関係者が集まっている部屋へ到着すると石黒がドアを開けて出てきた。
「大岡さん、困りますよ。聴取がある直前でどこへ行かれてたんです?」
やけに大岡と甚五郎の扱いが違う。甚五郎は合点がいかないでいたが、大岡の顔を見ると納得がいった。昔甚五郎がしごかれていたときの大岡の顔になっていたのである。恐らく先程は大岡が居なかったため甚五郎に対しても強気で話していたのである。そう思うと虎の威を狩る何とかと同じく、甚五郎も胸を張ってしまう。
「石黒君、君の友人だと言っていた刑事が病院へ運ばれたのをしらんのか?」
「えっ!」
「T**中央病院へ連れて行かれたよ。捜査中舞台から足を踏み外して落下したらしい」
「……! ち、ちょっと行ってきます。構いませんか?」
大岡が「早く行ってこい」と言うとその言葉に弾かれたように石黒は甚五郎達の元を駆け去っていった。どうやら北村を親友だと思っているらしいことは間違いないようである。
「……悪いやつではないんだがな」
ぼそりと大岡が呟くと、甚五郎は自分と北村の関係を客観視したようで少しおかしかった。
そのままドアを開けて中に入ると大勢の若者が並んでいる。先程やけに事件のことを聞きたがっていた学長の姿はない。どうやら石黒に話を聞いて事務処理をすべく自宅へ帰ったようである。
中に入りT署の警官から演劇関係者のリストを手にすると甚五郎は口を開いた。
「警視庁捜査一課の冬馬甚五郎です。先程聴取を受けたばかりかと思いますが、もうしばらく辛抱していただきましょう」
そう言うと遊び人風の男が口を開いた。
「刑事さん。さっきの刑事はこっちのことを聞くばかりで事件の状況を教えてくれなかったんだ。その辺はどうなってるんだよ」
最近の若い連中はあまり言葉の使い方を知らないらしい。まだ石黒の方がまともに聞こえたのは甚五郎の遊び人風の男への偏見からだった。
「事件は昨夜19時から20時の間に起こったものと思われます」
「だーかーら。その辺のアリバイの話はさっきの刑事に受けたんだって。どんな風に輝美さんが死んだのか教えてくれって言ってるんだよ」
「あなた……えーと名前は……」
「唐宗彦だよ」
「では唐さん、お答えしましょう。その前に一つだけいいですか?」
甚五郎が口調に威圧感を込めながら言うと、唐は少し身を退きながら頷いた。
「ありがとうございます。今、石黒刑事からは事件のことを聞かされていないと言いましたが、被害者が深山輝美さんであることをどこで知ったんですか?」
「何だ、そんなことか。佐波さんから聞いたんだよ。ほら、そこにいるだろう?」
唐が指さすとそこには切れ長な目をした美人顔の女性が座っていた。関係者から少し離れるように座っている。
「……佐波楓です」
「佐波さん。どうしてあなたは被害者が深山輝美さんだと言うことを知っているんですか?」
「……比良平さんがそう言ってました」
結局の所は巡り巡って第一発見者の所へ行き着いた。
「なるほど。では、比良平さんからどういう状況だったのかは聞かなかったんですか?」
甚五郎が質問するとこれには好青年な感じの俣貫という男が答えた。自らの名前を先に述べてから話し始めた。
「比良平さんはそこだけは思い出したくないから話したくないと言っていましたから、聞きませんでした」
「こっちが答えたんだから早く答えてくれよ刑事さん」
せかすように唐が口を開く。その態度に少しムッとしたが堪えて答えた。
「そうでした。被害者は皆さんご存じの通り深山輝美さん。死因はハッキリしませんが首を絞められナイフで刺された痕があることから、絞殺もしくは刺殺と考えられます。この辺りは司法解剖の結果を待ってみないことには解りません。死亡推定時刻はざっとではありますが、最後に目撃された昨晩19時から20時の間と見られています」
「僕にはアリバイがあります!」
いきなり嬉しそうな声をあげた男がいる。
「どうして君にはアリバイがあるのかな?」
「その時間、柳沢君は僕たちと一緒に遅い夕食を食べてたんです。あと、佐波さんと比良平さんも一緒でしたよ」
柳沢という男の答えを俣貫が言った。
「ほう、何を食べておられたんですかな?」
「カップラーメンです。ここに来る前に3つほど買ってきたんですけど、1つ余るので比良平さんも誘って食べたんです」
「3つ? それでは……」
「僕は自分用に1個買ってたから、佐波さんと俣貫さん2人3個だと1つ余るって言うこと」
甚五郎が疑問を口にする前に柳沢が先に答えを言った。
「なるほど、ではアリバイありと考えてもいいですかな」
「当然!」
柳沢は自信満々の表情で言った。この男は唐とは違ってまじめそうな風貌であるが、甚五郎はあまり好きになれなかった。
「では、他の方々はどうなさったんですかな? そちらの端の方からお願いできますかな? 名前と一緒に」
甚五郎から向かって右端にいる人物に促した。気の弱そうな感じの男が座っている。背を丸めて髪の毛をかいている。
「塚山浩平です。その時間は自宅に帰って食事をしていました。下宿がすぐの所にあるんです。歩いて5分くらいのとこです」
