白い猟奇現場 〜中編 救世主が登場する〜

     1

    2月11日 14時30分

 警備員室での証言を得て一息つこうとしたとき、検屍の結果が届いた。大学内の喫茶店での衝撃であった。
 検屍結果に目を通していると目が点に変わってしまったのである。
「どうした冬馬君。そんな表情をして」
 コーヒーとトーストを持って大岡は甚五郎の向かいに座った。セルフサービスのためコーヒーだけの甚五郎より遅くテーブルに来ての一言である。
「……どう言うことか解りません」
 大岡は口に近づけようとしていたコーヒーを置き身を乗り出した。そして甚五郎から検屍結果の報告書をぶんどって目を走らせていた。しかし口を開いて出た言葉は甚五郎と同じだった。そこに記されていた内容はこうである。

【被害者深山輝美の死亡原因『頸部を圧迫されたことにより生じた頸骨骨折。被害者
 が吊り下げられていた縄により絞められたものと見て間違いない』
 死亡推定時刻『警官到着後の時間が2月10日23時30分。その時の死後硬直、
 死斑の結果、死亡推定時刻は2月10日19時から2月10日20時と思われる』
 備考『腹部から脚部にかけて七カ所ナイフで刺されていたことについて・傷口を調
 べた結果、被害者死亡時刻より2時間30分ほど経過後につけられたものである。
 なお、切り取られた指は死亡直後に切断されたものであり、切断面と刺し傷の断面から
 現場で発見された同一のナイフによるものであると考えられる』】

「ただでさえ昨晩の事件関係者に殺害が不可能な状況で、こんなだめ押しをされたんじゃかなわないな……」
 大岡はハゲ上がった頭を掌で打ちながら呟いた。二人の沈黙に大岡の頭のぺちりという音が鳴り響く。
 そんな沈黙の中、若者のわいわい言う声が遠くから聞こえてくる。何名かの聞き覚えのある声に甚五郎はそちらへ目を向けた。
 甚五郎の目に写ったのは俣貫と楓のカップル。そして……。
「冬馬君どうした? 俣貫と佐波じゃないか。その横の二人は誰だ?」
「……何でこんな所にいるんだ……」
 甚五郎は軽く頭を抱え込みぼそりと呟いた。その姿を見て取ったのか若者のもう一カップルが声を掛けてきた。
「あ、いた。お父さん、探したのよ」
「お久しぶりですお義父さん」
 甚五郎の娘の由紀とそのボーイフレンドの周防健太郎であった。
「もしかして由紀ちゃんか?」
「大岡のオジさん? お久しぶりです、相変わらず元気そうですね!」
「いやいや、えらく大きくなったもんだ。前会ったときはまだコレくらいだったのにな」
 そう言うと大岡は手を座っている自分の頭辺りにかざして見せた。
「えらくキレイになったもんだな。お母さんそっくりだ。お父さんに似なくてよかったな」
 大岡の言葉を聞いて楓と俣貫は少し吹き出していた。
「もしかして、由紀ちゃんの隣にいるのはボーイフレンドか?」
「同じ大学にいるの」
「初めまして、周防健太郎です」
「こちらこそ。大岡です。いやいや、なかなかの好青年じゃないか冬馬君」
 楽しそうに談笑している様を見て大岡を無視しつつ甚五郎は肩を震わせながら口を開いた。
「……お前らがどうしてここにいるんだ」
「だって楓は私と健太郎の友達だもん」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
「じゃあどういうこと?」
 今にも爆発しそうになるのを察知し周防が間に入った。
「実は佐波さんから電話があったんです。事件に巻き込まれたっていう」
「友達として放っておけないじゃない。それでどこにいるかって聞くとT**大学って言うし。健太郎が俣貫さんに本を返す都合もあって馳せ参じたって言うわけ」
「友達思いじゃないか冬馬君」
 大岡の言葉に首を振りながら甚五郎は説明をする。
「そうじゃありませんよ大岡さん。由紀は事件に首を突っ込もうとしてるんですよ」
