「なるほど。これは難しい事件ですね」龍造寺悟はタバコに火をつけながら言った。
「しかし、人間がなしえた犯罪ならば、解けない謎はありません。私には解りましたよ」
「本当ですか」東山美樹は身を乗り出した。
「しかし、真相はあなたにとって辛いものとなります。なぜなら、犯人はあなたの身近な人物なのですから」
「それは――覚悟しています。あの日、同窓会に集まったみんなの中に犯人がいるのだと、覚悟していました」東山は目を閉じ、強くうなずいてみせる。
「だから探偵さん、遠慮なく言ってください。はたして誰が犯人なのか」
「犯人は――」探偵はソファから立つと、腰のうしろで手を組み、窓から外を見つめ、さんざんもったいつけてから言った。
「犯人は、中須賀貞治氏です」
「…………は、はい?」
「これは実に恐るべきトリックでした」口をぽかんと開いた東山に構わず、龍造寺は窓の外で暮れゆく夕陽を見つめる。
「いったい誰が想像するでしょうか。被害者と思われていた、殺されたはずの中須賀氏が犯人だなどと。東山さん、私もあなたの話を聞き、すっかり誤解してしまうところでした。――あなたの高校は、定時制だったんですね」
「て、定時制?」思わぬ単語の出現に東山は目を白黒させる。
「定時制と普通科の高校には大きな違いがあります。それは、通学する生徒の年齢がまちまちだということです」夕陽が目に染みるとでも言いたいのか、龍造寺は目を細めた。
「普通科の高校のように、生徒はみな10代の子供たちとは限りません。さまざまな理由で高校を卒業できなかった大人たちも、子供に混じって勉強することがあります。そして、南浦剛氏もその一人でした」
「み、南浦君が?」
「そうです。南浦剛氏は、ある事情で10代のみぎりに高校を卒業できず、50を過ぎてから定時制に通い出したのです」
「ご、50?」
「べつに驚くべきことではありません。50の手習いとも言います。人間の向学心はいくつになっても衰えないものなのです。もちろん人によりますがね」龍造寺は気どって肩をすくめたが、九州男児丸出しの彼の顔では、そんな欧米チックな仕草は全く似合わなかった。
「南浦氏が50で勉学を志したことよりも驚くべきは、その高校に彼の双子の兄弟がいたことです。それも、教師と生徒の立場としてね」
「ふ、双子?」
「そうです。南浦剛氏と中須賀貞治氏――2人は双子でした」
「 」オウム役に徹していた東山も、さすがに言葉を失った。
「彼らの間にどんな確執があったのかは、誰にも解りません。だから事件の話だけをしましょう。中須賀氏は南浦氏を殺し、入れ替わりました。中須賀氏は双子の片割れを葬り、同時に自分自身をも葬り去ったのです。
なぜそんなことをしたのか? 目的は殺人でした。後野修悟氏を殺害するため、彼は生ける屍となったのです。
法の裁きを逃れ、警察の追撃を避けるため、中須賀氏は黄泉の国へと逃げ去ったのです。
南浦氏を殺し、自分が死んだと見せかけ、そして後野氏を殺しました。これが――真相なのです」
「………………………ひとつだけ、言ってもよろしいでしょうか」
世界の終わりまでつづくかと思われた沈黙の後、東山は言った。
「南浦君は、私と同い年です」
「……東山さん、失礼ですがお年は? ……50過ぎには、ちょっと見えませんね」
「失礼します」荒々しくハンドバッグをつかみ、東山は立ち上がった。
大股で帰宅を急ぎだした彼女の前に、大神涼子が申し訳なさそうな顔で立ちふさがる。
「本当にすみません。うちの所長のあれは、寝言みたいなものなんです。抑えようと思っても、自分ではどうにもならないんです」
「帰らせてもらいます」
「東山さん、もうすこしだけご辛抱いただけませんか。せっかく来ていただいたのに、真相を聞かせずにお返ししては申し訳ありません」
「――真相?」驚いて目を剥く東山に、大神は微笑んだ。
「はい。事件の本当の真相を、お話しします」
*
「所長の悪いところは、事件をややこしく考えてしまうことです。ややこしく考えるからいつも、ありもしない余計なトリックを使うことになるんです」
「……」龍造寺は無言で窓の外を見ていた。怒っているようにもいじけているようにも見えるが、両耳は全力で大神の声を捉えてた。
「所長が長々とお話ししてしまったからお疲れでしょう。手短に参ります。まず――犯人は南浦さんです」
「南浦さん、ですか」失敗に懲りた東山は容易に驚きの色を見せない。
「はい。南浦さんが、この2つの事件の犯人なのです。正確には――1つの殺人と1つの自殺の」
「じさ……つ?」
「中須賀さんは自殺でした。他殺ではありません。自ら命を絶たれたのです」
大神は自信ありげにうなずいてみせる。
「で、でも遺書はないし、足場に使ったイスも机の下にしまわれていたんですよ。それに、部屋の外はテープで目張りをされていました。自殺なんてできるわけが……」
「ですから、南浦さんが他殺に見えるように偽装したのです」
「…………」
「順を追ってお話ししましょう」大神は紅茶を勧めながら、ゆっくりと語りだす。
「北村さんと2時に別れた南浦さんは、なにかの用事で中須賀さんのお宅に戻りました。忘れ物でもしたのか、理由は解りませんがとにかく、彼はそこで中須賀さんの変わり果てた姿を見つけました。首を吊って自殺されていたのです。
とっさに彼は考えます。彼にはかねてより殺してしまいたい人間がいました。そう、後野さんです。
この突然降りかかってきた事態が、恩師の与えてくれた大きなチャンスのように、彼は感じました。
彼はまず、自殺を他殺に偽装することにしました。足場のイスを片づけ、ドアの外からテープを貼ります。遺書があったのかもしれませんが、それも処分したことでしょう。ドアの鍵は中須賀氏のくせで初めからかかっておらず、外部犯の犯行として、なんの問題もない状況ができあがりました。
検死官を職業とする彼は、中須賀さんの死亡推定時刻も計算に入れていたことでしょう。彼の見立てでは、1時半に別れた西大寺さんにアリバイが成立しなくなるはずです。西大寺さんに犯行をなすりつけようとまで考えたかは解りませんが。ただ、南浦さは捜査をかく乱したかったのです。
そして2日後、彼は本当の目的を遂げました。後野さんを殺したのです。その際には部屋の外側からドアの周りにテープを貼りました。中須賀さんの殺人事件と同一犯の犯行だと、2つの事件にはつながりがあると見せかけたのです。
後野さんを殺す際には自分のアリバイを作れませんでしたが、中須賀さんの事件の際には、他ならぬ刑事と一緒にいたという鉄壁のアリバイがありました。2つの事件の犯人は同じ、しかし自分は最初の事件には完璧なアリバイを持っている――
そんな状況を作り出し、容疑の外に逃げようとしたのです。彼はドアに目張りしたテープで、自分を嫌疑の外へと追い出したのです。
でも――彼にとっては不幸なことに、後野さんの事件の際、西大寺さんのアリバイは成立してしまいました。
おかげでどこにも犯人がいなくなってしまうという、不思議な状況になったのです」
それにしても――と、一息に語り終えた大神はいたずらっぽい目で龍造寺を見た。
「なんだかんだいっても、所長は名探偵ですね。犯人だけは、ちゃんと当てていたんですから」
fin