「どうして自宅で食べようと?」
「……あんまりお金に余裕がないんですよ。自炊の方がお金は掛からないし」
「なるほど、ではそれを証明される方は?」
この言葉にさらに俯き「……いません」と呟いた。
「解りました。では次、あなたお願いできますか?」
塚山の隣に座っていた眼鏡をかけた女性に話を促す。少し気むずかしそうな感じのする人物である。
「松村恵子です。塚山君と同じで、自炊するために自宅に帰りました。帰り道が途中まで一緒だったんで塚山君と帰りました」
「あなたのお宅はどのくらいの距離になりますか?」
「歩いて10分くらいだと思います。でも、雪が少し降って積もってましたから、もう少しかかったと思います」
「では塚山さんも同じく5分位さらに追加して考えるとしましょう。自宅に着いた後のアリバイを証明できますか?」
「……できません」
「ありがとうございました。次は……」
促すまでもなく唐は言う気満々の表情である。
「俺はあるって言えばあるな。自宅近くに出てた屋台のラーメン屋で飯食ったんだ。屋台なんて珍しいからそこで食ったよ」
「で、自宅まではどれくらいかかりますか?」
「俺の下宿は……大学の目の前。だから全然時間かからないですね」
「屋台にはどれぐらい居ましたか?」
「……15分くらいかな?」
「その後は?」
「……家で一人でゲームしてた」
「アリバイなしですね?」
唐は頷くとむすっとした顔をして横を向いた。
「では最後に、寺脇さんですね? あなたのアリバイをお聞かせ願えますか?」
リストにチェックを入れていき、最後に残った寺脇を指名した。
「他の奴らと同じさ。自宅で飯食ってたから……あっ!」
「どうされました?」
「俺、ピザ頼んでたんだ! 宅配ピザ。これってアリバイになるんじゃないかな?」
「どう言うことですか?」
「家に帰って、俺、宅配ピザ頼んだんだよ。19時15分くらいかな? それから45分間待ってたんだよ。家までは歩いて15分かかる。レシートだってあるぜ!」
自信満々の表情で宅配ピザのレシートを提示して見せた。確かに受け取り時刻は昨夜の20時になっている。しかし、ここで甚五郎は寺脇のアリバイが崩れる話をして見せた。
「確かに20時にピザを受け取っているのは解ります。しかし、あなたが自宅から電話を掛けたという証拠はない。あなたは何でピザ屋に注文しましたか?」
「……何って、ケイタイだよ」
「ではどこからでも電話は掛けられたわけですね?」
甚五郎の一言で寺脇は手に持っていた財布を落としてしまった。アリバイが成立すると思っていたのが崩れてしまったためショックが大きかったのだ。
「つまり、あなたが劇場で19時に深山さんを殺害したとします。殺害までに掛かった時間を10分としましょう。それから5分後に家に到着するまでの時間を使ってピザを注文し、下宿先で待機する。そうすればピザが到着したころにも家にいるわけですから、アリバイはなくなります。違いますか?」
「…………」
寺脇は言葉を失った。しかし反論してくる。
「警備員に聞けばいいじゃないか。俺が何時に帰ったかを。それから何時にここに来たかを聞けばいいじゃないか。そうだよ、そうすればアリバイは成立するって」
「……解りました。後で警備員室で確認しましょう」
甚五郎は少し焦っていた。もし警備員がアリバイ証言を確かなものにしてしまうと、誰にも犯行は不可能になってしまう。これが大岡の言っていた不可解なことだったのだと今になって気付いた。
「とにかく、今の時点では何とも言えません。では次に移りましょう」
甚五郎は別の質問で焦りを悟られないようにした。
「被害者発見の状況です。比良平さんは昨晩22時50分頃、タバコを吸うと言って表に出た」
「……そうだよ」
「その後演劇場の方へ向かわれて死体を発見する。その後23時10分過ぎに演劇場の方へ向かった佐波さん、俣貫さん、柳沢さんの3名と演劇場から出てきた比良平さんが鉢合わせる。そこで深山さんが死んでいる事を知り、佐波さんが通報した」
確かめるようにそれぞれに聞くと全員が小さく頷いたので話を進めた。
「この後誰も劇場の方へは入りませんでしたか?」
「比良平さんが『入るな』って言ったんで入りませんでした」
「と言う事は死体を確認したのは比良平さんだけと言うことになりますか」
独り言のように呟くとそれにも賛同し一同は頷く。
「その時何か変わったことはありませんでしたか?」
「……足跡が、足跡が一つだけだったんです。その……比良平さんのだけ」
少し言いにくそうに比良平の方を見ながら楓がぼそりと言った。
「足跡が一つとは?」
「文化部棟から劇場まで雪が積もってたんですけど、そこに行くまでには比良平先輩の足跡しかなかったんです」
柳沢が言うのを受けて沈黙を守ってきた大岡が口を開いた。
「しかし、気象庁の観測では昨晩は20時30分頃まで雪が降っていたんだ。他の足跡が消えてもおかしくはないだろう?」
