白い猟奇現場 〜後編2 アリバイ講義を熱弁する〜

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「あらゆるアリバイの形を検討していきたいと思います。
 アリバイを発生させる過程において色々なパターンがあります。例を挙げると、人物の錯誤、場所の錯誤、時間の錯誤の3つに大きく分けられますが、今回の場合では死亡推定時刻の範囲が変わると言うことで前者2つは消して考えていいと思います。
 つまりここで取り上げて検討していくのは時間の錯誤によって生じるアリバイ現象と言う事になります。
 ではどのような物があるか検討していきます。

(1)証人により時間の錯誤が生じる場合。この方法は証人にカレンダーや時計に細工をして時間を錯誤させるという方法があります。今回の事件でこのパターンに当てはまる証人は死体を調べた警察官と検屍医になります。
 警察官と検屍医が手に入れる時間情報を狂わせるわけです。そうなると犯人は警察関係者と言う事になってくるでしょうが、もちろん今回の場合こんな方法を犯人がとったとは考えられないので消去させてもらいます。
 と言う事で次の現象を検討していきます。

(2)証拠物件により死亡時刻を錯誤させる場合。これは死体が身につけている時計などを破壊して実際に死亡した時刻を誤認させるという方法です。しかしこの現象も今回ではあり得ません。深山さんが死亡した際に時計などを破壊している形跡はありませんでしたから、この可能性も消去します」
 周防の言い終わりを待つと甚五郎は苛々しながら口を開いた。
「全く関係ない話をするんじゃない! 一体いつまでこんな意味のない話を続けるんだ?」
「待って下さい。可能性の消去を一つずつ行っているに過ぎません。面倒でしょうが聞いて下さい。
 では足早に次のアリバイ現象を言わせていただきます。

(3)移動方法により時間を錯誤する場合。これは歩いてきたと見せかけて車やスキーを使うなどして時間を錯誤させるわけですが、この方法は犯人のアリバイを立証する方法であって、死亡推定時刻を移動させる訳ではないので消去します」
 ここまでの周防の話を聞いていて由紀と楓、俣貫以外はあきれ果てた表情に変わっている。それを気にすることなく周防は先を続けた。
「それでは4つ目に進みます。

(4)殺害方法で時間を錯誤する場合。毒物を遅溶性カプセルに入れて被害者に飲ませ自らのアリバイを確立する等の方法がありますが、今回の事件ではコレは関係ありませんので消去します。
 それでは最後に本命の現象を検討します。

(5)死体の状況により死亡時刻を錯誤する場合。これはアリバイ作りに置いて最も初歩的でありシンプルな方法です。ここまで言えばお三方はもうお気づきでしょう?」
 周防は刑事三人に向けて問いかけた。甚五郎と石黒は少し考え込んでいる様子だったが大岡は頭を一度、掌で打ち目を大きくしながら口を開いた。
「温度変化による死後硬直具合の変化か!」
 大岡の言葉に甚五郎と石黒は「あっ!」と声をあげた。刑事にとっては極初歩的な知識なのである。
「そうです。死体を冷やしたり暖めたりすることで、死後硬直を遅らせたり速めたりするわけです。推理小説なんかでは使い古された手ですよ」
 周防が言うと先程まで呆れた表情で見ていたメンバーも納得の顔へと変わっていた。
「この場合には今述べたように二つの方法があります。

(5a)死体を冷やして死後硬直を遅らせる方法。今回は事件中、雪が積もっていた事から、死体を外気に晒し死後硬直を遅めさせるという方法が考えられます。しかしコレは考えにくい方法です。なぜなら、死後硬直を遅めると言う事は誤認させた死亡推定時刻よりもっと前に被害者を殺害しなければいけないことになるからです。
 誤認した死亡推定時刻は昨夜19時から20時の間ですから、それ以前に殺害されているとなると、深山さんの生きている姿を目撃しているのは辻褄の通らない現象となってしまいます。よってコレは消去できるでしょう。それでは次に最後の最後、本命中の本命――