「まさか、そこまでのことはせんだろう?」
「お父さんの言う通りなの。でも首を突っ込むって言い方は違うわ。お手伝いをしようと思って」
 由紀は笑顔を向けて大岡に行ったが大岡は頭を一度ぺしりと打つと首を振りながら口を開いた。
「それはできないな。守秘義務があることはしってるだろう? いくら刑事の娘でもそれを話すことはできない」
「由紀、そう言うわけだ。解ったら帰りなさい」
「何言ってるのよお父さん。前だって……」
「おいおいおいおいおいおい! あれはあれだ!」
 由紀が発するであろう事を予測して必死で甚五郎は止めにかかる。その様子を見て周防も口を挟んだ。
「無理を言っちゃだめだよ由紀。事件はお義父さんに任せればいいじゃないか」
「じゃあ健太郎は何しに来たの? 事件を解決するためじゃないの?」
「違うよ。俣貫君に借りてた本を返しに来ただけだよ」
「……嘘。さっき楓に話し聞いてたとき『関係者には犯行が不可能なんておかしい。きっと何かあるはずだ』って言ってたじゃない」
 由紀の言葉に大岡は少し反応した。
「ちょっと佐波さんと俣貫君は席を外してくれないかな? 彼らから聞きたいことがあるんでな」
 大岡がそう言うと楓と俣貫は顔を見合わせ、大岡の方を向き直り頷いてその場を去っていった。二人の姿が消えたのを見届けるとおもむろに大岡は口を開いた。
「周防君だったね。なぜ犯行が不可能だと思うんだね?」
「お、大岡さん一体何を……」
「証人から証言を得ようとしているだけだ。落ち着きなさい」
 大岡に言われて甚五郎は言葉を飲み込んで頷いた。
 ――そうだ、証言を得るだけなら問題はないだろう。
 甚五郎が黙ったのを見て大岡は周防と由紀に席に着くように言った。「失礼します」と言って席に着き周防は口を開いた。
「素人が思ったことですんであまり大きく考えないで下さい」
「参考までにでいいんだ。聞かせてくれんか?」
「はい。死亡推定時刻とされている昨夜の19時から20時の間にアリバイがあるのは佐波さんと俣貫君。第一発見者の比良平と柳沢。彼らに犯行は不可能だったと考えてもいいと思います」
 大岡が頷くのを見て周防は先を続けた。
「では残りに人物についてはどうか? 残りの彼らも犯行は不可能でしょう。何せ門の入り口には警備員がいて、そこを通行するときには身分を証明しなければならない。それにこの学校の文化部棟を覆っている壁は結構高いです。もし壁から侵入しようとしてもハシゴなんかが必要になると思います。しかしそんなハシゴを抱えて学校付近をうろついていては目に付きます。そんな発見される恐れを押してまで外壁から侵入しようとはしないと思います。外部犯でもこういった行動は避けるでしょう。それから俣貫君に聞いたんですけど、門の前の警備員は特別に昨日から今日に掛けて見張りをしていると言う事でした。外部犯が何も知らずに門の方から入ろうとした場合は警備員さんに止められるでしょうから、やはり学内に入ることは不可能だと思います」
 大岡は黙ってじっと聞いていたが、ぺしりと頭を打つと顔にしわを刻んで口を開いた。
「素人考えにしてはよくまとまっているな。我々より少ない状況でよくそこまで考えたもんだ。冬馬君、なかなか彼は凄いもんだ」
「……彼が凄いことは私も認めますが、それぐらいは私たちも思い至った結果じゃないですか」
「と言うわけだ。君たちが考えることは私たちも考えていると思ってもらっていい。だから君たちの手を借りなくても済むことだと思う。どうかな?」
「ええ、もっともな判断だと思います」
 周防が会話を区切るのを聞いて黙っていた由紀が反発しつつ口を開いた。
「おかしいじゃない! お父さん達が知ってる情報より少なくてここまで解るのよ? 情報が足りなくても健太郎は事件の真相に辿り着くわよ」