「……ええ。でも、少し気になったもので」
少ししおれた様子でで柳沢は呟いた。
「まあ、参考程度に留めさせてもらいますよ。では、個人の聴取に移りたいので、呼ばれた人から隣の部屋へ来て下さい。初めは比良平さん、お願いできますかな?」
そう告げてドアを開け、比良平を招きだした。
2
聴取に使うための応接室はこざっぱりとしていて心地よいところだった。甚五郎は比良平を席に着かせると正面に腰を下ろした。大岡は扉を閉めてその前に立って聴取の様子を伺うようである。
「比良平さん、辛いでしょうが劇場に入って被害者の状態はどう言ったものでしたか?」
「……く、首を吊られて死んでたよ。舞台の上で」
「吊り下げられて。他に気になるところは?」
「……あ、ああ。死体の全身から血が流れてたよ。た、大量に」
完全に怯えきっている。軽く貧乏揺すりをしながら俯いて答えていた。
「なるほど。では劇場の方はどうでしたか? 見たままを答えて下さい」
「……中が暗かったから、電気付けようと思って舞台袖の方まで行ったんだ。照明関係は舞台袖にあったから。……で、舞台の所まで行くと緞帳が降りてて、変だなと思って中に入ったら……」
「中で彼女が死んでいた?」
そこで比良平は軽く頷いた。先程よりは落ち着いたのか貧乏揺すりは止まっていた。
「しかし変ですね。近寄るまで緞帳が降りていると気付かなかったのに、そんな暗い中で緞帳の中に入って彼女が死んでいると気付いたわけですか?」
「ち、違う。緞帳の中はライトがついてたんだ。それで照らし出された死体を見て……」
「ライトがついていたんですな。他に何か気になることは?」
比良平は中空に目を這わせて何事かを思いだそうとしていた。やがて何か思いだしたのか中空を見るのを止めて甚五郎の方に目を戻した。そしてゆっくり口を開いた。
「……ゆ、指が。指が一本転がってました」
「なるほど、指が一本。他にはないですか?」
しばらく先程と同じ行動をとっていたが、もう何も思い当たらないのか頭を振って「ありません」と答えた。
「では別のことを伺います。あなたはどうして劇場に行ったのですか?」
この言葉に比良平は大きく反応した。そしてまた貧乏揺すりが始まった。何かあるのだと甚五郎はコレを見て確信した。
「教えていただけませんか? タバコを吸うと言いながらどうして劇場へ?」
比良平はしばらく黙っていたが、手で貧乏揺すりを止めるとゆっくりと口を開いた。
「……ばれたんだ」
「何ですか?」
「輝美に呼ばれたんだ。ケイタイのメールで」
「ほう、メールで。いつ頃ですか?」
しかしここでまた比良平は黙ってしまった。甚五郎は苛々したが堪えながら比良平を覗き込む。比良平は観念したように口を開いた。そして比良平がぼそりとこぼした言葉を聞いて耳を疑った。
「……昨晩20時40分頃」
「な、何を言ってるんだ。被害者の深山輝美は20時までには死んでいるはずだぞ! そんなでたらめを言うな!」
「ほ、ホントだって! さっき死亡推定時刻を聞いて耳を疑ったんだよ! 死んでるはずの人間からメールが届くなんて……」
「本当なのか?」
「信じてくれよ……」
今にも泣きそうな声で比良平は懇願した。演劇部と言うだけあって、演じている可能性もあるため完全に信じることは出来なかった。しかし、長年の刑事の勘で嘘を付いていないようにも伺えた。
「解りました。とりあえずもう下がってもらって結構です」
それを聞くと大岡はドアを開け比良平を部屋から出し、ドアを閉めた。
「大岡さん、どう思いますか?」
「……ふむ。嘘をついとるようにはみえんかったが、何とも解せんな」
「やっぱりそうですか」
大岡の長年の勘を持ってしても解らないらしい。幽霊からのメッセージを信じろと言う方が無理である。とりあえずメモに書き留めることにして、次の佐波楓を呼ぶことにした。
3
遠慮がちなノックとともに佐波楓と婦人警官が入ってきた。
婦人警官が入ってきたのは当然のことで、警察側が女性に対して不当な取り調べを行わなかったか、あるいは性的な行動を迫らなかったかなど、色々な事態が起こらないために女性の聴取では付き添う決まりになっているのである。
甚五郎は軽く婦人警官に会釈し、聴取に入ることにした。
「佐波楓さんですな。あなたはここの大学の学生ではないようだが?」
「……はい。K**大学の学生です」
「どうしてここへ来たのですか?」
「こちらの大学のミス研さんとは交流があって、合作で演劇の台本を作ろうって事になっていて。それで、演劇の配分なんかを決めたりしようと思って来たんです」
――K**大学のミス研?
甚五郎は少し気になる言葉を耳にした。どこかで聞いたことがある。
――K**大学と言ったら……
「あの、失礼ですが何回生ですかな?」
「えっ? あ、二回生ですけど」
甚五郎は記憶の糸をたどっていた。一つ思い浮かんだのは冬馬由紀という甚五郎の娘のことである。娘もK**大学に通う二回生なのである。
――由紀の友達? しかし聞いたことがないな。ミステリー研究会?