(5b)死体を暖めて死後硬直を速める方法。今回はこの方法をとったと考えられます。この方法であれば誤認した死亡推定時刻の後に殺害すればいいわけで、目撃証言などからも解るように筋の通ったスッキリとした解決を見ることができます。もう方法はおわかりですね?」
 周防の解説を聞いて甚五郎と石黒を除く全ての人物はもうトリックの方法が解ったのだろう、全員強く頷いていた。
「ちょっと待ってくれ、死体を暖めるのは解るがどういう風に死体を暖めたと言うんだ?」
 困惑顔で甚五郎が周防に訴えかけるとそれを聞いて周防はさらなる解説を始めた。
「ではまだその方法に辿り着けない方のために解説を続けたいと思います。死体を暖める方法として暖房器具を用いる方法がありますが、劇場内にはそう言った装置はありませんでした。しかし暖房器具の役割をかねる装置ならありました」
「暖房器具の役割をかねる?」
「舞台照明です。普段はライトとして用いられる物ですが光とともに放出される熱量も半端な物ではありません。本来の使用用途からあふれ出た副産物によって今回は死後硬直を速めたわけです」
 ここまで説明されてようやく甚五郎と石黒は理解した。
 ――そうだ! 北村を奈落から引き上げるとき手に汗をかいてしまっていた!
 と甚五郎は思い出していた。甚五郎はあのときの北村の犠牲で気づいてしかるべきだったのである。
「ここではじめにお話ししたいくつかの謎が絡んでくるわけです」
 由紀と大岡以外は死後硬直促進の方法は解ったものの、はじめの謎とどのように結びつくのかは解らないでいた。
「謎って言ったら『めった刺し』と『緞帳が降りてたこと』と『死体の指が切断されていたこと』と『バーの高さ』の事だよな?」
 唐が掻い摘んだようにして過去述べられた謎を再び引き出してきた。
「そうです。その中には『舞台照明がついていたこと』もありましたが、今の話でそれは解明されています。そして残る四つの中から今は必要のない2つを省かせてもらいます。『めった刺し』と『死体の指が切断されていたこと』の2つです」
「じゃあ残るは『緞帳が降りていたこと』と『バーの高さ』か」
 甚五郎は呟くようにしていった。
「死亡推定時刻を速めるためには『緞帳を降ろすこと』は重要な役割を果たしてきます。この緞帳にも本来の用途とは別に副産物が発生します」
「本来の用途って言うと舞台と客席に壁を作り、舞台の中を見えなくするすることだな?」
 大岡が言うと頷いて見せ周防は解説を続ける。
「そして発生する副産物は光及び熱を外部に漏らさないようにする壁となると言う事です」