「由紀ちゃん。彼を信用するのも解るが、実際の事件は推理小説やなんかとは違うんだ。それでも彼は事件を解決できると思うのかい?」
「実際の事件だって解ってるわ。だからさっきも言おうと思ってたんだけど、健太郎は一度……」
「こら、由紀! そのことは言うんじゃない!」
 甚五郎が必死にくい止めようとするが今度は大岡がそうはさせなかった。
「冬馬君、由紀ちゃんの話を私は聞きたい。先を続けなさい」
 甚五郎を制止して大岡は先を促した。
「オジさんもお父さんが関わったこの間の『不可能犯罪』って言われた事件知ってるでしょう? あの事件を解いたのは健太郎なんだから」
 大岡は由紀の言葉を聞いても動じなかった。しばらく無言で由紀と周防の交互を見ていたが、ゆっくりと口を開いた。
「そういうことか。ただ単に新聞を読んで助言したんではないだろうな」
「違うわ。あのときはお父さんから情報をもらったの」
「守秘義務をもう破っていたわけだな?」
 その言葉を聞いて甚五郎は大きな体を縮めて俯いた。大岡の顔を見ることが出来なくなっていた。
「あ、オジさん。お父さんを責めないで。確かにお父さんは事件のことを話したけど、悪気があったんじゃないの。だから……」
「そういうわけにもいかないな由紀ちゃん。同じ刑事としてやはり罰は与えられなければならんと思うよ。規則は規則だからな」
「そんな……」
 甚五郎はもう卒倒しそうになっていた。もう刑事生命は絶たれたと絶望の淵に立っている状態である。
「だが私もあまり規則、規則と言うのは好きじゃないんだ。お上からの罰則を与えるのは酷ってもんだろう。だから私から直接罰を与えることにしよう。冬馬君、君にはこの事件の捜査の一線を退いてもらう」
 甚五郎にとっては救いかも知れないがそれでも苦痛に代わりはなかった。事件を中途で手を引くことはしたくなかった。北村にも申し訳ない思いが募っていた。
「だがそれだけでは罰が軽すぎる。これからは私の指示の元、彼らをサポートしてやること。いいな?」
「はぃ? 彼らって?」
「由紀ちゃんと周防君に決まってるだろう。他に誰がいる」
 甚五郎の頭の中は軽くパニック状態に陥っていた。事の整理をするのに少し時間が掛かったほどである。周防と由紀も同じく目を丸くしている。
「それから由紀ちゃんと周防君にも捜査をするにあたっての制約を受けてもらう。事件関係者および、外部の者に捜査協力を得ていることは口にしてはならない。それが守れなければこの話は無かったことになるが、どうだ?」
「え、あ、本当に良いのオジさん?」
「実のところ猫の手も借りたいぐらいだったんだ。かと言って決して許されることでは無いとも思うが、固い頭だけではどうにもならんこともある。彼は冬馬君のお目に掛かった男だからな。信用に足るとは思うよ」
「……ありがとう、オジさん」
「ましてや由紀ちゃんのお願いを蹴飛ばしてはな。天国で見とる君のお母さんにそれこそ罰を与えられかねん。まさしく『お上の罰』ってやつだ」
 大岡はそう言ってにっこり微笑むと甚五郎の肩を軽くたたいた。
「冬馬君、しっかりサポートするんだぞ。君の働き次第で私の首も賭かっとるんだからな。今の年齢で職を失いたくはない。カミさんの化粧代を稼がにゃならんし退職金だって頂かなきゃならん」
「……大岡さん、恩に切ります」
「その言葉は事件解決まで取っておきなさい。由紀ちゃんと周防君も頑張ってくれよ。二人分の刑事生命は重いんだからな」
「任せといてよ、オジさん。ね、健太郎?」
「はぁ……お義父さんの辛さがよく解るよ。いいかい由紀。これはお義父さんと大岡さんのためにやるんだからね」
「解ってるわよ」
「決意も固まったようだな。じゃあ、捜査会議を開こうか」
 そう言うと大岡は自分の手帳を取り出し二人に情報公開を始めた。

       2

「……と聴取したのはここまでだ。ここまでで何か気になることはあるかね?」