あらゆる事を頭の中でこねくり回しているうちに引っかかりの正体が見えた。そして、その正体の名を口にする。
「……周防健太郎という男を知りませんかな?」
「周防君ですか? 同じ大学に在籍していますけど、どうしてそれを?」
甚五郎の思ったとおりであった。周防健太郎はK**大学に在籍する二回生でミステリー研究会に所属する男である。さらに甚五郎にとって重要なのはここからで、愛娘である由紀のボーイフレンドというやつである。
決して悪い男ではない。むしろ好青年であることは間違いない。しかし甚五郎にとってみれば愛娘を奪おうとする一人の男に過ぎないのである。だが、甚五郎は一度この愛娘に手を出す男にお世話になっている。石黒が言っていた『不可能犯罪』の謎を解いたのが実はこの周防なのである。
楓も何か思い付いたことがあるのだろう、周防のことで頭をよじらせている甚五郎に質問してきた。
「もしかして、由紀ちゃんのお父さんですか?」
「えっ! どうしてそれを」
今度は楓の言葉を甚五郎がオウム返しのように言った。
「由紀ちゃんとは同じゼミ生なんです。周防君を介しても知ってますし、由紀ちゃんが前に『お父さんは刑事なの』って言ってましたから。それで」
「あ、そうですか……」
こちらが周防の話を出したのだから当然ではある。冬馬という名字自身が珍しいと言うこともあるだろう。それらを総動員して楓も答えを導き出したに過ぎないのである。そこで甚五郎は思い立ったように口を開いた。
「一つ聞きたいんですが、周防健太郎は学校では一体どういう男なんです?」
公私混同甚だしいこの質問に楓はきょとんとしている。ドアの付近では大岡が咳払いをし、楓の隣にいる婦人警官など恐ろしい形相で睨み付けている。それに気付いたのか甚五郎は自らも咳払いをし「失礼」と一言こぼした。
「……どこまでお話したかな? おお、そうだった。台本合作のためにこちらへ来たんですな。なるほど、いい趣味だ」
支離滅裂になっている言葉に楓は吹き出してしまった。大岡は首を左右に小さく振ってため息をもらし、婦人警官は……と言う具合になっていた。
「……今のは冗談ですよ。質問に戻らせてもらいます」
一応取り繕ったつもりであったが、全然繕い切れていなかったのは明らかだった。しかし「質問に戻る」と言った段階で刑事の顔に戻っていた。この辺は甚五郎もプロである。
「あなたが通報して下さったそうですが、先程全員に聴取したときには死んだのを確認していないと仰ってましたが?」
「死んでいたのは確認してなかったですけど、比良平さんの表情を見てそうなんだろうって思いました。それに、最近ニュースで話題になってる動物猟奇殺害事件もこの地域だって聞いたんで……」
確かに動物猟奇殺害事件はこの大学の付近で多発していた。そのやり口は残酷で、首を絞めて殺した動物をナイフでめった刺しにし、木の枝に結びつけるという事件である。対象にされる動物は猫や小型犬といった、抵抗力の弱い動物が主になっている。ここ一ヶ月で七件もの被害報告を受けている。捜査の段階で解っているのは小型の動物を狙っていることや、同じ手口であることも含めて、単独犯で全ての事件は同一犯であると考えられている。
「しかし、あれは動物だけを狙ったもので、人と結びつけるのは偉く飛躍しすぎていませんか?」
「……わたしもそう思いますけど、昨夜怪談というか、恐い話を松村さんに聞かされて、その内容が『次は人間でも狙うんじゃない? 今日いるメンバーが狙われたりして』何て言うことを聞いたもので……」
正直笑えない話である。事実、メンバー内の深山輝美が殺され、その死体の状況は例の事件と酷似しているのである。
「それで事件とつなげてしまって通報したわけですな?」
「……はい、そうです」
「まあ経過は解りました。ところで、あなたはこの学校には何度か来たことがあるのですか?」
「えっ? いいえ、ミス研の交流会はいつも別の大学か、うちのK**大でやってましたから、今回ここに来るのは初めてです」
「いいでしょう、ありがとうございました。お引き取りになっても結構ですよ」
甚五郎がそう言うと楓は一礼をして立ち上がりドアの方へと歩こうとして足を止めた。
「何か思い出したことでもあるのですか?」
立ち止まり楓が振り返ったため甚五郎は質問をした。
「周防君は、ものすごく好青年ですよ。由紀ちゃんとも仲がいいです」
それだけ告げるとぺこりとお辞儀をして楓は部屋を後にした。その様子を見ていて大岡は「公私混同も程々にな」と甚五郎を部下に据えていたときの口調で一喝した。
4
先程の婦人警官に頼み、続けて松村恵子を呼んでもらうことにした。婦人警官が恵子を伴って入室させてきたので、席についてもらうように言った。
「刑事さん早くして下さいね。私少し眠くて」
そう言うと恵子は欠伸をして見せ、さらに眼鏡を外し目をこすって見せた。
「早くできるかどうかは松村さんの証言次第ですね。スムーズな進行にご協力下さい」
「……何をお聞きになりたいんですか?」
恵子は眼鏡をかけ直し、めんどくさそうに聞き返してきた。
「最近起こっている動物猟奇殺害事件をご存じですね? そのことに関してお伺いしたいのですが」
「ああ、あの狂人が起こしたんじゃないかっていう? あの事件のことと今回のことと……」
恵子の言葉を切るようにして甚五郎は手を前に出した。そして甚五郎は話し出す。
「佐波さんからお伺いしましたが、あなたは『次に人が殺される。今日いるメンバーが狙われるかも知れない』とお話になったそうですが、どうしてそんなことを話されたのですかな?」
質問の内容を聞くと恵子は俯き少し肩を上下させている。しかしそれは怯えた様子などではなく、笑っているようである。芝居がかったように笑いながら恵子は口を開いた。