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「じゃあ『バーの高さ』はどう関係してくるんだ?」
「緞帳が死後硬直を促進させる産物であるのに対し中途で止められたバーは死後硬直を調整する産物になります。バーをあまり上の方まで上げてしまうと死体とライトとの距離が近すぎ、死後硬直は尋常ならざるスピードで進行します。それを避けるため死体とライトの距離を程良い位置に保つためにバーを中途で固定してあったわけです。
 以上ではじめに挙げた二つの謎とアリバイトリックは結びついたわけです」
 周防はにっこりと笑い解説を終えた。そこに甚五郎が疑問を挟んだ。
「2つ謎が解消されたのは解るが、あとの『切り取られた死体の指』と『めった刺し』の謎はどうやって解消するんだ?」
「あまり焦りすぎないで下さい。おいおい解ってきます。
 今話した死後硬直の促進で死亡推定時刻は曖昧になってしまいました。では次に考えるべきアリバイの推理に掛かりましょう。深山さん死亡から2時間30分後に生じた損傷に関してです。これは便宜上はじめに誤認していた死亡推定時刻の範囲にプラスして考えることにしましょう。最後に深山さんが目撃された昨夜の19時40分をめどに2時間30分を加えたいと思います。そうすると算出される時間は22時10分と言う事になります。その時刻以降にアリバイの無かった人物は誰でしょう?」
 周防の言葉に全員の視線が一点に固定される。
「比良平さん。あなたしかいません」
 しかし周防の判断には由紀が反発してきた。
「ちょっと健太郎! 初めに犯人は比良平さんだって言ったのは私でしょう? しかも健太郎は比良平さんが犯人じゃないって言ったじゃない!」
「確かに言ったよ。でも僕はこう言ったはずだよ。深山さんを殺した犯人は比良平さんじゃないってね」
「……じゃあ一貫してアリバイが無くなった比良平さん以外に犯人はいるって言うこと?」
「あんまり焦って解答を出そうとしちゃダメだよ由紀。これから説明しようと思ってたところなんだ。もう少し時間をくれないか?」
 優しい口調で子供をあやすように言うと由紀はふてくされつつも頷いて見せた。
「実は皆さんに多少の先入観があって今回の事件を見ていたんではないかと僕は思うんです」
「先入観って何よ健太郎?」
「深山さん殺害はある物に見立てられていたとみんなが言ってたじゃないか」
「ある物って……まさか」
「そのまさかだよ。動物猟奇殺害事件だ」
 由紀をはじめ他の人達もショックを受けた顔をしている。
「動物猟奇殺害事件に見立てられていたと言うことに目を捕らわれて、今回の事件も猟奇的な人物一人の手で行われたものだと思ってしまっていたはずなんだ。動物猟奇殺害事件は単独犯で行われた犯行だからね。そう考えても無理ないと思う」
「……深山さんを殺した犯人とは別に死体を傷つけた人間がいたって言う事ね?」
「ああ。それを踏まえた上でお聞きします。深山さんの死体をめった刺しにしたのは比良平さん、あなたですね?」
 再び全員の視線が比良平に集中した。俯いたまま震えている比良平は唇を噛みしめている。しばらくして俯いた首を軽く下げ周防の質問を肯定した。
 ――比良平がタバコを吸いに行ったときの不可解な時間の謎はそういうことだったのか。
 と甚五郎は先程と同じく思い出した。
「う、嘘だろ? 比良平さんが?」
「でもどうして? どうしてそんなことをする必要があったの?」
 驚愕したメンバーの口々から疑問が発せられていた。
「おそらく比良平さんは見られたくない物を始末しようとしたんです」
「……見られたくない物って?」
「そこで関係してくるのが『切り取られた死体の指』なんだ」
 甚五郎は頭の中がショートしそうになっていた。知恵熱が出てきたようにさえ思える。