 一通り喋り終えて大岡は完全に冷え切ったトーストとコーヒーを口に運んだ。由紀は気になる点があるようでそのことを口にした。
「死体を発見した比良平の証言で『緞帳が降りていて、中はライトがついていた』って言うのがあったけど、どうして緞帳なんか降ろしてたのかしら?」
 由紀が聞くと口の中の物を飲み込み終えていない大岡に変わって甚五郎が答えた。
「そりゃ、舞台上で死んでる深山を見つけてもらいたくなかったんじゃないか? 緞帳を降ろしておけば死体は隠れて見えないはずだ」
「でもそれって変よ。死体を見られたくないだけなら緞帳なんて降ろさずに、照明を全部切ればいいだけじゃない。比良平も『近寄るまでは緞帳が降りていることに気づかなかった』って言ってるんだから、電気さえつけてなければ舞台上まで見えなかったんじゃない?」
 その意見を聞いて大岡はうんうん頷いていた。甚五郎はまだ大岡が納得したことに賛同せずさらに思い付くことを言った。
「もしかしたら見えるかも知れんだろう? だから緞帳を降ろしてだな……」
「それでもおかしいわ」
 甚五郎が言わんとすることを遮って由紀が口を挟んだ。
「緞帳を降ろして気づかれないようにするんだったら、舞台上の電気を消してしかるべきじゃない。もし緞帳の脇から光が漏れだしたらそれこそ意味がなくなっちゃうもの」
 由紀の怒濤のような正論に甚五郎は言葉を詰まらせた。
「由紀ちゃんはいいところを突くね。確かに不自然極まりない行動ではある。じゃあ、これを見てもらえるかな?」
 そう言うと大岡は検屍の結果報告書を由紀と周防の前に置いて見せた。
「まず犯人は深山を殺害する。その時どこで殺害したのかは解らない。しかし外とは考えにくいと思う。雪の積もったところから死体を運ぶのは重労働だからね。言葉巧みに劇場に呼び出すか、深山が劇場にいるのを見つけて劇場内で殺害したと考えて良いだろう。深山を殺害するだけならともかく犯人は何を考えたか死体の指を切り取るという行動をとっている。しかし切断したときに生じる出血による痕は舞台上以外からは発見されていない。つまり舞台上で切断されたと考えて良いだろう」
 そこまで喋ると大岡はカップに残っているコーヒーを全部飲み干し「ここまではいいかい?」と促す。由紀と周防が頷くのを見ると再び口を開いた。
「指を切断すると言った行動は結構細やかな作業だ。首を絞めるのとは違って月明かりなんかでは出来ないような作業だろう? ましてや劇場内は相当暗いときてる。ライトをつけて作業したことも考えられる。その時外に明かりが漏れるのを恐れた犯人は緞帳を降ろす。そして死体を吊り上げた後、一度その場を立ち去っているわけだ。そこの部分を見てもらえば解るだろう」
 大岡は報告書の備考部分に指を置くと由紀と周防はそこに目をやる。二人が首を上下に振るのを確認して大岡は続けた。
「犯人はどういう訳か殺害後、2時間30分経った頃に死体をナイフで何度も刺している。犯人がずっと劇場にいたはずはないだろう。潜伏していたんならわざわざそんな長時間潜伏せずにさっさと作業を終えてしまえばいい。
ここからは私の推測だがね、何らかの理由で犯人は死体を損傷させる必要があったんだろう。殺害直後にするのを忘れたか何かはわからんがそうせざるを得なかったんだと考えられる。思い出したようにそんなことをするわけだから、犯人も相当焦っていたんじゃないだろうか。死体にそれだけの作業をするにも明かりは必要だからライトをつける。その後急いで作業を終え、現場から離れた。その際に電気をつけっぱなしにしていったって訳だ。長々と説明したが要するに犯人がうっかり消し忘れたんじゃないかと言いたいわけだ」
 話し終えるとのどが渇いたのか甚五郎のコーヒーに目をやった。甚五郎はそれに気づくと口を付けていないコーヒーを大岡の前に差し出した。大岡は「悪いね」と言いつつコーヒーを一気に飲み干した。