「刑事さん、そんなことを気にしてらっしゃったんですか? どんな深刻な質問かと思ったら、そんな馬鹿げた質問だったなんて……」
そう言いながらまだ笑い続けている。甚五郎はムッとしたように切り返した。
「馬鹿げた? 私はそうは思いませんがね。事実、あなたが予想した通りに演劇部に所属している深山輝美が殺され、その様は猟奇事件と酷似しているんです。どの辺りが馬鹿げているというのかお聞かせいただきたいのですが?」
恵子は先程の芝居じみた笑いを急に止めて真顔になり、甚五郎を真っ直ぐに見る。その表情の変化の速さに甚五郎は少しぎょっとしたが、それを悟られないように恵子の目を睨むように見返した。
「刑事さん、そんなに凄んだ目で見ないで下さい。恐くて口を開きにくいですわ」
真顔を崩さずそう言う姿は能面の口が動いているようにしか見えなかった。恵子に言われたことに耳を貸さずに甚五郎はまだ目を見続けている。すると根負けしたように恵子は表情を崩しぼそりと口を開いた。
「……あれはただの冗談で言ったんです。だってそんなことが本気で起こるなんて思いもしないじゃないですか」
「しかし起こりました。私には偶然のようには思えないのですがね?」
「……ホントに偶然です! 佐波さんと俣貫君、柳沢君とトランプしているだけじゃつまらなかったんで、トランプをしながら怪談話でもしようって言ったんです。それでただの怪談でもつまらないので実際に起こったら恐いような話にしようと思って……」
先程とはうって変わって怯えたような表情で話している。この表情には演技じみた影が見られなかった。
「ちょっと度が過ぎるとは思いませんでしたか?」
「……今では思ってます。でも本当にあのときはただの冗談で話していただけなんです」
本当に申し訳なさそうな表情で訴えかけるようにして恵子は言っていた。甚五郎も冗談であろう事は薄々感づいていたが、本当に参っているようなので別の質問に差し替えることにした。
「そのことについてはもう良いでしょう。それとは別にお伺いしたいことがあるのですがよろしいかな?」
恵子はしおれた表情のまま軽く頷いた。
「あなたは一度家に戻っていますが、再度ここに来たのは何時頃ですかな?」
「……昨夜の21時30分頃だったと思います。その時も塚山君と一緒だったんで彼に聞いてもらえば解ると思います」
「学校までの道が一緒だと言ってましたな。では再度学校に来る途中で会ったのですかな?」
「いえ、私が彼に電話をかけたんです。彼もじき学校に向かおうと思っていたらしくて、彼の家で合流するようにして行ったんです。先程の話じゃないですけど猟奇事件がこの辺で起きているから……」
「誰かと一緒の方が安心だと思ったわけですね?」
恵子は無言で頷きを返した。どうやら猟奇事件に怯えているのは恵子自信であるなと甚五郎は感じた。そして特別これ以上聞くことが今は思い付かなかったため恵子に退出してもいいことを伝えた。
恵子が退出したのを見て甚五郎は大岡に質問をした。
「どうでしょうか大岡さん。私には特別怪しい点は見られなかったんですが」
「塚山の証言も聞いてみなければわからんと思うが、今のところは同意見だな」
そう言うと大岡は塚山を呼んでもらうように廊下にいる警官に伝えた。
5
「……失礼します」
相変わらず弱気な感じの青年は頭を掻きつつ部屋の中へと入ってきた。甚五郎に席を勧められると小さくお辞儀をして席へと着いた。
「早速なんですが、あなたは一度家に戻っていますが、再度学校に来たのは何時のことですか?」
恵子にしたのと同じ質問を塚山にした。塚山は先程聴取していた部屋と同じく背中を少し丸めながら口を開いた。その姿は猫のように見える。
「……昨夜の21時30分だったかな? 確かそれくらいだと思うんですが」
証言は恵子と同じである。しかしまだ全く恵子と同じではないためさらに質問を続ける。
「学校に来るときも一緒だったのはどうしてですか?」
「松村先輩から電話が掛かってきて。学校に向かおうと思ってたんですけど松村先輩も学校に行くところだったらしくて、僕の家で合流するようにしたんです」
恵子の証言と食い違っっている所は見られなかったため、今度は別の質問を行うことにした。
「わかりました。では別の質問に移らせていただきますが、あなたは学校に到着されてからは何をしてましたか?」
「到着してからですか? 寺脇さんと比良平先輩が麻雀をしないかって言ってきたんで混ぜてもらうことにしました。それで唐さんが来しだい始めることになって、演劇部側の部室で三人で唐さんが来るのを待ってました」
「唐さんが来たのは何時頃のことですか?」
「……僕が到着してから10分後くらいだったと思います」
思い出すようにしながら塚山は口を開いた。相変わらず猫のように背中を丸めている。
「君を含めたその4人以外が何をしていたかは解りませんか?」
「トランプじゃないですか? 麻雀かとランプのどちらが良いか聞かれたんで。だから松村先輩と俣貫先輩、佐波さんと柳沢はトランプをしてたんだと思います」
「一緒の部屋で遊んでいたのではないのですか?」
「いいえ。麻雀組は演劇部の部室で、トランプ組は隣のミステリー研究会の部室でやってました」
頭を掻きながら塚山は訥々と答えた。
「では麻雀組にいた比良平さんが外に出た時間を覚えてますか? タバコを吸いに出た時間です」
首を少し捻って少し頭を掻いていたが、思い出したのか頭を掻く手を止めた。頭を掻く姿は金田一耕助のようでもある。
「確か……23時少し前だったと思います」
「どうしてその時間だと覚えているんですか?」
「麻雀が半チャン終了した時間でしたから。あ、半チャンって解りますか? 簡単に言ってみればゴルフの全部のホールを回らず半分だけ回ってゲームを行うことです。半分とは言ってもそれ自体が一回のゲーム回数で……」
「……知ってます。説明は結構です」