「犯人は深山さんを殺害したのち死体から指を切り取り、その指を筆代わりに床にメッセージを書く。比良平さんが他人に知られたくないような内容を。その後比良平さんは犯人に呼び出され死体を発見する。そこには首を吊った深山さんの死体と思いがけない血のメッセージが残っていた。比良平さんは焦ります。――他人に見られたくないこの血のメッセージを一刻も早く処分しなければと。そうした比良平さんの目にある物が飛び込んできます。ゴム手袋とナイフです。それを見て比良平さんの頭には妙案が浮かびます。――血で書かれたメッセージなら血で隠してしまえと。その先は言うまでもありません」
「そうか! 血だまりからはみ出た血の筋は指で書かれた血文字の痕だったのね!」
 由紀の言葉に甚五郎と大岡も声をあげて反応した。
 比良平は膝から崩れ落ち、舞台上にへたり込んで片手をついた。そして涙混じりの声でぼそりと語り始めた。
「……呼び出されて舞台上に来てみたら輝美が死んでるしよ……慌てて誰かを呼ぼうと思ったんだけど、床には高校時代に関わった事件のことが書かれててよぉ……自殺未遂した女を追い込んだのは俺と輝美だって……。それで……それで見られるとマズイと思って……」
 あとはもう声になっていなかった。嗚咽混じりの咳を出しながらずっと床にへばりついていた。一同は哀れむような目で見ていたが、周防は比良平を抱え起こし口を開いた。
「まだ事件の真相は明らかになっていません。あなたが犯人でないことを証明して見せます。気をしっかり持って聞いていて下さい。あなたにはその義務があります」
 周防は比良平を完全に起こすと推理披露を再開した。
「彼が深山さん殺害の犯人でないことを僕の推理のあと本人の口より証言してもらいます」
「彼が犯人でないと断言できるのかね?」
「ええ。彼には深山さんを殺害しようにも殺害できません。あることが足枷になって」
「足枷?」
「彼の場合は手枷と言った方がいいかも知れませんね。皆さん深山さんの死因は何だったか覚えてますか?」
 周防の質問にいち早く反応したのは甚五郎であった。
「首を縄で絞められたことによる頸骨骨折だろう?」
「そうです。ワイヤーならともかく、ひもで頸骨を骨折させようと思ったらしっかり……と言うのも何ですが、ひもの両端を持って首を絞めなければいけません。そのためには健常な両手を持っていなければいけない。しかし比良平さんは今その健常な手を持っていないはずなんです」
「何だって!?」
 甚五郎は驚嘆の声をあげた。
「そうですよね比良平さん?」
「……ああ。手首が……腱鞘炎にかかってる……」
 涙声でそう言った比良平の手首に全員が視線を集中させた。
「……中華料理屋でバイトやってて……中華鍋を四六時中振ってたら……手首が痛くなってきて……病院へ行ったら『腱鞘炎だ』って言われて……」
 そう言いながらポケットに手を突っ込み財布を取りだして、さらにその中から整形外科の診察券を出して見せた。
「健太郎、どこで知ったの?」
「唐さんが聴取で証言したことと寺脇さんが証言したことを聞いてそう思ったんだ」
「唐さんと寺脇さんの?」
「麻雀の山を積んでいるときの話だよ。比良平さんは麻雀の山を積むときに『ちまちまと片手で積み上げてた』と証言してるんだ。いくら上の空で麻雀やってるからって普段から麻雀やってる人間が山を片手で積むなんて考えられないよ。普段通り山を積もうとして失敗する方がよっぽど上の空って感じだからね。それとともに中華料理屋の厨房に入っている比良平さんがバイトを休んでいるとなると、いよいよもって手に何かあったと考えてしまえるわけさ」
 たったそれだけの情報で比良平の手に異変があると解ったのは強烈な洞察力と飛躍した発想力のなせる技だと甚五郎は思った。
「そこまでのことが解ってるんだったらどうして教えてくれないのよ。わたし麻雀の事なんてほとんど知らないのに」
 由紀は自分の推理が外れたのが気に入らないのだろう、フグのように頬を膨らませそっぽを向いた。
「そう怒るなよ由紀。今からちゃんと犯人を指摘してあげるからさ」
 周防の言葉に全員緊張が走った。周防が犯人を導き出すのは間違いないと思ったからである。
「それでは今から犯人を導き出すために今まで説明した現象とさらなる要素を検討したいと思います」