「そこまで計画的にやった犯人がつけ忘れ? そんな事って……」
「実際の事件なんてそんなもんだ」
 とこれは甚五郎の言葉。
「コレが真実だとは言わんが、こういう風に考えることもできるという一つの例だよ。他に何か気になることなんかはないかな?」
 由紀は納得いかないような顔つきをしてテーブルに頬杖をついている。由紀から何も出ないことを見て周防が口を開いた。
「比良平の行動とそれに関する証言で気になることがありますね。まずはメールのことなんですが」
「死んでるはずの深山から届いたメールのことか」
 周防の質問には甚五郎が答えだした。
「ええ。内容は呼び出しみたいな事を証言してたんですよね?」
「そうだが」
「メールの確認はなさったんですか?」
「もちろんだ。深山のケイタイから発信した事も確認済みだし、比良平の方も別の警官に確認を取ってもらった。比良平の証言通り昨夜の20時35分にメールをしたと考えて良い」
「実際にはどんな内容だったんですかね?」
 周防に聞かれてポケットから手帳を取り出し、メールの内容が書かれたページを読み上げた。
「発信された内容は『あの事件についての話がしたい。23時頃に劇場の舞台上で待つ』といった感じだ」
「それで劇場の舞台の所へ行ったわけですね?」
「本人はそう言っとったよ」
 そこまで聞いて周防は目だけを動かして宙を見るようにした。何か引っかかりを感じたときには周防はこうする癖があった。
「どうも引っかかるんですよね。その内容。何か話したいことがあるならすぐに会って話し合えばいいのに、しばらく時間をおいてから話し合おうというのは変じゃありませんか?」
「……確かにそうだが、何か事情があってそう言う呼び出しをしたんじゃないのか? そもそもその時深山は死んでるわけだからな」
「そこなんですよ。深山が死んでいる以上、メールを送るのは不可能なはずです。それでもメールが届いたと言う事は犯人が送ったと考えるのが妥当でしょう? もし本人が生きていたと仮定してもやはりしばらく時間をおくなんて変です」
「だから、どうして時間をおくのが不自然なんだね?」
 自分の聞きたいことがなかなか聞き出せず苛々して理由を聞き出そうとした。
「そこで出てくるのが『あの事件』のことです。これは寺脇の証言で出てきた自殺した女の子に関することと考えて良いと思います。証拠不十分で逮捕されなかった二人がこのことで頭を悩ませているんだとしたら、やはり二人は事件に関してクロだったと考えられます。そんな重要なことで話があるんなら急いででも話し合いを行うべきだと思うんです。ましてや人目に付きにくい場所を選んで、比良平の家か深山本人の家で話し合うのが普通なのに、わざわざ劇場のしかも舞台の上なんて言う特別な場所を指定しているのも気に掛かります」
「つまりメールの送り人が誰なのかよりも内容の方が気になってくる訳か」
 周防はゆっくり頷いた。
「次に気になる点は塚山、唐、寺脇の証言と比良平の行動についてです。三人の証言では比良平は22時50分頃にタバコを吸いに外に出てます。僕はタバコを吸わないのでタバコを吸うのにどれくらい時間が掛かるか解りませんが、まあ一本5分としましょう。実際にタバコを吸ったと仮定して、深山との話合いの時間を考えても一本しか吸えないでしょう。
文化部棟から劇場まではそれほど時間が掛かりませんが、雪が積もっていて少し手間取ったと考えて、劇場の舞台に到着するまでに要した時間は2分ぐらいのものでしょう。全ての時間を合わせて計算しても死体発見時刻は22時57分。23時までには発見されることになるはずです。しかし実際には買い出し隊と出くわすのはその後、15分ほど経ってからです。このとき比良平さんは15分も一体何をしていたんでしょうか?」