麻雀の話に入った途端に塚山は背筋を伸ばし言葉をマシンガンの如くつなげた。相当麻雀が好きなようであるが、結局の所は麻雀一回終了したと言いたいだけであった。
「つまり麻雀一回が切りよく終わった時間だったので覚えていたと言うことですな?」
事件の話に戻ると塚山はまた背中を丸めて軽く頷いた。このことを寺脇と唐にも確認することに決め、塚山には退出を促した。
「甚五郎、今の証言で気になる点があっただろう?」
大岡の言葉に軽く頷いて見せた。それを見て大岡は「次を呼ぶぞ」とだけ言って廊下の警官に唐を呼ぶように告げた。
6
呼ばれるまで唐は寝ていたらしく不機嫌そうな顔で入室してきた。
「……ふわぁ。眠い……」
皮肉たっぷりな感じで呟き甚五郎の前に座ると大きな欠伸を一つ。
「待ちくたびれちったよ。さっさと終わらせて家に帰してくんないかな?」
「君次第だな。いい加減な証言をするとその分長引くと考えてもらいたい。いいかな?」
「それって脅し? それとも俺が犯人だと思ってるの?」
完璧に挑発しようとしている。しかし甚五郎にとってはこういうタイプはボロを出しやすいタイプだという確信があったので軽くいなしつつ切り返した。
「ほう、犯人だと思われる事でもあるのかね?」
「……別にそう言うわけじゃないさ。それより聞きたい事って何なの?」
少し凄んでみせると唐は軽く身を退いて先程より控えめな態度に変わった。
「まずは家に帰った後のことだが、もう一度学校に来たのは何時頃かね?」
「……ちょっと待ってくれよ……たしか、昨夜の21時40分かそこらだと思うけどね」
「よく覚えてるね。どうして覚えているんだ?」
その言葉を聞いて「ちょっと待ってくれよ」と言いながら唐はポケットを探っている。やがて目的の品を甚五郎の前に置いて見せた。携帯電話である。
「電話が掛かってきたんだよ、寺脇から。麻雀やるから早く来いって。それが21時30分過ぎだったから、急いで支度して学校に行ったんだよ。だから覚えてんの」
唐の言うとおり携帯電話の着信履歴には『2月10日・21時34分・寺脇』とあった。
「では学校に着いた後はどうだったかな?」
「卓の準備がされてたからすぐに麻雀を始めたよ。半チャン一回だけやって……。半チャンって解る? 麻雀で……」
「解っているよ。半チャン一回終了した後に比良平さんが退室したそうだが、何時のことだったか覚えてるかね?」
「覚えてるよ。俺負けてドンケツだったから朝までに何回できるか確認しようとしてケイタイ見たんだよ。その解きたしか22時50分過ぎたところだったよ。比良平さん俺の次に負けてたから苛々したんだろうね。険しい顔して『タバコ吸いに行ってくる』って言って出ていったよ」
塚山の証言とほぼ一致している。あと一人、寺脇に聞いてみれば解ると思っていると唐はまだ続けた。
「でも珍しいんだぜ? 比良平さんが負けるのなんか。いつも勝ってばかりなのに、今日はやけに当たられてばっかりだったから。普段あんなに振り込むことなんかないのにな」
甚五郎はこの言葉が少し気に掛かった。普段振り込んだり負けたりしないような男が、いつもとは違い負けたり振り込んだりしているというのである。何かあると思い甚五郎はカマをかけるようにその疑問を口にした。
「しかし、たまにはそう言うことだってあるだろう。負ける日もあるんじゃないか?」
「それがそうでもないんだな。何か麻雀も上の空って感じでやってたから。その証拠に麻雀の牌を目の前に並べるとき慣れた人間なら山を一列、一気に持ち上げて積み上げるだろう? それをせずにちまちま片手で積み上げてたんだからおかしいと思ってね。イカサマでもしようとしてんのかと思ったけど、全然勝ってないし」
「それで上の空と?」
「そう言うこと」
唐は控えめな態度を元に戻しながら言った。このことについても寺脇に聞いてみる必要がありそうだと思いながら手帳にそのことを記した。
「まだ何かある?」
「比良平さんについて何か思い当たることはないか? 何でもいいが」
「比良平さんについてって、あの人疑ってるの? 何だそれならそうと言ってくれればいいのに」
「君の疑いが晴れてはいるわけではないがな」
甚五郎が低い声でそう言うと今度はムッとした表情になり口を開いた。
「……あっそう。まあいいけどさ。別に特別思い当たること無いけど。思い出したらまた教えてやるよ」
唐の物言いはえらく上から物を言ってはいるが、捜査に協力しようとする姿勢が見えた。
「そうか。ではまた聞くこともあるとは思うが、今日はこれでいいでしょう」
甚五郎の言葉を聞くと一つ大きな欠伸をし、背を伸ばしながら「お疲れさんでした」と言いながら部屋から出ていった。
唐が出ていくのを確認すると大岡に話しかけた。
「やはりおかしいですね」
「ふむ。あと寺脇の証言を聞いてみればハッキリするかもしれんな。唐の証言も同じく気になる点があったな」
寺脇の証言が重要になってくる事を確信しながら、重要証言人を呼ぶことを大岡に頼んだ。
7
先程聴取したときとはうって変わって寺脇はおとなしく部屋に入ってきた。
「……失礼します」
そのままの態度で甚五郎の前に座るとあまり目を合わそうとはしなかった。どうやら唐とは違って一人ではそれほど強気でいられないタイプの人間であることが伺えた。
「唐さんから話を今聞きましてね、あなたから麻雀のお誘いがあったと」
「……はい、電話しましたよ。確か21時30分頃だと思います。面子があと一人分だったんでケイタイで連絡しました」
「携帯電話を見せていただけますか?」
甚五郎の言葉に頷きポケットから携帯電話を取り出し、発信履歴画面にして手渡した。
そこには『2月10日・21時34分・唐』と映し出されていた。電話したことに間違いはないようである。
「間違いないようですな。唐さんはどのくらいで顔を出しましたか?」