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 やっとの事で犯人を導き出してくれるのかと甚五郎は胸をなで下ろした。このまま延々と演説が続いていくと甚五郎のハードディスクは煙を出して逝かれてしまうからである。
「ここで新たなる犯人特定に繋がる要素を挙げようと思います。比良平さんが呼び出されたメールについてです。このメールは深山さんのケイタイから比良平さんのケイタイへ昨夜の20時35分に送信されたものです。その内容は『あの事件についての話がしたい。23時頃に劇場の舞台上で待つ』と言うものでした。このメールの内容に注目していただきたいのです。ここで示されている『あの事件』とは先程、比良平さんが直接口にした事件と考えていいでしょう」
 周防の言葉を聞いて比良平は頷いている。比良平はそう言う風に内容を受け取っていることが伺えた。
「この『事件』は先程も説明済みのように人に聞かれてはまずい、深山さんと比良平さんの共有の秘密です。そのことで話がしたいというのであれば、本来すぐに呼び出してでも話をするべき内容のはずです。ところが深山さんはこの火急の内容をしばらく経ってから、しかも学校の劇場と言う特別な場所で話し合いたいと言っているのです。これはどう考えてもおかしな行動であると思います。普通聞かれたくないような話は誰にも聞かれないような環境でするものです。この例で言えば比良平さんの家か深山さんの家が妥当ではないでしょうか。しかしそうはせずにあくまで劇場で話をするように誘いをかけています。ここには何らかの意図が隠されているはずです」
「何ですかその意図って?」
 柳沢が質問すると周防はすぐに切り返してみせた。
「それこそ先程述べた比良平さんに死体を損傷させることだったんです。つまりこのメールは犯人からのメッセージであったと考えられます」
 甚五郎はつばを飲み込んだ。そこまで深い意味のあるメッセージだとは考えていなかったのである。
「ではこれも少し保留させてもらうことにして、犯人が誰かを軽く検討してみましょう。
当然ですが比良平さんは省かせていただきます。
 まず一つの絞り込みとして比良平さんが死体を損傷した時間を昨夜23時として2時間30分逆算したいと思います。そこで導き出せる死亡推定時刻は昨夜20時30分です。ではここまででアリバイのある人物を消去します。
 一度自宅に戻って再び学校に来られた人たち、つまり寺脇さん、塚山さん、松村さん、唐さんにはアリバイが成立します。なぜなら全員再び学校の門を通過したのは昨夜の21時20分以降だからです。よって彼らには深山さんを殺害することは不可能です」
 周防の消去法の対象になった者たちは安堵の声を漏らした。その声を聞き流すように周防は先を続けた。
「これで残り三人に絞れました。学校に残っていた佐波さん、俣貫君、柳沢さんの三名に犯人がいると言うことになります。ここからはあっさり犯人を絞れるのですが、一人ずつ消去していくことにします。
 まずは佐波さん。あなたには今回の計画は練りようがなかったと思われます」
 楓は肩の力を抜き安堵の吐息を漏らした。周防は消去対象の理由を述べた。
「佐波さんはK**大学の生徒でT**大学に来たのは昨日が初めてと言うことでした。もしそれが嘘であったとしても、学校関係者でない彼女が劇場に忍び込み操作パネルの制御をマスターしたとは考えにくいからです。この劇場の操作パネルは知らない人間が触るには操作説明書がなければ操作は困難極まりないからです。そんな操作をわざわざマスターしてまで犯行を練り上げたとは考えにくいため彼女を省かせてもらいます」
 そのことを聞いて甚五郎の頭には北村の悲劇のシーンが回想されていた。
「残すところ二人になりました。では最後の犯人候補から消去する人物を指名します」
 全員息を飲んで周防の口元に注目した。周防は何も言わずに目をある人物の所に固定した。全員がその人物の方に目を走らせる。
 その視線の先にいる人物は柳沢陽太だった。

