。それも神の視点を持つ者であれば見落としてはいけない箇所になります」
「そりゃ一介の登場人物たる刑事には解らないってことだわな」
遠藤は開き直ったように登場人物の一人として振舞い始めた。
「でもそれじゃあ登場人物ってのもいなくなるんじゃないのか?」
「そうだよ。お前もたまには的を得たこと言うじゃないか、門戸」
「いいえ。犯人の条件を満たしている登場人物はここにいる方たち以外にも存在します」
神の目が一蹴するように伝えると食って掛かるように「ちょっと待ちなさいよ!」と桜木が詰め寄った。
「まさか途中で出てきた刑事とかホテルマンとかいうんじゃないでしょうね? それじゃあさっき言ってた挑戦状に書かれてる『犯人の名前』って特定ができないわよ」
「もちろん彼らが犯人ではありません。犯人には登場人物としてしっかりとした名前が与えられています」
「だからそれは誰なんだと圭も聞いてるんじゃないか」
日比谷も苛立ちを隠せないようにしている。
「この場にいない女性の登場人物は一名しかいません」
神の目が言葉を切ると一同は次の声に注目した。
「犯人は江戸川乱歩です」
3
「ちょ、ちょっと。そんなのアリなの?」
風祭が戸惑うような声で問いかけると落ち着き払った声で神の目は語りだした。
「極端な話から始めるとこの事件、いえ『神の視点』という物語自身が作られた話です。現実世界に存在する江戸川乱歩という作家と同一人物である必然性はどこにもありません。つまり実在していた江戸川乱歩が男性であり、すでに他界している人物であろうと物語の中で登場する江戸川乱歩とは一切関係はありません」
「いや、いくらなんでもそれは……」
「ミステリーであり作られた話である以上、全ての先入観を取り払って事件を見つめる必要があります。つまり江戸川乱歩が『女性』であり『今なお生きている』という考えを持ってもおかしい事ではありません」
神の目が指を鳴らすような動きをすると一同の前に江戸川乱歩が現れた。
「江戸川先生……」
桜木が敬愛する作家に震えるような声で呼びかけていた。
「どうして……。先生も強請りを?」
「私が題材にしていた小説があるのよ。傑作として世に出たものよ。私が手がけている小説のジャンルは何かご存知よね?」
「ミステリー小説……」
「そう。私が世に名をはせるきっかけになった小説。今まで何をやっても売れなかったのに、そのミステリーだけは違った。売れた理由は私には明確に解るわ。その小説の中で起きる事件は私が実際に起こした事件なのよ」
一同は思いもよらぬ告白に息を呑んでいた。
「事実は小説より奇なりとはよく言ったものだわ。小説家として書き上げてきたものより事実起こったことを書きあげたほうが世間からは注目されたんだもの。もう十数年も前の事件。間もなく時効にもなるはずだった。それが、あの女が……」
口惜しそうに唇をかみ締める乱歩はため息を漏らした。
「どこから得た情報なのだろうと不思議に思っていたのよ。まさかあの女が被害者一族の娘だとは思わなかったわ。執念という感情だけで私が犯人である証拠を、警察ですら解りえなかった証拠を彼女は握っていた。それにしても馬鹿な女よ。てっきり警察にでも突き出すのかと思ったのに私に強請りをかけてくるんだもの」
「……そ、それで口封じを!?」
「金を用意していけばどこかに隙が生じると思っていたわ。犯人の尻尾を掴んだ事で気持ちも大きくなってたんでしょうね。あっさりと殺されてくれたわ。そこで私は喜びに震える事になったわ」
「ひ、人を殺して喜ぶだって!?」
遠藤は信じられない思いを怒声に乗せ吐き捨てると乱歩は鼻で笑い一蹴した。
「殺した事に喜びなんて感じないわ。それ以上に新しい作品に今回の出来事も生かせるんじゃないかと思ったのよ。作家としてこれ以上の喜びがあると思う? 事件が落ち着くまでコレを温めておくことが苦痛だったくらいよ」
「そ、そんな……」
憧れの小説家の告白に膝から崩れ落ち桜木は呆然としてしまった。
「彼女には感謝しなきゃいけないわ。私にはまだ書くべきものが溢れているんだもの。事件の事、それに刑事さん私を逮捕するんでしょう?」
「あ、当たり前だ!」
「ならば獄中での生活をも書く事ができるんだもの。ふふふ……」
狂ったような笑みを漏らしている乱歩に近づき遠藤はあっさりと手錠をかけた。
「本当に書けますかね? あなたは今回の事件だけではなく過去に起こった事件の犯人でもあるとのことでした。ならば死刑だってあり得る。あなたが先ほど言われましたよね。事実は小説より奇なりと。事実は小説より残酷なものなんですよ。空想に逃げる事のできない現実を味わう義務があなたにはある」
遠藤が手錠を強く握ると空間はゆがみ全く別の風景に変わっていた。
4
「それでは警部、江戸川乱歩を連行します」
警官が2名江戸川乱歩の腕を掴み連行していくと、遠藤は周囲を見渡した。
「な、何だ!? 俺の家じゃないぞ!?」
見覚えのない風景に戸惑い、さらに周囲を見渡すがそこには先ほどまで集まっていた事件の関係者の姿も消えていた。
「ゆ、夢……?」
呟くと同時に部屋の隅に人型の影が浮かんでいるのが見えた。
「いいえ、これは夢ではありません。事件はあなたが解き明かした事として処理されています」
「か、神の目か?」
「私の役目は終えました。もうあなたの前にいる必要もありません」
声と共にゆっくりと薄らいでいく神の目に遠藤は語りかけた。
「ま、待てよ。お前は……」
「私は神の目。謎が起こる場所に現れる妖怪。それ以上でも以下でもありません」
影は集約すると眩い光を発し、遠藤と風景を包み込んだ。
2008年 2月23日 23:00
全ての真相は語り明かされた。