「電話を掛けてからそれほど経ってなかったと思います。5分かそこらで来たと思いますよ」
「唐さんが到着してからあなたたちは麻雀を始めたんですね?」
「もう卓の用意と点棒は揃えておいたんですぐに始めました」
「どれくらいやりましたか?」
「えっと……半チャン一回だけやって……あ、半……」
「半チャンは何か解ってます。先を続けて下さい」
恐縮したのか、自分の言おうとしたことを当てられて驚いたのか、寺脇は少し間を空けてから続けた。
「半チャン一回終わって休憩を挟みました。比良平さんがタバコを吸いに行くって言ったんで」
「それは何時頃のことですか?」
「22時50分です。唐が『まだまだ時間はあるな』とか何とか言いながら時間を言ってましたから」
唐と塚山の証言と一致している。比良平がタバコを吸いに出たのは22時50分で間違いない。
「確かあなたは一度家に戻ってますな? 確かピザを頼んだと言っていましたか。その後学校には何時頃に来ましたか?」
「……学校ですか? 何時だったかな……家を出たのは21時少し前だったから、21時20分頃だったと思います。柳沢君と門の近くであったから彼にも聞いてみて下さい」
柳沢は確か家に戻っていないはずである。それなのにどうして外に出ていたのだろうかという疑問が湧いた。
「柳沢さんは学校の外にいたんでしょうか。何か知ってますか?」
「ああ、彼は買い出しに出てたらしいです。それでコンビニに寄った帰りにばったり出くわしたんです」
「そうですか。では少し違うことをお聞きしたいんですが、麻雀をされているとき比良平さんの様子がおかしかったと言うことはないですか?」
「比良平さんの? 確かにいつもと違ってましたね。何か麻雀に集中し切れてなかったような気がします。やたらと振り込むし、いつもはそんなことはないんですけど」
唐が言っていたことと同じであった。比良平の様子がいつもと違うことに間違いなさそうであった。
「では、比良平さんについて何か知ってることはないですか?」
「……そう言えば最近バイトに来なくなりましたね。中華料理店で一緒にバイトしてるんですけど。僕がホールで比良平さんは厨房なんですけどね」
「バイトに来ない? なぜだか知ってますか?」
「教えてくれないんですよ。比良平さん、変にプライド高いところがあって『大したことない』って言って理由は言ってくれませんでした。どこか調子でも悪いんじゃないですかね」
「そうですか。他には何か知りませんか?」
そう聞くと寺脇は少し口を閉ざした。何か言いにくいことでもあるのかそわそわしている。
「何かあるんですね。話してもらえませんか? 秘密は守ります」
甚五郎は守秘する事を告げた。しかしこの誓いは後ほど脆くも崩れ去ることを甚五郎は知らずにいた。
「……噂にしか過ぎないんですけど、だいぶ前に一度警察に捜査されそうになったことがあるらしいんです。輝美さんと一緒に」
この証言は大きな収穫である。もっと深く掘り下げる必要がありそうなので突っ込んで先を進めた。
「何でも高校時代のことらしいんですけど、二人して援助交際の斡旋みたいなことをやってたそうなんです。俺と比良平さんと輝美さんは同じ高校だったんですけど、俺の友達がたまたま渋谷でそう言う現場を見かけたらしいんです。何でも中年の男に気の弱そうな女の子を紹介してたみたいなんです。それで友達がその中年の男から金を受け取ってた所を見たらしいんですよ」
「それで捜査されかけたのか……」
「いえ、友達は遠くから見たし暗かったから比良平さんと輝美さんによく似た人と思わなくて、警察には連絡しなかったんです」
知り合いじゃないということだけで見て見ぬ振りというのは、困ったものである。確かに警察署によっては決定的な証拠でもない限り動きにくいと言う側面も持っている。そう言った警察の体勢にも問題はあるのだからあまりきつくは咎められないことであった。
「被害者が訴えたのか?」
「実は被害者の一人と見られる女の子が自殺未遂をしたらしいんです。それで親の方が学校側に押し掛けてきて糾弾して。警察も周辺は捜査したらしいですけど証拠がないと言う事で比良平さんと輝美さんは逮捕を免れたらしいんです」
「それはいつ頃のことか覚えてるかね?」
「……俺が高二の頃だから、三年ぐらい前だと思います。でもあくまで噂ですけどね」
比良平と輝美には事件に関する動機が浮上してきた。過去の事件の口封じを比良平が起こしたと考えられる。もっと事件の核がきけることを期待して甚五郎は質問を続けた。
「そうですか。他に何か比良平さんに関して知っていることはありませんか? その事件のことでも結構です」
「……他ですか? 特別思い付きませんね」
首を傾げ宙を見ながら寺脇は語った。そううまくは行かない物かと肩を少し落としたが、手に入れた情報は大きな手懸かりには違いないのでそれでよしと決めることにした。
「長々とすみませんでした。また何か聞くこともあると思いますがその時もご協力お願いします。退出されて結構ですよ」
寺脇は解放されたように手足を伸ばしてから部屋を去っていった。
「三人の証言が正しいとすると、やはり気になるな」
「そうですね。それに新たな証言も出てきました。もう一息のような気がします」
二人で軽く頷き合いながら次の人物を呼ぶことにした。
8
ノックとともに入ってきたのは柳沢であった。さわやかそうな笑顔を作りながら一礼して席に着いた。
「何を証言したらいいですか?」
まじめそうな風貌のわりに軽い乗りで口を開いた。やはり甚五郎にはどうも好きになれない男であった。
「……寺脇さんからお聞きしたんですが、あなたは一度外に出られているようですな? その辺りのことについてお聞きしたいんですが」
「外にって、コンビニに行ったことですか?」
「ええ、何時頃に出られて何時頃に戻られましたか?」