     6

「すまないな俣貫君。君を最後に消去することになって」
 周防は柳沢から視線を外すことなくそう言った。
「……脅かさないでくれよ。てっきり俺が犯人にされるかと思ったぞ」
「いや、君には犯行は不可能だよ。何度かトイレに立ってはいるがわずか一分程度席を外しただけだ。それだけの時間で深山さんを殺害し、指を切り取りメッセージを残すなんて不可能だよ。もし何回にも分けてそう言った行動をとろうとしても、劇場と文化部棟を往復するだけで一分は裕に越えるだろうからね」
 柳沢は黙ったまま周防の目をうつろな目で見つめている。すると柳沢は普段とは違った声色で喋りだした。
「よく解りましたね。僕が犯人だって」
 凍り付くような声で周防に向けて言葉を発すると柳沢の周りから全員少しずつ遠のいていった。周防はそれでも柳沢から目をそらすことなく口を開いた。
「さっき提示したメールが犯行時刻なんじゃないかと考えてね。いつも肌身離さずケイタイを持ち歩いている深山さんからケイタイを手に入れることができるのは殺害後だろうと思ったからね。
 昨夜の19時40分門を通過したときにはケイタイを持っている深山さんを警備員は見ているんだ。つまりケイタイは19時40分以降に学校内で奪われたとしか考えられない。だとしたらいつか? それは彼女が死亡してケイタイを手放さざるを得なくなったときしかない。
 そしてメール送信時間と死体の損傷時間を頭の中で組み合わせたときその時間は23時5分になって比良平さんがとった不可解な時間帯と一致した。
 そう考えるとその時間にアリバイがなかったのは一人で買い出しに出かけた君しかいなかったんだよ」
 周防の言葉を不気味な笑みをこぼしたまま聞きながら小刻みに頷いている。
「それ以外にも君を特定する要因があってね。気づいているかい?」
 挑戦的に問いかけた周防の言葉を聞いているのか何も答えず肩を揺すっている。何も返答がないので周防は自ら語りだした。
「僕が君の前に初めて姿を見せたときだよ。ミス研の部室で刺殺か絞殺かを伝えたときだ。君はそれを伝えたとき『動物猟奇殺害事件みたいな感じですよね。首を吊られてナイフで刺されて』と言った。
 動物猟奇殺害事件みたいだと言う言葉は別に問題ないが、その後の『首を吊られてナイフで刺されて』というのはいただけない発言だ。確かに僕は絞殺とは伝えたが首を吊られた状態だなんて一言も言っていない。あの時はまだ誰も死体が吊り下げられていることは言っていないのに君はそのことを知っていた。第一発見者の比良平さんが口にしなかったことを君は語ってしまったんだ。
 まさかあれほど簡単に引っかかってくれるとは思ってなかったよ」
 周防が語り終えると無言だった柳沢は突然声をあげて笑い出した。
「はははハハ! そうか、そんなことでバレたのか!」
 自分が罠にはまったことを嘲笑うように上を向いて笑っている。その姿は演技を越えた狂気に満ちた姿に甚五郎の目に写った。
 周防は別に気にするともなく柳沢に言葉を返した。
「一つ疑問に思うことがあったんだけど、聞いてもいいかい?」
「……ふふふ、いいですよ。僕を導き出したあなたの質問をお受けしましょう」
 半笑いを浮かべた顔のまま柳沢はわざとらしい態度で承諾した。
「死亡推定時刻のトリックなんて使い古されたトリックだ。警察関係者にもよく知れたトリックだと思う」
 周防の言葉に甚五郎、大岡、石黒の三名は俯いてしまう。素人に解説されるまでもなく気づくべきトリックであることを恥じているのだ。
「あっさり犯行が露見する可能性だってあったはずだ。さらに言うなら、もしかしたら比良平さんが深山さんの死体に損傷を加えない可能性だってある。そう言った危険性を君は視野に入れていなかったのかい?」
 周防の真っ直ぐな目を見ながら柳沢はゆっくり口を開いた。
「もちろん考えたよ。考えていた上でわざとそうしたんだよ。もしも警察に見破られるようなら、僕が起こした今回の裁きは間違いだと言うことが解る。でも見破られなければ僕は神に認められた裁きを下したことになる」
「……な、何を言ってるんだ? 一体どう言うことだ?」
 困惑気味に甚五郎が聞くと柳沢はさもおかしそうに答えた。
「あなた達警官、刑事がどれほど多くの裁きを下し損ねていると思いますか? ニュースなんかでは事件の冤罪を訴えているようなケースが多々報道されています。そう言った裁きの下ることのない犯罪者には、神に選ばれた僕のような人間が裁きを下していかなければならないわけです。解りますか?」
 甚五郎は確信した。柳沢は狂人じみた犯罪者などではなく、完璧な狂人であると。
「あなたなら解ってくれますよね? 裁きを下した僕を導き出してくれた、キャリア候補生のあなたなら?」
 柳沢はうつろになった目で周防を見ている。しかし周防は残念そうな顔を作り首を振って見せた。
「……残念だけど解らないよ。僕はあくまで一般人であって、君のように神に選ばれたような人間じゃない。それに一言付け加えさせてもらうと、君のような犯罪者の気持ちは解りたくもない」
 周防の言葉に柳沢は驚愕の表情をこびり付かせた。理解してもらえると思っていたのか、柳沢は周防の言葉を拒むように首を左右に激しく振っている。
「……違う……違う! 僕は犯罪者じゃない! 間違ったやつらに裁きを加えることのできる、神に選ばれた唯一の人種なんだ!」
「違うよ。君は比良平さんに殺人の罪を着せようとし、自らの罪を正当化しようとした犯罪者だ」
 周防の言葉がとどめの一撃となったのか喚き立てていた柳沢は、頭を抱えたままその場に崩れ落ちた。
 石黒は周防の方に目をやると頷きを見せたので、柳沢の手首に犯罪者を拘束する小型の手枷を落とした。
「……違う……違うんだ……」
 石黒に引っ張られながらも手錠を見たまま、ぼそぼそ呟き柳沢は連行されていった。
 その後ろ姿が見えなくなるまで誰も口を開こうとはしなかった。