 この話には甚五郎と大岡は大きく頷いた。二人が聴取していた時に感じた疑問も同じだったからである。
「まさか、死体を見て気絶してたとかないわよね?」
「……考えられないこともないけど、それはないように思うな」
「……だよね」
 由紀は自分で答えておきながらあっさりその解答を引き下げた。
「一応筋の通る解釈をしようとするならこうなると思うんです」
 周防は座り直して説明を始めた。
「実際に劇場に向かった時間は死体発見時刻の23時15分直前だった。タバコを一本ではなく何本も吸っていたと仮定するわけです。そうすれば時間を潰した後に劇場に到着したと考えられるわけで、一応の筋は通ります」
「そんな強引に話をくっつけていいもんなの? 私はそれはないと思うけどな」
 由紀が言うのを制止して周防は落ち着かせるように言った。
「いいかい。あくまで可能性の一つを挙げたに過ぎないんだから、これが答えだなんて言ってないよ。僕自身これはあり得ない解答だと思って言ってるんだから。さっきも言ったように過去の事件に関して話し合うんだから、タバコを吸うのを惜しんでも劇場に向かったと考えるべきだからね」
 それを聞いて由紀も「そうよね」と言いながら納得した。
「私たちでも不思議に思っていたことだから、何らかの取っ掛かりはあるんだと思うよ。その辺も後で聞いてみなければいけないがな。ところで、警備員からの証言のことは言ったかな?」
 由紀と周防は同時にかぶりを振ったのを見て、大岡は頭をぺしりと掌で打った。
「言ってなかったか。それはスマン事をした。警備員に証言を得てきたんだが、それぞれが聴取の時に言った時刻に間違いはないと言う事だった。学校を出ていった時刻も柳沢以外は19時前には門の前を通ってている。実はそこで得た情報はそれだけではなくてね。深山の行動も確認することができたんだ」
「と言う事は深山は一度学外に出ていると言うことですか?」
 周防の質問に大岡は頷いて見せた。
「深山は練習が終了したあと、昨夕18時50分に校門を通っていることが解った。さらに、その約1時間後の19時40分に今度は学校に入るため校門を通ったことも確認できている。そのとき深山はケイタイをいじりながら学校に来たらしい。つまり、死亡推定時刻の幅は大きく縮まることになる」
「最後に生きている姿を目撃された昨夜19時40分から20時の20分間って言うことね?」
 その通りだと言うように大岡は何度も頷いて見せた。
「死亡推定時刻は絞れても、犯人がまだその圏内に行動してるのが証明できないんじゃね……」
 由紀の一言で大岡は肩を大きく落とした。今のこの姿は縁側でうとうとする老人のそれであった。
「由紀、それほど焦っちゃダメだよ。まだ調べてみなけりゃいけないことはいっぱいあるんだから」
 由紀に言ってから体を甚五郎と大岡の方に向けて周防は続けた。
「無理なことかも知れないですけど、現場の劇場を見せていただけないでしょうか?」
「……おいおい、無茶言うなよ。お前達に捜査内容を話しているのは他の者たちに知られちゃまずいんだからな。いくら何でも……」
「冬馬君、先程も言ったが君はサポート役に回ることに専念しなさい。決定権は私にある」
「しかし大岡さん……」
 甚五郎はそれ以上口にしなかった。大岡の目が鋭く光ったような気がしたからである。甚五郎が黙ったのを見ると大岡は周防と由紀に向きなおり口を開いた。
「現場百編だ。それじゃあ向かおう」
 そう告げて大岡が立ち上がると三人とも同じく立ち上がった。甚五郎だけは少し憂鬱な気分を払えないでいたが、それを気にすることなく三人は喫茶店を後にしていた。ふとテーブルを見てカップ二つとトースト皿が残っていることに気づき、食器返却口に返してから急ぎ足で三人を追いかけた。


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