柳沢は掌を合わせたり離したりしながら「えーと」と呟いている。やがてそのまま手をパチパチ音を立てながら口を開いた。
「20時40分頃に出たんじゃないですかね? 帰ってきたのは21時20分だったと思います」
「どうして覚えておられるんですかな?」
「結構時間気にする方で、時計があったら目が行っちゃうんですよ。それで警備員室に挨拶しつつ時計を見たので覚えてます」
「帰りは寺脇さんとはどこでお会いになりましたか?」
「門の前でばったりです。寺脇さんの家とコンビニって正反対だから」
ずっと手を鳴らしているのが気になって甚五郎が手を睨んでいると柳沢は「あ、すみません」と言い手を腿の上に固定させた。
「あなたは麻雀ではなくトランプをやってたんでしたな?」
「はあ、そうですけど」
「何時頃から始めて何時頃に終わりましたか?」
「始めたのは覚えてないですね。飯を食べ終わってから何気に始めたんで。終わったのは23時頃だったと思いますけど。そのあと俣貫さんと佐波さんと隣の麻雀組の所へ行って買ってきて欲しいものを聞いて買い出しに出ました」
「と言う事は松村さんは一人部屋に残っていたわけですか?」
「眠いから寝るって言ってたんで、そうでしょうね」
ここまでは特別気になることはないので比良平と出くわした事について触れてみた。
「タバコ吸いに行ってるって聞いたんですけど外にいませんでした。それで足跡が一つだけ劇場の方に向いて付いてたから、比良平先輩が劇場にいるんだと思ったんです。それで買い出しに行く注文を聞こうと思ってそっちの方に向かったら、いきなり劇場から比良平さんが飛び出してきたんですよ」
「その時の様子はどうでしたか?」
「言葉を失うぐらい怯えた様子でしたよ。そうとう悲惨なものを見たんでしょうね。劇場に入ってみようと思ったら『入るな』って震えながら言ってましたよ」
この辺りの証言は楓と一致している。まだ情報が得られるかも知れないと思い質問を続けた。
「比良平さんについて何か知っていることはありませんか?」
「うーん、何かあるかな? 特別普段からも遊んでるわけじゃないし、思い当たらないですね」
そう言うとまた手をパチパチと鳴らしている。これ以上聞いてもあまり期待する答えは返ってきそうにないので退室を許可すると、鳴らしている手を止めて立ち去っていった。
「だいぶ証言も集まってきましたね」
「あと一人で最後だな」
そう言って最後の俣貫を呼ぶように手配した。
9
「どうぞ座って下さい」
部屋に入ってきて椅子の横に立ち「よろしいですか?」と言い、甚五郎の言葉を受けて俣貫は席に着いた。
「あなたは演劇が終わってから一度も学外には出ておられませんが、ずっとどこにおられたんですか?」
「食事をミス研の部室で済ませて、そのまま話をしたりトランプしたりで、トイレ以外は部室にいました」
「比良平さんはどこにいたか解りますか?」
「食事してから寺脇さんが来るまで一緒にいましたよ。その後は麻雀の用意をするとか言って寺脇さんと隣の部室に行きました」
今までの者たちとは違って物事を思い出す度に何かアクションを起こすこともなく落ち着いた様子で答えている。ミステリー研究会に所属するような男は落ち着いている者なのだろうかと甚五郎は思った。そう思うのも無理はなく、彼の頭の中で描かれるミステリー研究会の男は落ち着いた物腰の好青年なのである。周防健太郎がそうであった。周防も甚五郎と対面しているときでも全く動じることなく自然体でいることが多いのである。
――落ち着いているのは良いが、こんなタイプの男と付き合って楽しいのか?
周防と娘の由紀のことが頭を交錯したが大岡の視線に気付き質問を再開した。
「途中で柳沢君が外に出たようですが?」
「ええ、彼が買い出しに行ってくれると言っていたので付いて行こうと思ったんですが、比良平さんが客人にそんなことはさせられないとか言って、彼が一人でコンビニに出ていったんです。たしか20時20分過ぎだったと思いますけど」
「客人と言っても同じ学校でしょう?」
「そうなんですけど『演劇部に手を貸してもらってる以上、客人だ』って言ってました。結構変わってますよね」
文化系のクラブにしては珍しい図式である。変わっていると言えば変わっているが、人それぞれではないだろうかと甚五郎は思った。
「21時20分くらいだったかな? 寺脇さんと一緒に帰ってきましたよ」
「そうですか。それで、もう一度買い出しに行こうとなさってますが、いつ頃ですか?」
「……23時頃だったと思うんですけど。松村さんが眠いって言ってたから遅い時間なのかと思ってケイタイ見ましたから、間違いないです」
「では、比良平さんと出くわしたときはどんな感じでしたか?」
「外にいるって聞いてた比良平さんがいなかったんで、おかしいなと思っていたんですけど、劇場の方に足跡が続いてたんでそこにいるんだと思いました。それでそっちの方に行ってみると劇場から比良平さんが飛び出してきたんです。相当慌てている様子でした。汗もかいてましたし」
この証言で楓、柳沢、俣貫の証言が一致している事が確認できた。
「比良平さんについて何かご存じのことはありますか? 何でも良いのですが」
「何かと言っても、今回ぐらいで特別接触が多いわけでもないですしね。比良平さんのことはあんまりよく知らないんですよ」
「……そうですか。ありがとうございました。お引き取りになっても結構ですよ」
就職の面接が終わったようにドアの前で一礼してから俣貫は去っていった。
甚五郎は少し伸びをして立ち上がり大岡の元に歩み寄った。
「警備員室に話を聞きに行くんですが、また同伴お願いしても良いですか?」
二人で微笑し部屋を後にして、警備員室へと向かうことにした。
甚五郎は不可解な謎を抱えてはいたが八方塞がりになるほどのものであるとは、このとき思ってもいなかった。