      7

 大岡は、事件関係者に帰る旨を告げ甚五郎の車に乗ろうとしていた周防と由紀を見送りに来た。
「協力助かったよ。君たちには本当に感謝している」
 深々と頭を下げて大岡は周防と由紀に感謝の意を述べた。
「頭を上げて下さい。僕たちはあくまで興味本位で首を突っ込んでいただけですから、そこまでされると恐縮してしまいます」
「最後まで謙虚だね君は」
 顔にしわを刻んで大岡は頭をぺしりと打ちながら言った。
「こっちはヒヤヒヤしたがな」
 甚五郎は口をへの字に曲げて頭を掻いている。
「いいじゃないお父さん。結局バレなかったんだし」
「そう言う問題じゃないだろう! 無茶ばかりやるから寿命がかなり縮んだんだぞ」
「それは困ったわね。もう少しの間、養ってもらわなきゃいけないのに」
 由紀は悪びれることもなく呟いた。甚五郎は今の言葉で胃が縮むのを感じた。
「ば、馬鹿! 縁起でもないことを言うな!」
 甚五郎に叱られ、由紀は少し舌を出して「ゴメンなさい」と言った。
「そう言えば、降雪量の事を聞きたかったんだが……」
 大岡がふと思い出したように周防に尋ねた。
「降雪量? ああ、あれですか」
「私も気になってたのよ。何の関係があったの?」
 由紀も大岡に便乗して質問を投げかけた。
「実際の死亡推定時刻を割り出してからのそれぞれの行動が嘘で無いかを知りたかったんです。
 深山の実際の死亡推定時刻は20時30分だった。その後、雪が降って足跡を消すのに1時間ほどを要したと言う報告でしたよね?」
 周防の問いかけに「ああ」と甚五郎は軽く頷く。
「つまり21時30分前後には劇場までの足跡は消えるわけです。それ以降に誰かが劇場に近づいたならその足跡が残っているはずです。ところが劇場に向かう足跡は23時前には比良平さんの物しかなかった。つまり、比良平さん以外は20時30分以降、劇場には近づいていない事になるんだよ。比良平さんは麻雀が終わるまではその後文化部棟を出ていないんだから、やはり深山死亡後、劇場に近づけたのは比良平さんしかいないという訳さ」
「死体損傷を行えたのは比良平だけになると……」
「そう言うことです」
 周防は腕組みして頷く大岡に説明を終えた。
 説明後、やり取りをしていて周防は何か思いだしたのか大岡に向かって口を開いた。
「今度は僕が質問してもいいですか? お義父さんと大岡さん、どうやって石黒刑事を言い含めたんですか?」
 突然の質問に甚五郎は顔をしかめたが内容を理解し口を開こうとした。
「ああ、あれはだな……」
「ちょっと待った冬馬君」
 甚五郎の口の前に手を出して大岡は言葉を堰き止めた。
「その前に一ついいかな周防君?」
「はい、何でしょう?」
 大岡は質問の答えを言うのではなく反対に質問で切り返した。
「君は捜査内容のことを事件関係者に話しただろう? 柳沢を罠にはめようとして」
「……ま、まあ」
 周防はバツ悪そうな顔をして答えた。
「オジさん、悪気があったんじゃないのよ? そのお陰で犯人だって解ったんだし……」
 由紀が周防のフォローに回ったが大岡は首を振って見せ、口を開いた。
「約束は約束だ。罰は捜査の中断だったが捜査をする必要が無くなったわけだから、別の罰を考えなくてはならない。そこでだ……」
 大岡は溜めるようにして続けた。
「石黒を言い含めた内容は自分の頭で考えてみるんだな。つまり解答を教えないことを罰にする」
 いつも以上にしわを寄せて笑うと大岡は周防と由紀に言い放った。
「と言うわけだ冬馬君。君もこのことは教えるんじゃないぞ」
「了解しました」
 甚五郎と大岡はしてやったりという表情でお互い頷き合い、周防と由紀に目をやった。
「それぐらい教えてくれたっていいじゃない」
「それぐらいで済んだんだからいいじゃないか。もっとキツーイ罰がよかったかね?」
 大岡の言葉に由紀は「……それでいいですよ」とふてくされて見せた。
「あとはゆっくり考えてみてくれ。私はまだここに残ってやらねばならんこともあるから、この辺で失礼しなければいけない」
 その言葉を受けて甚五郎は周防と由紀に車に乗るように言った。大岡に敬礼して「失礼します」と言って甚五郎も車に乗り込みエンジンをかけた。
「それじゃあ、元気でな」
 大岡はそう言うと軽く敬礼をし、大学内へと戻って行った。
「さあ、家に着くまでに謎は解けるかな?」
 嬉しそうに甚五郎は言いながらアクセルを踏み込み車を発車させた。


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